序破急や起承転結に代わる物語シーケンス(私家版)

ライフワークの小説を書きたいのはいいのですが、徒手空拳でできるという保証はない。私は最終的には確実にキメたいので、キマるように下ごしらえをしておきたい。しっかりとした下ごしらえは、確実性やブレなさや面白さに寄与するだろう。という期待があります。

今から書くのは、その下ごしらえの中間生成物です。だから、この記事は、いわば物置ですね。

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物語で、序破急や起承転結を使うのは便利だが、いくら何でもちょっとシンプルすぎるきらいがあります。

大塚英志が創作術の本で好んで例に出すウラジーミル・プロップの31の機能は丁寧だが、汎用性を欠くし、使い勝手も悪い。

じゃあどうすればいいんだろう。もっと使い勝手の良い物語シーケンスは出来ないだろうか。ということで、個人的に練り練りしていたのが、以下のやつです。

「ここはもっといいのがあるんじゃないか」というご意見がありましたら、コメント欄にお願いします。重要な参考にさせていただきます。

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私はプログラマだったので、物語の構造の考え方にプログラムの構造がいつの間にか滑り込んできており、やがて

「物語の構造とプログラムの構造をマッチさせたら、『より自然な』物語の構造ができるんじゃないか」

という、どうしてそうなるのかはサッパリ分からない閃きがあり、それの試みをしていたのでした。なんだこいつ。なんか言ってることとやってることがおかしいぞ。

また、物語の構造といっても、「読切」と「連載初回」と「連載中」と「連載最終回」とでは違う、ということが予想されます。

とりあえず作ったのが、こんな感じです。

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〇物語シーケンス

●プロローグ
巻込(読切と連載初回のみにある):唯一本当の意味で巻き込まれるイベント
続き(読切と連載初回にはない):前回の続き
●イベント
初期化:イベントに備える
徴候:イベントを追う
事件:起こした、捉えたイベント
●実行
準備:実行するための下ごしらえ
出発:実行開始
実行:実行本体
●成果
事後:実行の後始末
成果:実行の成果
●エピローグ
解体:主体と世界をイベントから解放する
続く(読切と連載最終回にはない):次回に続く

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このモデルが2019/10/24における暫定最新版です。

何が何だかわからないよな、と書いている自分自身でも思うので、ザッとだけ説明します。

いわゆる序破急「イベント」「実行」「エピローグ」に、

起承転結「イベント」「実行」「成果」「エピローグ」に対応する、

とざっくり考えてください。

「イベント」では何かが起き、「実行」では何かをして、「成果」ではもし後始末をしなきゃならんようであれば後始末をする、そして「エピローグ」では何かが終わる。

まあ、ふつう説明される起承転結と、あんまり大きな違いはないはずです。

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じゃあ「プロローグ」は何か?

「イベント」をいきなり出されると「いや知らんし…」となるので、最初の掴みは必要になります。掴みであるので、単なる説明の羅列にならないようにしなければならない。そこは腕の見せ所です。

ですが、それ以上に私が気にしたのは、「読切や連載初回において必要な掴みと、連載中や連載最終回において必要な掴みは違う」ということです。

読切や連載初回では、「主人公は何でこんなことやってんの、まさかゼロから何の根拠もなく始めたサイコさんってわけじゃないよな」というところに、納得のいくような説明があると、スッと入りやすくなるかと存じます。

いや、そういうサイコさんの話が瞬間風速的に面白いということは多々あるが、そういうのは、読切なら物語が続かなくても許されるような気がするが、作者への信頼が「こいつはビックリ箱作家でしかない、連載が出来ない」という形で低く固定されるから…(少なくとも読み手としての俺は抜きがたくそう感じてしまいますね)。

逆に、連載が始まったら、かったるい説明はかったるいので邪魔になるし、それ以上に、やっていくフェーズの主人公が何の根拠もなく巻き込まれていると「何だこのご都合主義は」とか、「あーはいはいダンプカーめいた負のご都合主義ね」とかなっちゃうので…

「主人公がやっていく話なんだから、主人公のやったことと本当に何も関係なく、ただ巻き込まれる話だと、なんか悪いご都合主義の駄作オーラが生じてしまうよな」という話です。

アリストテレスが主に悲劇について語る『詩学』という著作があり、ここでも「登場人物のやることにはちゃんと納得の行く理由が用意されていて、全部整合的につながっていて欲しい。ご都合主義装置、デウスエクスマキナは、俺は良くないと思う」めいた話があり、まあごもっともですね…

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プログラマ的な考え方との絡みで言うと、

まず前の処理から引き継ぐデータがあれば引き継いで、

初期化として登場人物やその状態を設定しておき、

イベントが起きたら、適正に主処理を行い、

何か誤作動があったら例外処理などの後始末を行い、

解体でイベントや登場人物やその状態を後腐れなく終わらせ、

次の処理があれば引き継ぐ。

ということがしたくなり、上のシーケンスはそのように「綺麗に畳む」「出入りをちゃんとする」ことを主眼としております。

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いや、石川賢みたいに「畳んでないやつ」ができないじゃねーか、という難癖は有りうるのですが、そういうことは『神州纐纈城』漫画版を読むととても言えないんですよね。

あれはクライマックスはショボかったけど、綺麗に「畳んで」からまた爆発的な「続く」をして終わるというやつで、あれがKENDの中ではベストバウトだったと思いますよ。人の好み、好き好きの話ではあるよ。でも、あれは本当に静と動、収束と爆発の見事な流れだった。

迫力は『虚無戦記』の「兜卒天羅王降臨す!」や『真説魔獣戦線』の真ボス・時天空の示唆とその脅威の説明方が圧倒的かもしれない。

だが、侘び寂びというか、緩急の付け方というかの話をすると、私の中では『神州纐纈城』漫画版に軍配が上がるんですよ。何の話だっけ?

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そうそう、実際の運用では、「読切」では前回からの「続き」も次回への「続き」も本来はないことを前提に物語を組むことが強く望ましくだって読切は基本的には単体勝負なんだからな。前回からの「続き」も次回への「続き」も本来なくても成り立つような話にしなきゃなんないわけだ)。

「連載初回」では前回からの「続き」はないが、「巻込」をもってこれに代える。

「連載最終回」では次回への「続く」はない。という運用になるかと存じます。

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で、「じゃあこれを使って実際にちゃんと作れているのか」というと、試しにこのテンプレートで作ってみたりしているんですが、まだ4話しか出来てないですね…「もっと作れ」と言われたら、まあ仰有る通りですね…

ただ、やはり、いろいろ試行錯誤したテンプレートなだけあって、テンプレートとしてはかなり使いやすく、「この流れならイケそうか、ダメそうか」の流れの視認性が良い、というのは有難いですね。

長く険しい道を歩く時に、助けとなる、いい杖が出来た、という感じです。

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その他の中間生成物についても、また後で書くかも知れません。

それでは、今日も良い一日を。

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