こころにもご飯。🍚

言いたいことをタイトルで全部言ってしまった。
これだけでわかる人もいるかもしれんし終わってもいいけどいくら自分のために書いてるとはいえ人様がたくさん泳いでるネットの海に投げるにはあまりに不親切。
自己理解のためにも今日は

『こころのご飯とは』
『こころのご飯の味わい方』

について書いてみます。


前からずっと思ってることやけど、昨日知り合ったミュージシャンの方と話してて音楽とかアートとかの話になって自分の口から出たのが

「身体にご飯は必要やけど同じくらいこころにもご飯っていりますよね。」

って言葉。

まずは「身体が必要なご飯」の話。
美味しいものを食べたら「美味しい!」ってゆー精神的な満足感と
お腹に食べ物が満ちる身体的な満足感が味わえる。
仲の良い友達や仲の良い友達とおしゃべりしながらのご飯の時間も幸せな感覚を味わえる。
これってみんな知っててわかりやすい。共感しやすい感覚。
自分が知ってる満足感を味わえるのと生理的欲求を満たせるって知ってるからそれに見合ったお金を対価として支払う。
飲食業とかが発展していくのはある種当たり前なんじゃなかろーかと。

次はポピュラーな方の「こころのご飯」の話。
色々あるけどここでは「映画」がわかりやすいと思うからそれで書いてみよう。
映画って観てもお腹が満たされることってない。
あるとしたらどんな映画か教えて欲しい。
ムシャムシャ観たい。
でも映画館に行ってみんなお金を払う。
お腹に溜まらないのに。
生理的な欲求を満たせるわけではないのに。
これってよく考えたら不思議じゃないですか?
でもみんななんとなく経験で知ってる。
悲しいストーリーに涙したり、心温まるストーリーにほっこりしたり、軽快なアクションシーンにハラハラしたり、ホラーで怖がったり、壮大な映像に圧倒されたり、映画を観ることによって得られる感動を味わいたいからみんなお金を払ってまで映画を観るんやと思う。
これって「こころのご飯」じゃあないですか⁇

漫画とか本とかもそうやけど極論
「生きていく上で無くても大丈夫なもの」
ですよね?
無くても生きていけるけど人生を豊かにしてくれるもの。
それがエンタメとゆーかアートには詰まってる。
それを知ってる人がたくさんいるから、そこに価値が生まれる。
ただ生きるだけじゃ無くて感動したいのが人間なんじゃないんだろーか。
こころがあるのが人間なのでは。


と、ここまではだいたいの人が知ってる
「こころのご飯」の話。

さて、そしたら
まだあんまり知らない人が多い
「こころのご飯」の話。
ここでは「美術館に行く」こととしよう。
美術館とかのいわゆるザ!アート!って感じの場所に行ったことがない人って結構いると思う。
これも僕はめっちゃ「こころのご飯」やと思ってるけど、みんなお金を払って観に行くってわけじゃない。
なんでかっていうと、他にもあるやろけど

「自分には教養がないから理解できないから。」
「今まで体験したこと無いものにお金と時間を使うのが不安。」

この2つが自分が色んな人と話してて多い気がする。

ここから、僕なりの、あえてもう一度いうと僕なりの
『こころのご飯の味わい方』
を書いてみてアートとかの謎に上がったハードルを壊したいと思います。

まず、
「自分には教養がないから理解できるか不安」
てゆー方に向けて。

僕が美術館とかに行くときに、その展示のアーティストについて全く調べずに行きます。
もちろん知ってる好きなアーティストやったら勝手に知ってる情報があるし、
「じゃーどーやって行く展示決めてるねん」て聞かれたら

「フライヤーとかがカッコよかったから」
「暇やったから」
「趣味の合う友達が薦めてくれたから」

くらいのもんです。
じゃーどー楽しむかっていうと、
まず説明書きも何も読まずにふら〜っと中を歩きます。
そしたらだいたい「何か」を感じることがあります。
例えば、

