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MEN 同じ顔の男たち

なんとなく面白そうだなーと思っていたときに、友人が先に観ていて「最後目を開けられなかった」「感想が知りたい」「女性は経験したことのある怖さでした」との後押しもあって、映画館でみた。なお、イギリス英語なホラー映画である。

美しい田園にエスケープ

田舎というのは森林や自然、風景がとても美しい。主人公のハーパーは目の前で夫が死んでいくシーンを目撃し、その心の傷を癒しにある村へ訪れる。

見渡す限りの新緑、古いトンネルに反響する自分の声、突然降り出す雨とその水で光る葉っぱ、綺麗な空と、自分と自然しかない空間。

泊まる場所も昔ながらのカントリーハウスでガラスが多く、日当たりも良く、小さなグランドピアノや暖炉、かわいいキッチンに猫足のバスタブ。庭にはリンゴの木。

彼女を癒す以外のものはないような空間を、自分で探して見つけてやってきたのである。

彼女を嫌な気持ちにさせるものたち

そんな、心を癒す、のびのびすごすために自分の金で借りた場所に、不躾なひとたちは当たり前のように存在する。同じ顔をした、その村の住人たちである。

なぜか、彼女、ハーパーが出かけた場所には同じ顔の男しか現れない。まず、借りる家の庭に育っていたリンゴを食べた彼女は、大家のジェフリーから「リンゴを食べましたね」と言われ、「ええ」と返すと「それはいけない禁断の果実だ」と反応に困る会話をされる。

ジェフリーはなにかとハーパーを気にかけるような態度を示すが、あまりにも強く「できる」というのでお願いすると「やっぱり手助けが欲しかった」と言ってきたりはする。基本的にジェフリーは踏み込んでくるタイプで、踏み込んでくる割には回収してこないしこちらに理解や同調を求めたり、おもしろいと反応を返してくるかどうかを見てきている。しかし返すことを強要せず、あきらめて次の話にいくので、目的が不明なタイプである。

次に出会うのは、豊かな自然を楽しんだ後にハーパーがトンネルで自分の声が反響するのを楽しんでいたら、向こう側から叫びながら走ってくる男である。ハーパーのせいで起きたのかもしれないが、ここから一気に不穏な空気がはじまる。

女性の人生と顔が同じ男

この映画の感想を一言で言うと「ちょっとよくわかんない」だったのだが、それは出てくるモチーフや、ハーパーに起きたある夜と話の関連性、村の男の正体、なぜ同じ顔だったのかの回収がなく、現実と妄想と時系列と場所がたまに狂っていたからだ。不思議な映画である。

それだけだと「駄作」に偏ってしまう中で、この映画は絶妙な不快感、女性がこれまで知っている・知らない男性から受けたことのある仕打ちがリアルに描かれているから、ドラマ部分がしっかりと成り立っているのかもしれない。

ここで出てくる男たちはまじで気持ちが悪い。

露出狂や痴漢、走って追いかけてくる正体の見えない男。遊ぼうよと声をかけてきて丁寧に断ると、クソ女など侮辱してくるやつ、こちらを助けるふりをして下心見え見えの気持ち悪い理屈をぶつけてくる人、危害を加えられた女性へ「それは気のせい」とか言ってくるやつ。何も理解しようとしないくせに、こちらの愛と理解を求めるやつ。

わたしもこれまでの人生で全員と出会ったなと思い返す。

ハーパーは受け入れることはなく、その場を立ち去ったり、言い返しキレる。まずもって初対面だし、関係性もないからキレて当然である。

しかし相手は、話したその人が"女性"であった、「自分は女性と話せた」ということで己の欲を満たした気になり、次のステップがある、また話せる、その女性に対して妄想を膨らませていく。中身のことは飛ぶ。

唯一、同じ顔で描かれない特別な存在である、元夫のジェームズも、泣き叫び喚き、愛が足りないという。それは愛ではなく支配なのだが、ハーパーは愛する夫をきちんと愛し、丁寧に向き合う。でもジェームズは、どうして欲しいかすら言えず、ハーパーに全てをぶつけ続け、喚く。それならば死ぬという。

