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人生を変えるには、劇的な出会いとか、衝撃的な体験が必要だと思う

子どもに「勉強をしなさい」と言う。
社員や部下に「一生懸命働きなさい」と言う。
自分自身に「もっと頑張れ」と言う。

「もうお酒をやめよう」とか、
「変な男と付き合うのはやめよう」とか。
でも次の日になればそんなことは忘れて、
また同じような日常に戻ってしまう。

すごく簡単なことなのに、
その簡単なことができない。
お酒が好きな人間なら誰しも一度くらいは、「もうお酒はやめよう」と、二日酔いの朝に思ったことがあるに違いない。

でも人間は相変わらず毎日同じことを続ける。
「家に帰ったら毎日ゲームしている」と言う同僚の話を聞いて、「なぜ空いた時間に勉強しないのだろう?」と疑問に思ったことがある。

でも私自身、大学を卒業するまでは、勉強なんて全然していなかった。学校で必要な勉強は真面目にやっていたけれど、家で勉強するのはテスト前くらいで、能力を高めるために自分に投資することもなかった。

友達とお酒を飲んで、クラブで踊っていれば幸せだった。学校で習うような勉強も、仕事も全部クソだと思っていた。

ところが大学を卒業してから、毎日自主的に勉強をするようになった。キッカケは無職になったからだった。働くことが嫌で、会社に所属せずに大学を卒業し、そして無職になった。

お金はなかったけど時間だけは誰よりもたくさんあって、ブックオフやアマゾンマーケットプライスで本を買いまくった。その時に300円くらいで買ったのが、『金持ち父さん貧乏父さん』という本だった。

金持ちはお金のためには働かない

『金持ち父さん貧乏父さん』

22歳だった私は、
この言葉に衝撃を受けた。
生活するためにはお金を稼がなければならない。
お金を稼ぐためには一生懸命働かなければならない。

高校に進学したのはそれが当たり前だと思っていたからで、大学に進学したのは、世間的に見て良い会社に就職するためだった。
でもその常識が、たった1冊の本によって吹き飛んでしまった。

この日をきっかけに、私は誰よりも真面目に勉強するようになった。でもその勉強は、テストで良い点を取るためではなく、実社会で良い点を取るためのものだった。

無職になって、何もなくなったことで、嫌でも人生について考えざるを得なくなった。何もしなければ、死んでしまうからで、その切迫感によって、俗に言う意識高い系になることを強いられた。

でも本以上に人生を変えてくれたのは、現実の人との出会いだった。
周りにいる5人の収入が将来の自分の収入といった話を聞いたことがないだろうか?

私はこの話は事実だと思う。

プライベートでは、大体同じレベルの人間がつるむので、自然と同じような未来を持つ人間が集まる。金持ちと貧乏人では話が合わないし、意識高い系と意識が低い人間とでは、お互いがお互いにイライラすることになるからだ。

会社でも、特定の会社に入社する人間というのは、大体同じレベルの人間が集まる。低レベルの会社に入ってしまった人は、ソリが合わず転職するし、高いレベルの会社には、仕事のできない人間は入れないし、仮に入れてもついていけずに辞める。

思うに、同じような人たちに囲まれて生きると、その生活が落ち着くので、無理して人生を変えようとは思わなくなる。自分がヤバいってことに気づけなくなる。

会社で働くうえで感じるのは、良くも悪くも、会社には会社員しかいない。一方で、外の世界には、良くも悪くも、会社員になれなかったような人間しかいない。

もしも会社員としての生活に疑問を感じているなら、会社の外の人間と話してみるのが良いと思う。会社の上司とか、同僚に相談しても、「3年は我慢」とか、「どこ行っても同じだよ」とか、そんな言葉くらいしかもらえないのだから。

会社の外で生きている人間は、良い意味でも悪い意味でも、常識に囚われていない。そして、自分の知らない世界の存在を教えてくれる。本で読んだ情報や、ネットで見た情報では、なかなか人生は変わらない。
現実感がないからだ。

心からある言葉を信じたいのなら、それを実際に自分の目で見てみるとか、経験してみることが一番だと思う。初めて『金持ち父さん貧乏父さん』を読んだ時、書いてあることが本当かどうかわからなかった。
本当だと思いたかったけど、自分の家族はみんな会社員だし、お金持ちの知り合いもいなかった。

金持ち父さんに書いてある話が本当にあると理解したのは、現実の人生である人と出会ってからだった。その人と出会ってから、『金持ち父さん貧乏父さん』で、ロバート・キヨサキが言っていることは、現実の世界の話なのだと知った。

そして、現実の話だと知った次の日に、人生を変えるようなやる気が出た。無職だった私は、手当たり次第に企業に履歴書を送りまくった。働くことなんて人生で最も無駄なことだと思っていたのに、片っ端から企業宛に履歴書を送りまくった。

もしも、もしも劇的な出会いがなかったら、私はニートか、よくてフリーターか、あるいは、最悪の場合、ホームレスになっていたかもしれない。世の中には、ニートや引きこもりの人たちがたくさんいるし、「今さえ良ければ良い」と、フリーター生活を続ける人たちもいる。

私もそういう人たちと変わりなかった。そういう人たちと唯一違ったのは、人生が変わるような出会いを経験したかどうかだけだと思う。

世の中には、「お酒がやめられない」とか、「虐待をやめられない」とか、「ギャンブルをやめられない」とか、地獄の一歩手前で足掻いている人たちがたくさんいる。そういう人たちに対して、親や家族、ソーシャルワーカーなんかは、とても面倒見がよくて優しいから、必死に人生を変えてあげようとする。

でも私は、人はそんなに簡単に変えられないと思っている。人を変えるには、劇的な出会いか、衝撃的な体験が必要だと思う。

出会いっていうのは、
例えばこういうの。

衝撃的な体験というのは、お酒の失敗で、街中で糞尿を垂れ流しながら心底自分のことが嫌になるとか、ギャンブルをやめられずに家庭も仕事も失うとか。

「まだいける」と思うと、外部の人間がどれだけ説得しても、人は何度でも同じことを繰り返す。「ヤバいヤバイ」とスリルを味わいながら、アル中の人間が仕事中にお酒を飲んだりする。

衝撃的な体験というのは、良いものである場合もある。例えば、高級ホテルからの眺めが良かったから、「ここにもう一度泊まるために頑張ろう」とか、好きな人との間に子供ができて、「この子のために頑張ろう」とか。

でも、依存症について言えば、何もかも失うとか、心底自分を嫌になるような体験が必要だと思う。うまくいかなければ破滅するし、衝撃的な体験をしたがために、より破滅していく人間もいる。

でも思うに、元々破滅に向かっているのだから、確かに何割かは戻ってこれないかもしれないけれど、戻ってこれる何割かに賭けるべきだと思う。だから破滅の道を歩んでいる人間に言えるのは、「そのまま進め」ということだ。止めるべきではなく、徹底的に進ませるのだ。

行くべきところまで行ってしまったなら、ソフトランディングはあり得ない。行くべきところまで行った人間は、まともな方法では助からない。であれば、ハードランディングで、一かバチか助かる道を選ぶ方が期待値が高いと思う。

人生なんてそう簡単に変わらない。人はそんなに簡単に変えられない。もしも心の底から人生を変えたいと思っているのなら、劇的な出会いとか、それまでの自分の見てきたものや、考えてきたことが、ひっくり返ってしまうような、そんな体験を。

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