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初めてのコメント から(支援ってなんだ?2)

おはようございます。

タカシです。

noteを始めて初めて自分の記事にコメントいただけました。

いつも独りよがりで思い込みの激しい文章を書いて他人を不快にさせているタカシです。

でもコメントいただけたことがとっても嬉しかったのでその記事について少し補足で思いを書きたいと思います。

トレーナーのnoteとして始めたのにトレーニングではない文章にコメントいただけた事がさらに嬉しかったので、出来るだけ誤解されないように思いについて言い訳したいと思っています。

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ー支援ってなんだ?ー

初コメントいただいた記事は「支援ってなんだ?」と言う本当に独りよがりな差別的文章です。

もしよかったら読んでみてください。

ータカシの思い出ー

トレーナーそれも無名の引きこもりトレーナごときが何を言うとるんな?!

と切れられそうなのでこんなことを書く前に僕の思い出に付き合ってください。

僕には知的障害のある姉がいます。

僕自身なにかしら障害を持っている可能性が高いです。

そんな僕も社会人となり臨海学校の施設職員をした後、小学校・中学校の支援級に配属されたり、学童保育の職員をしながら教員を目指していました。

ここで心を病みだして、福祉作業所に勤めだしたころには通院服薬していました。

精神科入院も経験しました。。。

自分の力が足りないためにたくさんの子どもたちの貴重な時間を奪いました。

その場限りの支援、口悪い言い方で「次の学年(小から中)へのパス支援」をしてあの子たちの人生をつぶしてしまったと思います。

心がパキッと折れてサラリーマン教師になったきっかけはよく覚えています。

授業中廊下を歩き回る生徒たち、いわゆるヤンキーが「タカシおる~」と支援級に遊びにきた時(授業中)「ここはあんた達のくるとこやない!!」と指導教諭が扉を閉めた事、それを止める事が出来なかった事、支援級の子たちに不満があった子へ「色々思い聞かせてよ。自分らにも言い分(正義)があるやろ?」ってきれいごと言ってって扉閉めたんです。。。

止める事が出来なかった自分、偽善者な自分、そんな自分が教育・福祉の業界でお金をもらって生きていたこと、反省や罪滅ぼしと言うことではなく自分への言い訳・自己満足のためにこんな文章を書いています。

ー謝ったら負けなんか?ー

ここら辺から本題です。

娘のクラスで説明会があったみたいです。

生徒たちが支援級の先生に質問をして先生が答えてくれる。

授業計画をつぶしてまで生徒たちに説明をしてくれたことは感謝しています。

ただ。。。

娘の話しを聞くと「意味あったんかな?」って思います。

「みんな納得できたん?」って聞くと「わかったこともあるけど、わからへん。。。」「聞いた事と違うんやもん」って言ってました。

「先生が甘やかして最初に怒らなかったのが悪いんちゃうん?」

「ひどくなるまでほっておいたから。」

と言う質問のような文句が出たそうです。

その答えがみんなほしかったんです。

でも答えは聞けなかったそうです。

「学年の途中から支援級に行く子もいます。」

みたいな答えが返ってきたそうです。

子ども達の疑問に答えていませんよね?

ごまかしただけだと娘は言っています。

この話を聞いて「そりゃ多感な時期にこんな対応とられたら他人を信じれなくなるわな。。。」って思いました。

トレーナー目線で考えたら子どもたちの言っていることは当然です。

問題になる前の小さな問題。

声掛け(注意レベルですらない)支援で修正できたかもしれない場所を無視して手に負えなくなった問題でやっと対応する。

その遅れが今になったんじゃないか?

って聞いてるんです。

そうですよね?

だからこそ何故そういった対応になったか?子供たちに説明してあげましょうよ。

先生はどう思い、どう考え支援してきたか?

その判断の結果今になった。

それは先生の判断ミスだった。

でも、その子やクラスのために何が出来るか考えた結果だった。

ってまず言ってあげましょうよ。

今その問題が起きているということは先生の判断は間違っていたんです。

結果がそれなんだから。

でも無視してたわけではない、一生懸命取り組んでいた。

それでいいじゃないですか?

先生は絶対にミスをしない、だって先生だから。

それで子どもたちを導こうとすれば子どもを馬鹿にしすぎです。

先生は先に生まれただけでみんなと同じ人間だからミスもする、でもそのミスを認めミスから学び成長できる。

完璧な大人はいないけど、反省と学習が出来る大人はたくさんいるよ。

って教えてあげるのはダメなんですか?

ーいじめについて(動物屋さんから一言)ー

このことを書くと本を一冊書いても書ききれません。

だから本当にさわりだけ。

「動物にもいじめはあるよ。自分のストレスを発散するために他者攻撃もするよ。動物は本能のまま生きてるからいじめもストレートよ。」

「人間も動物なんだからその本能はどこかにあるの。」

「でも、理性があるから本能を抑えることが出来るだけ。」

「そんな気持ちはない!!」

「って否定だけはやめて」

「どこかにある本能を見つけてコントロールしてあげないと」

「本能が理性に勝ったら、理性は言い訳するよ」

「私は悪くない!!あいつはイジメられて当然だ!!って」

「だって汚い自分はいややもんね」

ー流行の技術(ABA?)ー

僕のトレーニングの主軸になっているのが応用行動分析学です。

いまはABA支援方とか言われてますかね?

