n人称(一人称・三人称等)のバリエーション

物語を一人称で書くか三人称で書くかというのはよく論点になりますが、ふと思ってしまったんですよ。
「二人称というのはないのか?」
「この物事はこれこれこうであるように見える、という語り手の地の文がある。これは果たして三人称か? 微妙に違うので分けた方が良いのではないか?」

そんなことをしていて、調べて、まとめたのが、以下のこれです。
(Wikipedia経由なのでだいぶ雑ですし、孫引きのやつももちろんあります)

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◎人称バリエーション

〇一人称バリエーション

1:一人称主観:私は思う
2:一人称客観自己客観視:私はする
3:一人称複数形:私たちは

〇二人称バリエーション

4:二人称主観:あなたは思う(難易度高)
5:二人称客観:あなたはする
6:二人称複数形:あなたたちは

〇三人称バリエーション

7:三人称主観=(引用文中の一人称としての)不定人称:キャラは思う
8:三人称客観:キャラはする
9:三人称複数形:彼らは

◎作品内外バリエーション

〇作品内世間視点バリエーション

10:世間一人称零人称語り手・地の文:これはこうだと思われる
11:世間二人称世間の総意:これはこうだと思われているように見える
12:世間三人称外野の解釈:これはこうだ

〇作品外メタ視点バリエーション

13:作者無人称:説明しないがこうである
14:読者第四の壁の向こう:読者はこう受け取ったはずだ(難易度高)
15:客観=(一般的に誰もが行なうこととしての)不定人称:一般的にこうである

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知見の一つとして、「n人称主観と、n人称客観は、区別される」というものがあります。

本当に主観である「私は思う」と、自分のことだがちょっと距離を置いて捉える「私はする」とでは、受ける印象がだいぶ違ってきます。

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私が今考えているライフワークの小説は、超能力をも含んだ超技術体系を下敷きにしているのです(予定)。

これを踏まえて、二人称をどう実装するかというと、超能力のバリエーションで言うとテレパシー(心を読む)やエンパシー(相手の状態を感じる)の人を出して、

「私が代弁してやるが、あなたが考えていることはこうなんだ」

とか、

「私が代弁してやるが、あなたの状態はこうなんだ」

とか、そういうことを説明したら、これに若干の工夫で「二人称」と言ってよいものが出来るのではないか。という企みです。うまくいけばいいが…

特に、二人称主観、「あなたは思う」、明らかに難易度が高い。大変だ。だがチャレンジしてみるのも面白い。面白いので、いつかは実験してみよう。DIY精神!

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あと、語り手の地の文の位置づけも、ちょっと気をつけねばならないところですね。

当事者からちょっと離れたところから、「これは何かというとこういうことなんだよ」と説明するというのは、「私が」でも「あなたが」でも「彼/彼女が」でもないので、それを扱う枠組みが必要だと判断されます。

つまり、当事者から離れた、「世間的には」という枠組みです。これで「この行為は作中世間一般的にはこういう意味合いを持つ」という、「語り手の地の文」と概ね同じ効果がある。

あと、面白いんですが、これを二人称としてひっくり返すと、「あんたら本当はこう思ってるんだろ」との組み合わせで、「あんたら作中世間一般はこれをこう思ってるんだろ」という記述になりそうなのです。

「あんたら」と「作中世間一般」がかぶっている。それは単なる「あんたら」ではなく、「当の「あんたら」は他人顔をしているんだよな、わかってるんだよ、そういう態度は」という諦めの含まれた弾劾というニュアンスが生じます。

こういう風な主語の使い方、「世相を斬る」系の雑誌では確かに存在するやつですね。うまい名前が見当たらないんですが、「世間の総意」とでも言うべきでしょうか。

ちなみにこれを「あんたら世間は」と訴えかけるのではなく、「世間一般からするとこれはこうだね」とすると、他人事である世間の視点から、他人事である現場を解釈する、いわば「外野の解釈」になりますね。

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作中の論理ではなく、

作者が特に説明せずに書いていることとか、

明らかに難易度が高いのですが、読者の受け取り方を予想した書き方(「読者の皆様の中には衝撃を受けている方もいらっしゃるかもしれない」)とか、

作中に限らず一般的に事実や常識であるような事柄とか、

そういうのはまた別の枠組みを設けました。

たぶん文学ではテクスト解釈とかで大事になってくるところですが、私がまだそこまで詳しくなれてないので、文学理論を読むともっと丁寧に書いてあるかもしれません。とりあえず暫定的にはこう、程度の話です。

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これらをうまく使い分けたりかみ合わせたりしたら、あまり前例のない新鮮で面白い小説が書けるんじゃないかな(もちろん、実際に作る段になったら、そうは簡単には問屋が卸さないでしょうが、「一応そういう切り口がありうる」程度の距離感で頭の片隅に置いておくと、いつかある日便利になることもあるかと思います)。そんな感じですね。

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とりあえず、今出せる記事はここまでです。連続投稿も打ち止め。

今書いている別の代物が出来るまで、しばらくnote.muはお預けの予定です。

ご清聴ありがとうございました。お疲れさまでした。

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