読書記録

「ビギナーズ家族」小佐野 彈
家族に関する小説読みたいな〜と思ってどこかのレビューに載ってて面白そうだから読んでみた。単純に、面白かった!

グッときた表現がいくつもあって。こういう人間らしい何かってとっても素敵だよな〜と。
"まずはすべてを疑いなさい。そして、自分の頭で考えるのよ。”
そうそう、最近、疑うってことをあんまりしてなかった。だって、面倒なんだもん。でも、今より若い時は、「なんで?本当に?」って仕事だったり、世間の常識に対して結構疑問に思うことがあった。すべてを穿った目で見たり、否定する必要はないけれど、自分が受けてきた教育の中で「自分の頭で考える」もしくは「自分で決める」ということは大きな要素だったと思う。学校も然り。親も然り。私は小さい頃から、小さいことから大きなことまで、「自分で決める」ということを強要とは言わずとも、苦しみながら経験してきた方だと思う。塾に行く、行かない、行ってもいつ辞めるのか、習い事はいつまで続けるのか、部活動には何に入るのか、生徒会に入るのか、部長になるのかならないか、高校の文理の選択、科目の選択、受験校の選択、留学するのしないの、するならどこに行くの、就活はどこを受けるのか、留年するのか、どこの会社に行くのか、言い出したらキリがない。周りからのアドバイス等はあったけど、いつも「決めるのはあなただよ」だった。自分の人生に責任を持つ、自分の人生を自分で選んでいく、ということは、自分の人生を誰かに委ねない、という意味で、自分の考え方、マインドにあっている。だから、何か嫌なことがあっても私は誰も責めない。誰かのせいにしない。今一度その辺思い返して、これからも気を引き締めて前向いて生きてこうと勝手に思った。
てかさ、みんな初めての人生を懸命に生きているわけで。人として、周りと関わり合って成長しようとしている、みんながみんな成長過程。いいじゃん。なんだか完璧じゃない自分たちが、一生懸命生きる世の中。

”自分がどうしたいのか。何がやりたいのか。どう思うのか。自分の頭で考えて、行動する。自由とは。精神の清き独立”
”大切な人に誇れないようなことはしない”
独立、自由、清廉な行動をとる、そういうところに現れる要素はきっと「勇気」だと思うんだよね。日常の中で勇気を感じる、そういうことって意外と少ないと思うんだけど。ぶつかり合ったとしても、意見を言う勇気。人目が気になったとしても、善の行動を取る勇気。それはきっと、自分で考えて自分で実践する、自由でもあると思う。

”えらいぞ、さすが俺の息子やな”
普通のセリフに見えて、すごく深くないかい、と思った。私がこれを親に言われたらめちゃくちゃ嬉しいし、子供ができたら毎日でも言ってあげたい。(俺ではないけど)自画自賛も含まれ、でも子供のことも褒めて、なんだか家族全体を褒めてるみたいで、ポジティブなエネルギー溢れる言葉やな!と思ったんだよな。

ちょっと掻い摘むけど、世間が幸せにしてくれるなら、世間に気を使ってもいいかもしれないけど、そうじゃないなら、世間に阿る必要なんかないやんって。本当そうやん。会社もそうやん。よくよく、自分が誰に対して自分のエネルギーを使っているのか、それが意味あることなのか考えてみる必要があるよなって。助けてくれない存在に、こっちが遜る必要なんかないやん。

小さい時は、親含め大人は自分より長く生きているから、自分よりなんでもできて、なんでも知っている、って思ってたかもしれないけど、いやいやいや。そうでもないやん。"みんなそれぞれ知らないこと、足りないところがあるからこそ、それを教え合って補い合うから家族なんちゃうか"と。マジ目から鱗。そうだよなー。私たち、みんなまだ成長過程で、お互いから学ぶことは多いんだよな。いつまでたっても。

子供は親を守ろうとする、子供のことを、頼もしいと思う。そういうちょっとして「逆」のことって、深みがあるよな。親が子供を守るだけじゃなくて、子供だって、親のことを守ろうと、いつだって思ってる。小さなベイビー、よちよち坊主だった子がいつの間にか成長して、頼もしく思えたら、親として感無量やろうな。いいなぁなんか。

一番傷ついてきた言葉を発してしまう、それもものすごく共感できた。”住む世界が違う” 自分が一番言われたくないことを、頭に血が上ると、自分が発してしまって、この上ない嫌な気持ち、後悔の念に苛まれる。めちゃくちゃわかる。でも、それでも、自分は立ち直っていかなくちゃいけないし、家族や関わる人との溝を埋めていかなくちゃいけない。辛いけど、こういうことって、ものすごく人間らしいよね。自分の言葉は、相手に発しているようで、鏡みたいに自分に返ってくる。自分の耳でも聞いてるからね。発する言葉を気をつけるには、その元になる思考からすでに気をつけていないとな、と改めて思う。

富士登山の箇所で"怖かった、でも、もう嫌だ、でもない、くやしい、と言ったことで、成長が可視化される、光を放って”みたいな描写があって、なんて素敵なんや!!と。1年半前に、仕事においてえらい悔しい経験をして、正直自分はめちゃくちゃ成長したと思う。本当に苦しかったけど、人生を見る視座や考え方が変わった経験になった。悔しいって言葉、思いは、本気で挑む、本気で行動するからこそ出てくる気持ちであって、すごくすごく深い感情やと思う。こういう思いをたくさんたくさん重ねて、人は大きく、強く、優しくなっていくんだと思う。

本の主題とあんまり関係ないことばかり書いたけど、日本はまだ多分同性愛や家族の在り方に関してコンサバなところがたくさんあると思うけど、みんなが「それもいいやん」みたいにいろんなことを柔軟に受け入れられる、いろんな何かが当たり前、みたいになるといいなぁと思う。ぜひいろんな人にこの本読んでもらって、それぞれ違う感想を持って欲しいなと思う。

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