大ブームですよね。

この流行とっても怖く感じています。

この支援方を実行していらっしゃる方はわかってくれると思いますが。

簡単に対象者の行動を変えることが出来ます。

問題行動を減らすことが出来ます。

それって怖くないですか?

対象者の思い考えを否定してでも自分の思い通りに行動を変化させることが出来るってことです。

テクニックだけに頼っていくとそこに簡単に落ちれます。

言いたいことが上手くまとまりませんが行動を変えるってことはその人を変えるってことです。

行動分析は対象行動を機械的に分析する学問です。

でも対象者は機械ではありません。

その行動には行動の意味だけではなく思いや考えがあるんです。

意味だけを考えて機械的に対応できる技術がABAです。

だからこそ心を無視すると「対象者は意思疎通が取れない、ってことは心もない、ってことは対象をコントロールするべきだ」ってあの容疑者と同じ考えに落ちますよね。

他人をコントロールできた時の達成感(快感)は生物の本能です。

それは支援者側に強力な報酬が払われています。

その報酬に飲まれないように理性がいるんです。

ー心の無視ー

愚痴になります。

僕が初めて支援級に配属された時はTEACCH支援方大ブームでした。

僕自身知らない技術で初めて体験していましたが、大っ嫌いな技術でした。

その後自分が勉強してみると素晴らしい支援方だったのですが。。。

なぜ嫌いだったか?

使う人の問題です。

その当時TEACCH支援方で有名な先生が僕の指導教諭でした。

有名と言ってもその市で有名ぐらいです。

その先生が「魔法の輪」と呼んでいたフラフープがあります。

それが大っ嫌いでした。

自閉で走り回る子どもがいました。

当然、朝礼でもウロウロです。

「魔法の輪」を先生は頭からスーッとかけるんです。

するとどうでしょう?

その子は輪からでなくなりピシッと朝礼を受けることが出来ました。

率直に「気持ち悪い!!」って思いました。

異常な雰囲気でした。

TEACCHの悪用以外の何物でもなく虐待に等しい人格否定だと今なら言えます。

でもあの時は「なにかおかしい。。。」「こんなの教育でも支援でもない。。。」ぐらいにしか思えませんでした。

有名な先生は数回の講習を受けた後、使って結果を出したから有名でした先生たちの勉強会で講師までできるぐらいには。

今のABAも似たようなもんでしょうね。

以前書いた母への愚痴で「古武術介護が流行ってるときに自分の技術を客引きに使われた」みたいな愚痴を書きました。

それも同じです。

歩いている人をその人の意志に関係なく目的の場所まで歩かせることが出来る。

方向転換をさせることが出来る。

僕は技術としてできます。

動物の勉強をし、弓道で人の重心を考え、人や動物の重心を動かしさえすれば(力の方向を変えれば)自由に方向転換できる事を知っています。

だからこそその人の心を無視してはいけないって言いたかっただけの世間話です。

自分の思っている場所と違う場所になぜか進む自分。。。

めっちゃ怖いよね?

って。

流行で強力な技術ほど人を無視できるのに支援と言う言葉で着飾ること簡単だって言いたかったんです。

ー言いたかったことー

だから

支援ってなんだ?

なんです。

何かしないといけないし、何かするには難しすぎる。

答えもなくウロウロウロウロ。。。

僕のように心を病んで逃げることが出来た人間はまだ幸せかもしれません。

あっちこっちに落とし穴がある道を必死に歩く大変な仕事です。

対象者を成長させることが支援ではなく自分が成長させてもらうのが支援かもしれません。

落とし穴に落ちないように。

落ちても気づかないんです。。。

「この人のために」って言い訳が出来るから。

どこの穴に落ちるか?

這い上がってこれるか?

だけの違いで

有名な先生になるか?

妄想に取りつかれた容疑者になるか?

って言いたかったんです。

いつも「あれ今穴に落ちそうやった?」って思えることが大事じゃないかなぁ?


相変わらず訳の分からない文章にお付き合いいただきありがとうございました。

独りよがりで気分を悪くさせた方ほんとうに申し訳ありません。

これを書いてて思い出しました。

中学校の時「何睨んでんな!!」って言われたことがあります。

教師に。

言われるようなことをしてたんだと思います。

僕が悪かったんです。

その教師は謝ってくれました。

「タカシ君は目が悪かったんやね。。。」って。

親にw

その一言が教師不振のきっかけです。

悪いのは俺って理解して反省もしてました。

僕にそう言うなら「僕が悪いっすから、でもそこまで気を配ってくれてありがとう」って大好きな教師になったと思います。

わざわざ親に言いに来た(懇談?)が不振なんです。

「ああ、問題にされるのが嫌なんだなぁ~」って。

「俺は反省も出来んガキやと思われてんやなぁ~」って。


2019年5月末に出張型ドッグトレーニングスクールを始めました。 犬と飼い主の関係づくりのお手伝いをモットーにやらしてもらっています。 アイコンタクト アイコンタクト とばっかり言う地味なトレーナーです