なんで褒めるんだろう?なんで殴っちゃダメなんだろう?
注)編集後記事のため当時のあいさつ文は削除しています。
ー「声・手・ペット・死」だから褒めるの!!殴らないの!!ー
この考えが多分僕の根っこです。
トレーナーとして言いたい事です。
擬人化してはいけないとよく言っていますが、この考えは擬人化かも知れません。
生命活動が止まる事への恐怖は生き物全部が持っていると人間の感覚で考えています。
これ自体が擬人化かも知れませんが、そこは無視して聞いてください。
ペット(犬)はほぼ必ず飼い主(人間)よりも先に死にます。
ペットを飼った時から死別へ向かって行っています。
僕もたくさんの生き物の死を見てきました。
死ぬ前って甘臭い匂いのような変な空間が出来上がります。
その空気が無くなりペットが生物としての死を迎えたときに毎回後悔します。
ペットを飼うことはペットの命に向き合うこと。
死に責任を持つこと。
だと思っています。
だから、殴ったり怒鳴ったりする恐怖トレーニングを極力使わないんです。
使いたくないんです!!
だから、使わざる得ない場面では躊躇なく使うんです。
出来るだけ少ない回数にするために、虐待しそうになる自分を認識しながら。
使うんです!!
なんの話だ?
ってなりますよね?
少し宗教めいた話になります。
「俺こんなに功徳を摘んだし死ぬのも怖くない」
「と、思う。。。」
「けど死ぬ瞬間は怖いかも知れへんし、今信じてるものを信じれなくなるかも知れん。。。」
「それが怖いから、死ぬ時にありがたい言葉(お経)を読んでくれへん?」
「安心し安定し死にたい」
その願いを叶えてあげるためにお葬式でお経を読む事が始まったらしいです。
あくまでらいしいです。
でもこの考え大好きです。
この考えが僕のトレーニングの根っこなんです。
今まで一緒に過ごしてくれたペット達が安心して死ねるように。
怖い思いをする事なく死ねるように。
僕の声が安心できて、「いい子」って言葉で嬉しい気持ちになれて。
僕の手が安心できて、撫でられるとうっとり出来て。
幸せに死んでいけるように。
恐怖心を持たないように。
そのためのトレーニングが今です。
だから、僕の声が怖いものだったらダメだし、僕の手が痛い事をする手だったらダメなんです!!
怒らない、殴らないトレーニングの目標はどこ?
ーあなたも叱ってるじゃないですかー|タカシ(福路トレーナー教室)|note
その答えが僕はこれです。
だから必要とあれば殴るし怒鳴ります。
本日もお付き合いいただきありがとうございます。
あいも変わらず訳のわからない主張で申し訳ありません。。。
スマホアプリからの投稿になります。
読みにくくて申し訳ありません。
お仕事ください
2019年5月末に出張型ドッグトレーニングスクールを始めました。 犬と飼い主の関係づくりのお手伝いをモットーにやらしてもらっています。 アイコンタクト アイコンタクト とばっかり言う地味なトレーナーです