「絵うまいな」「自分にはわからんな」「この色好きかも」「なにこれ?何描いてるんや?」「これだけ他と違って◯◯やなぁ」「何も感じひんな」

強いて言うならこの感情全てが観賞の正解の1つやと思います。

自分が何か違和感を感じた作品で立ち止まって、「タイトル」か「説明書き」を読んでみて
「ホンマかいなーー」とか「いやそーやったんかいー」
ってこころの中でツッコんでみてください。
「うわ!なんかそんな感じと思ってた!!」
でも良いです。

この心の動きとかって日常で簡単に感じれるものじゃないのが今の社会やと思います。
だいたいのものに正解があってそれに向かったり従ったりして生きてる人が多いと思います。

ただ。。
アートは。。

『正解がないし自分で決めれる』んです。。。

これは生きてく上でめちゃくちゃ大事じゃないでしょうか?
例えば「お金持ちは幸せなのか」とかって良く言われる話やけど、正解のない答えを自分で出していくのが人生って大事な気がします。
それはいくら美味いもの食べるより、こころにいっぱい栄養を摂って成長させてあげることで研磨される感覚なんではないでしょうか。
そのためには色んな種類の栄養満点の「こころのごはん」を食べてあげることが大事なんじゃないかなって思います。
それは、言葉にするならば、『感動』することやと思います。

この話にぴったりな相田みつをさんの名言を貼っておきます。
皆さんが美術館とゆー非日常で感じた『違和感』に足が止まってしまうこと。
それこそが感動やと思います。
いっぱい感動してみてください。

話を戻すと、僕は説明書きを最初読まなかったり最後まで読まなかったりもしますが、あえて先に説明書きを読んでから作品を観てみるのもぜんぜんアリだと思います。
「この人の『怒り』ってこんなカタチとか色してるんか〜へぇ〜なんかわからんなぁ〜」
とかでも十二分に感動してると思います。

そして
「アーティストのこと、作品のことを調べまくってから行く」
ことも楽しみ方としてめちゃくちゃありやとも思います。
やっぱり芸術には歴史があってどんな時代背景でどんな人物がどんな作品を生み出したかって理解してみるのはまた違った感動があると思います。

僕は「こいつ多分こーゆーやつやろなぁ変なやつやなぁ〜でもここはめっちゃ共感。」
みたいな感じで楽しむ方が多いですが。笑

だいぶ長くなっちゃいましたが、
「今まで体験したこと無いものにお金と時間を使うのが不安。」
とゆー方へ。

これはもー好奇心でしかないんですが。
やっぱり
「食べたことないもの食べてみたい」
とかってどこかでありませんか⁇
例えばワニの肉とかそーゆー。
「不味そう!」とか思ってまう人もいると思うんですが、一回考えてみてください。
ワニの肉美味しいと思う人がいるから食べられてるんですよね?
もしかしたらそっち側かもしれませんよ?笑
アートも美味そうに食ってるやついっぱいいます。
食わず嫌いって勿体無いって思います。
しかもアートの世界ってワニの肉どころか
「火星人の肉」みたいな得体の知れないのが結構あったりします。
なんか嫌かも知れんけど興味は湧きませんか⁇
そーゆーの体験することで色んなことで心動いたり人生を色んなことに敏感に生きれるようになる気がします。
やから怖いかもしれへんけど一回友達と一緒にでも味見してみてください。
行ってみないと「何も感じなかった」ことも感じられませんよ。

そして最後に。
やっぱり「こころのご飯」はナマモノです。
実際に現場に足を運んでみてください。

スマホで見る写真よりきれいに現像して額装して展示してある写真が。
大きいスクリーンで見る映像が。
イヤホンじゃなくてクラブやライブハウスで皮膚やお腹を震わせる音楽が。
絵の具の立体的な塗り方が。
踊り手や役者の一挙手一投足、呼吸に至るまでの空気の空間の支配力が。

どれだけパワフルで直にこころにエネルギーを注入してくるか。
感じたことがある人にしかわかりません。
どれだけデジタル化が進んでも、
フィルムカメラのぬくもりが、レコードに針を落とす手間が、舞台小屋が、無くなることは絶対無いと言い切れるのはナマの感動を知っているからです。
少しでも多くの人がたくさん感動して
こころのご飯を美味しく食べれるようになったら良いなぁと。
祈っております。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?