見出し画像

日記(2020/7/1):人ともっと遊ぼう(俺が)

7/1になりました。今年も折り返し地点です。

…そんな馬鹿な…ここ半年は仕事で人生が食われていた「だけ」…だと…?

いや、本とか読み進めていたし、COVID-19が本格化している間以外は、ストレス解消も兼ねて、旨い飯も食っていた。
だから、やりたいことはちゃんとやっていた。そういう意味では「だけ」ってことはないが…

いやいやいや。あのな。そういうこっちゃねーんだよ。

***

今、冷静に振り返ると、自分のメンタル、かなりヤってますね。
やりたいことも一応はやってるのになぜ? 疲れが回復を上回っているから?
それはもちろんあるが、それより案外ボディブローのように効いているデバフがある。

何か。
「他人と顔を突き合わせて一緒に楽しく過ごせていない」ということだ。

***

これはこの前お見合いして思い知ったんだけど、俺は、「自分一人で寂しくない」という、精神安定上はメリットだが、社交性ではかなり大きなデメリットである特性がありまして。
突き詰めると「他人と顔を突き合わせて一緒に楽しく過ごそうという感情があんまりない」んです。

こんな俺を、何かにつけてテーブルゲームのセッションや同人誌即売会に誘ってくださった、職場の先輩や地元の知人の皆様には、本当に感謝しているんですよ。
人徳も愛嬌も、自分にあるとはあんまり思わないが、誘ってもらえているからな。そこは不思議なんですが、もちろん嬉しいことだし、有難うじゃ足りないくらい、有難いことです。

そして、他の方とやるテーブルゲームや、他の方のサークルで歓談しながら本を戴く同人誌即売会は、ものすごく楽しかったんですね。
(それは俺が何も考えずにゲストをやっていて、相手方がセッションにまつわる面倒事をホストとして全部引き受けて下さっているからじゃないのか? いくら何でもそのくらいのことは分かるぞ)

***

そういうことのために使う気力体力は、いつもの生活とはどうも別建ての枠で「ある」ようで、仕事で疲れていても、人付き合いは楽しいし、その間は元気なんですよ。あれは不思議なんですよね。

要は、「他人と顔を突き合わせて一緒に楽しく過ごしていると、元気が湧いてくる」。ことがある。そういうのが大事なのだろうな。
だから皆さん「他人と顔を突き合わせて一緒に楽しく過ごしたい」んだろうな。楽しいし、元気が湧いてくるし、その間は明らかにハッピーな状態だもんな。
で、そういうことがやれていないと、ハッピーは減る。そういうことなんだろうな。

***

それも、「顔を突き合わせて一緒に誰かと楽しく過ごしたい誰かさんと一緒に、ある側面ではホストゲスト関係なく、ただ単に一緒にウヒョーと遊ぶ」というのが大事なんだろうな。

***

変な話だが、親戚に言われたんですよ。
あんたは人とやっていく段になると懇切丁寧になるが、それはツアーガイドの丁寧さ、まめまめしさであって、そんなことしてると相手は観光客みたいに楽しんで、終わったら去っていくだけなんだからな?
そうなんだよな。人を誘わないで、誘われている俺が、ゲストなのに抜け抜けとホスト面して気を遣うの、本来のホスト役が、バグるぞ?

(ちなみに「ホスト面」とは長尾謙一郎が『おしゃれ手帖』とかで描くような感じのやつです)

(そのたとえ分かんねえよ)

(要するにこんなんですね)

(ますます分からなくないソレ!?)

(さらに書くと、世間的にはキャバクラやホストクラブという業態があり、
「リラックスしてバカ話していたら楽しい(外形的に魅力を感じる人とだとさらに倍)」
というメカニズムで成り立っているようにとても見えます。
ある意味、「顔を突き合わせて一緒に誰かと楽しく過ごす」ということは、そういうのに恵まれない人には、対価を払うだけのニーズがあるくらい大切なことだ、ということですね。

俺? 興味ないんですよね。それこそ、今こういう精神状態になっても、未だなお。(何なのお前))

***

で、そういう「ホストとかゲストとかを表に出してむき出しにする」と、「ただ一緒にウヒョーと遊ぶ」という話はどっか行っちゃうし、緊張を強いる。
だから、モードをカッチリと「ただ一緒にウヒョーと遊ぶ」にした方がいいんだろうな。
楽しんでもらいながら、まずは自分も楽しもう。ということが大事なのでしょう。これがたぶん今まで出来ていなかったんだろうな。
楽しんでない状態で素が出たら、楽しくなさそうな言動になってしまう。そりゃあ、自分も楽しくないのはもちろん、相手も楽しくねえよ。それで「ただ一緒にウヒョーと遊ぶ」なんか、無理や。

もっと、人と一緒に、のびのびと過ごそう。
リラックスからノリノリになってハイテンションに繋がるのが大事なんだろう。それでこその「ウヒョー」なのだし。

ただし、ここで「無理をして繋げている」というのでは、その負荷がやはり辛そうな言動として滲み出てしまう。
リラックスからのノリや、ノリからのハイテンションは、自然に流れるように出来ていたい。
それも、「あえて意図的に」やるのではなく、「え? だってやったら楽しいやつじゃん」という態度で出来れば、一番自然だよな。
そんな風になれば、「他人と顔を突き合わせて一緒に楽しく過ごす」の、きっともっとずっと楽しめるに違いない。

***

とまあ、いろいろ思うところがあり、「今の面倒事が終わったら、もっと人と一緒に遊ぼう」という気になってきました。(マスクはする)
金沢にお住まいの知り合いの方には、何か近々お声掛けすることがあるかもしれません。
あくまで、お手すきでしたら、で結構ですが、その時は一緒に遊んでやって下さい。
よろしくお願いいたします。

応援下さいまして、誠に有難うございます! 皆様のご厚志・ご祝儀は、新しい記事や自作wikiや自作小説用のための、科学啓蒙書などの資料を購入する際に、大事に使わせて頂きます。