無知=不幸?

この駄文を読んでくれている人の中に、この画像を見たことがありますある人はいるだろうか?

この画像、自分が初めて見たときには特に何も感じなかった。この画像を見かける前から「読書は人生を豊かにする」といったフレーズはよく聞いていたから。

読書をすれば世界が広がり今までとは違った視点で、あるいは高い視座で物事を、世界を見ることができるようになる、、、そんなことを言いたい画像なのかな、と思っていた。

その時はそんなメッセージと捉え、「確かにそうだよな」とおおよそ肯定的な意見を持っていた。

しかし最近、少し思うことがあり、改めてこの画像を見て自分の考えがこの画像を初めて見た時とまるで違うことに気付かされた。

この画像を見ると、三人の人間がいる。「本を読まない人間」「本をある程度読む人間」「多くの本を読む人間」の三人だ。
そしてそれぞれの人間が見ている光景は異なる。

「本を読まない人間」はとてもほのぼのとした、花が咲き蝶が舞うお花畑。
「本をある程度読む人間」は荒廃した、いかにも希望がない絶望的な風景。
「多くの本を読む人間」は、絶望的な風景を超えた先にある真っ青に広がる青空。

この画像から自分が感じたメッセージを文字にするとこうだ。

本を読まない人間は視座が低く、その代わり悩み事もない、偽りの綺麗な風景に疑問もなく夢中になる。ある程度本を読む人間は世界の不完全さ、醜さに絶望しする。多くの本を読む人間はそういった絶望の中でも真理に気づき、絶望から抜け出して広い世界を見ることができる。

このように文字にしてみると、「本を読まない人間」が程度の低い人間だと思ってしまわないか?
自分はそう思った。この画像を見たときもそう思ったし、それに対しては概ね同感だった。


いまは違う。
よく見てほしい。
「本を読まない人間」の方が「多くの本を読む人間」が見ている景色よりも綺麗ではないか・・・?

様々な知識を得て、自分が今まで信じてきた「幸せ」が大したものではなかったと知る、これほどの絶望があるだろうか。
広い世界など知らずに、比較対象などなく、自分の目の前にある幸せをただ純粋に享受する。それこそが自分にとっての最高の幸せなのではないのか。そう感じてしまった。

比較するということ。
これは学問以外にメリットとなることがあるのだろうか?
わたしはないと思っている。

破滅的かもしれないが、進歩のない考えかもしれないが、今の自分が感じたことはそうだ。

そう思っている今の自分はこの画像でいう「本をある程度読む人間」なのだろう。
早く広い空を見てみたいものだ。

やっぱりこの画像、すごい。

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