日記(2020/1/19):筋トレ覚書(『馴れる回路』と『自力での習得の感覚』の重要性の高さ)

ここしばらく体調が悪かったが、回復したので、久々にスポーツジムで筋トレをやっていた。

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筋トレのごく初期は、実際の筋トレやそのフォームは非常に大事なのだが、個人的にはこれと同じくらい、『馴れる回路』の形成が要だと感じる。

「自分がこれをやっているのは当たり前だ、何もおかしいことはない」くらいの感覚が必要だということだ。

馴れないままだと、いつか、馴染まないまま、「自分がこれをやっているのはおかしい、やる謂れはない」となって、簡単にやめていく。

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また、自分なりにフォームのよりしっくりくる形が分かってくる、という、「自力で学習した」という感覚が、やはり要だ。

これは勉強でもそうだけど、「こちらの方がしっくり来た」というのがなければ、入力による刺激が身に付くほどの閾値を越えてくれないし、学習にならない。

単に詰め込み教育をやっていると、納得していないから、要するに分かってないのと一緒だ。『自力での習得の感覚』があって、初めて分かったと言えるタイプの知識がある。ある時点での手足の動かし方や筋肉の伸ばし方とかも含めてだ。そこは本当に気を付けなければならない。

もちろん、傍らにマニュアルがあって、答え合わせが出来るのが強く望ましいが…これをやらないとどんどんただの我流になって効率が落ちるからな。

だが、最初から「強くてニューゲーム」が出来る人はあまりいない。そこはそういう夢みたいなことは「出来たらいいな、出来なくてもしょうがないな、いつか正解の言ってる意味自体が分かればいいがな」という程度の向き合い方しか出来ないですよ。ふつうは。

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ある程度は、腑に落ちないままやっても、体は鍛えられるかもしれない。

だが、やり続けるときに、腑に落ちる、という体験はとても大きな支えになるし、それがなければやり続けるのはかなり大変だ。

「意味がない」と思っていたら、「価値がない」という印象まで、あっという間に飛躍するからな…

そして「価値がない」という印象は「実践しなくていい」という判断に容易に結びつく。まあそりゃそうだろうよ。

だから、意味が感じられるようになるの、本当に大事ですよ。

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