アマツツミ(天津罪の意味)

自分の常識を上塗りしていくことをアマツツミ

崇神天皇以降、色々な時代で流行言葉など、
現代でも言葉が乱れています。ギャル語とか、ギャルは神ではありません、そんな人達が神を創ることなど出来るはずもない。

本来のヤマト言葉の内容に変更を加えたり、別のものに変えてしまうことを天津罪(アマツツミ)。
現代人は知らされていなかったので、自覚がなく自分達の経験だけで解釈し、都合良く変えてしまっている事、天津罪。

これがエデンの追放の話です。
人間は自己の経験、知識を優先してしまったから、自ら出ていってしまった。


精神が存在し、結びつけを行っていた。

眼前の物質世界は、
精神と1つ1つ、向き合った形で結ばれています。
これを表したのが言葉
(五十音で、父音と母音で組み合わせている)
であり、
その言葉が形になったものが、物質で物事(現象)なのです。

先に精神から、始まりがあって、それにより物質のあり方、
この物はこう云う性質があるからこの音(アとかイとかケとか)と、
ありのまま見て組んでいったもの。


今は精神と向き合わず、無視して、
最初に目の前に入ってきた物質だけを見て、自分の過去の経験や知識に結びつけて好き勝手、捉えてしまうようになってしまった。

だから個人個人が経験してきたことを元に解釈してしまう事で、捉え方が変わってしまう、
信じているものがあるので、
皆が
お互いの正義をぶつけてしまっている。
でもそれだと真理が沢山になり、人の数だけ真理が有ることになってしまう。
真理は只1つ。見えていない。

信じれば、信じるほど対立し、自分を主張してしまう。

何も起こらないことが空の世界。
何か起こることを現象の世界。

例えば
きらいな人に対しての思いは、
自分しか思っていない。
この嫌な思いは、自分の感情の中でしか起こっていない事を知る!。

これをきっかけに見つけられる。

例えば山奥に一人で行って、瞑想したとします。
じっと座っていても、嫌いな人の発言や顔がコロコロ出てきます。
出てきたとしても、
目を開けると、現実の山奥の眼前の世界には、コロコロと出てきた思いの物は、何も起こっていない。
嫌いな人は山奥にはいない。

これは感情の世界にしか起こっていないと云う事が解る、これがカルマ。


そして仏教とかで修行している人たちがやっている事は、この沸いて出てくる思い、これを1つ1つ消していくことで、その思い(カルマ)に縁を創らなくなるので、次の現実には縁起が無くなり、何も起こらない事になる。

何も起こらないのが
これが空。

さらに解るのが自分から絡んで行っていたことも解ります。
現象が起こったと云うことは、自分から縁を発生させている。
良いことも、悪いことも、現象になったと云うことは自分から撒いた種が実になったことです。
もし嫌な事がおこったなら、それは人様が起こしたものではなく、自分であること。
人のせいでないことがこの事です。

全て自分なのです。


自分が思い想念で、創り出してきたものを、消してく事でカルマが消える。
この感情を持ったまま世の中を見ていると暗くもなるし、
カルマを消し、良い思いの創造に変えれば明るくもなる。
精神と物質のカラクリを知る。

消すには、今出てきたこの感情は本来の私の感情ではこざいません!キャンセルします。で切る。
その後直ぐに引きづらず、別の事柄に思いを変える、
そこにたのしい曲でも良いし、切り替えられるものを用意するのもいいですね。
継続を立ち切って自分で自分を誘導する。

誰も自分の人生の、先を示してくれる訳ではない、所詮他人事、身内でさえ。
だから自分が創っていかなければならない。

だから他人の考えには乗ってはいけない。

同調圧力もっての他、従ってはいけない。

他人に振り回されることになる。

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