『スマイルカメレオン』第1笑

笑顔は花に喩えられる。

「これが3分咲きの笑顔、これが5分咲き、お客様の前では常に今の私の8分咲きの笑顔で接客を心掛けて下さい。」

新入社員研修の時に講師が言っていた事を菊地 春は思い出していた。

ここは、地方都市のデパートの地下1階にある惣菜売り場である。

「春君、今日の惣菜は何がおススメかい?」
と常連客の田中さんが春に尋ねた。

「田中さん、今日はこの青椒肉絲がお薦めだよ。ピーマンは身体に良いし、子どもでも食べ易いように最近のピーマンは甘くなってるしね。」

春は笑顔で答える。社会人3年目となれば、作り笑いは慣れたものだ。スマイルはプライスレスだが、笑顔で接客しなければ、その代償は高くつく。

[あそこの店員は無愛想]と悪評がたてば、あっという間に店は閑古鳥が鳴くだろう。

春は入社してから毎日、鏡の前で笑顔で挨拶する練習をしていた。笑顔で1個500円の惣菜が売れるのなら安いものだ。

春は自分が、心から笑った経験がないことに劣等感を感じていた。テレビを観ても、本を読んでも、どこか冷めた目で見てしまい、笑えないのだ。

楽しい思い出がない訳ではない。楽しいと感じる時もある。ただ、その気持ちが表情に出ないのだ。小学生の時に自分だけ笑わないのは周りに悪い気がして、出来るだけ笑ってみえる様に表情筋を動かした。

現在の春は特に趣味などはないが、友達もそこそこいるし、生活に困っている訳でもない。いわゆる、平凡な毎日を過ごしている。

午後8時になり、閉店のお知らせと『蛍の光』が店内に流れる。

「お疲れ様でした。また、明日。」

春は先輩社員とパートさんに挨拶し、デパートの裏口から地上に出た。地下にいると時間の感覚が分からなくなる。外は真っ暗で、星がちらほら輝いている。2月の風が肌寒い。

「はぁー」と白い息を吐き、春は駅の方に歩き出す。

駅前には、コンビニや全国チェーンの牛丼屋、地元の居酒屋等が建ち並ぶ。ふと、見ると春はいつもの見慣れた景色に1軒見覚えのない店が増えていることに気付いた。

「そういえば、先週から何か工事してたな・・・」
春は何となく気になり、店の中を覗いた。

「こんばんは!いらっしゃいませ。」

いきなりの大きな挨拶に春は驚いた。店の奥から黒髪のポニーテールの女性が手をブンブン振っている。一瞬、春は自分の友達の誰かかと思ったが、勿論違う。その様な錯覚を起こす位、親しげなオーラを放つ彼女は

「どうも、フラワーショップ【空】のバイト店員の椿 花です。お客様、何かお探しですか?」

と店長並の貫禄をもって春に問いかけた。

「え〜と、あの、綺麗な花だなぁと思ってつい、気になって見てたんです。」

春は職業柄かヘラっと笑いながら答えると、さっきまで、天真爛漫な笑顔だった花は少し眉をひそめた。

「お客様、無理に笑ってますね?私は今、特に面白い事も言ってないですし、真剣に話をしてます。」

春はばつが悪くなった。今まで作り笑いを見抜かれた事はなかった。そして、多分年下であろう彼女に説教されている気持ちになったからだ。

「そんなお客様には、この【アネモネ】の花を差し上げます。花を育てて、本物の笑顔になりましょう!」

花には何だか分からない迫力があった。言っていることは滅茶苦茶なのに何故か説得力がある。春はその勢いに気圧され、花の持っていた白色のアネモネが咲いている鉢を受け取る。

「あの、これいくらですか。」

「お代は頂きません。大事に育てて下さい。枯らしたら、怒りますよ!」

春は花の凛とした理不尽さに思わず苦笑した。

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