男性が女性にぶつけてくるもの

この映画のクライマックスシーンはほんとうに気味が悪い。意味がわからない。でも、ハーパーが叫ばずにどんどんと静かに冷めていくところは理解ができる。

ああいう気持ちになったことはたくさんある。

初対面でどんどん近くに寄ってくる人、不要な手助けを断ると「そんな言い方ない!君が困ってるから助けてあげようと!」と言ってくる。ろくに会話したこともないのに「僕が付き合ってあげてもいいよ」と言ってくる。その身勝手さ。

こちらのことは全く見えておらず、空想の中にいる"女性"と一致することを強要する。だから会話が成立しない。する気すらない。

押し付けられた理想を跳ね返すと驚く。理解のない女、図々しい女、しつけのない女とする。本当に自分を苦しめてるものに気づこうともせず、他人に、"女"にひたすらに求めるその愚かさ。

人間として欲情する、人間として愛を与えることが難しいのかもしれない。象徴的に現れる場面を冷めた気持ちで眺め、そっと距離を置く。彼らの目的は"(若い)女"といる自分に酔うだけで、僕も女に〇〇を与えたんだと理屈を作り上げ、実際は搾取する。

だから、最後15分間のハーパーが冷めていく気持ち、ラストシーンのセリフが理解できるのである。

顔が知覚できたとしても

ハーパーは愛する夫ジェームズへの罪の意識に苛まれる。それは、ジェームズがかけた呪いである。見知らぬ男性からだけでなく、愛した人から傷を受けることもある。

愛した人が上手に隠していたとしても、時が立ち、依存が進むと、隠れていた、その人の女性への妄想をぶつけられることがある。むしろ、それを受け入れるか、ぶち壊すかを付き合うことになる。

大抵そういう要求をしてくる人は過剰であるので、お互いに傷をつけてしまう。会話が成立しない場合、相手に一方的に要求を押し付ける場合、相手の人生を犠牲にするのが当然なこともある。

ハーパーを癒すものは?

ハーパーは結局、田舎の美しい風景で美しいカントリーハウスで癒されようとして、ホラーのなかに巻き込まれ、村に現れた"女性"であるが故に放っておかれない嫌な夜を過ごした。

ハーパーはありきたりなホラーヒロインとは違うので、立ち向かって、対峙して、呆れて、冷ややかに、ようやく朝が来て終わる。

ハーパーは、だれから、どこから癒されるのだろうか。愛を求められ、理想を求められ、突然性欲の解消先とされ、罪悪感、支配、遊び相手、話し相手、そのエネルギーはどう作れば良いのだろうか。

MEN

やはりこう書いて見ても、この映画が言いたいことは理解しきれない。現れる男性が気持ち悪いことはとてつもなく良く分かったし、なんなら過去の自分の気持ち悪い体験すら思い返した。

途中、ケルト神話のモチーフが出るものの、漫⭐︎画太郎みたいに見える瞬間もあり、整合性が取れない。夢なのか現実なのかも。

心に残る気持ち悪さが、不穏さのあるドラマに近い。精神攻撃に近い?ぎゃあキモいこいつ!みたいな感じ。

多分二度と見ることはないけど、解釈について語り合うことのできる映画ではあるから、クソ映画とは一線を画した良作でもある。むしろ、わかりやすさに溢れた作品のなかで、重要な作品かもしれない。

被害者ヅラをして相手を支配しようとする人や、知らない土地や田舎には、変な習慣が根付いてることもあるから気をつけよう、「あー…スタンガンいるな」と思える防犯意識高まる作品でございました。おお怖。

男女ともにおすすめはしませんが、女性のいる世界(急に見知らぬ他人に搾取される・消費される感覚)を理解したいと思った方は勇気を出してどうぞ。

そんな目に遭わず健やかに暮らしたいからほっといてほしいわほんと。

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