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半年で15キロ減量していた話

「三勤一休ダイエット」に挑戦してみたところ、半年間で体重-15キロ、ウエスト-12センチの減量に成功し、「LLサイズの服がキツイ」という絶望から、私は脱出することができた。

野上浩一郎さんの提唱するこのダイエット法は、今までダイエットに挑戦したことのなかった私でも試すことができ、また、確固とした結果を残すことと相成る。野上さんには本当に感謝している。現在二度目の「停滞期」に入り、体重の推移が若干増加傾向にあるが、あと数日もすればそれもまた抜け出すであろう、と、そう予測できるので楽観視している。
この「三勤一休ダイエット」は、極端な食事制限や、過度の運動を推奨していない。そういった方法で減量できたとしても「それを続けなければ痩せた体をキープできない」という現実を、同時に創造してしまうからだ。それについて野上さんは「ダイエットをイベント化しない」といった言葉で表現している。

二十代の頃の私は「幾ら食べても太らない体質」でありながら「どうしてそんなに細いの?」と、常に誰かに言われるような体型をしていた。実際自分でも、そんな自分の「どんなに食べても太らない」といった特性を、いたく気に入っていたし、当時は自己肯定感が低く劣等感が強かったために、同世代の女性と自分自身の体型を比べ、内心、「私の方が痩せている」と、優越感を抱くことでしか自分を肯定できない、可哀想な人間であった。
二十代も後半に差し掛かっても、それまでのような食生活を続けていた結果、数年で腹部に脂肪がつき、数か月前まで問題なく履けていたスカートが窮屈になり、ファスナーが壊れ続けるような事件(事故)が相次いだ。この時私は「太り始める自分」に気が付いていたものの、教養をつけないままに「サラダ中心の食事」をするとか、「スクワットを毎日やる」といった習慣を始めようとしたのであるが、ただなんとなく始めたそれが継続するわけもなく、結局三日坊主となり、体重もウエストもその数値を増やすばかりであった。
今までの「食べても太らないからもっと食べる」とか「好きな時に、好きなものを、好きなだけ食べる」といった、傍若無人とも取れるその生き方はもう続けることができなかったし、太ることで当然、「他者と比較し優越感に浸ること」も、もうできなくなっていた。それどころか、あれだけ見下していた「太った人間」に自分がなろうとしていることに、当時の私は耐えられず、「もう人より勝る部分がない」とか「自分の長所は何もない」などと暗く塞ぎ込み、心の中の憂鬱な影を強くしていたのだが、今となって思えばそれも、馬鹿らしい笑い話でしかない。自己肯定感の低さが、人間のそういった「醜態(それは「肉体」ではなく「精神」についての醜さである)」を作り出し、心身を蝕む動機としてしまうのは、いささか憂慮すべき問題だ。それ以後私は心理学を勉強する機会に恵まれ、この「太ったら生きる価値なし」といった下らない自己否定感を手放すことができたものの、体は重くなり続ける一方であった。

徐々に太り始めてから五年程度が経ち、私はその間でおよそ20キロ体重が増加していた。しかし、重くなり続ける肉体に反して、精神の方はといえば全くその逆であった。心は軽くなり日々統合を繰り返し、人間の価値を測ること自体しなくなっていた。体や顔の形状で自他の優劣は決まらないと真に感じていたし、他人と自分を比べることや、そこから良し悪しの判断をつけることは、一切なくなっていた。
体重が増えるようになる前までの私は、Mサイズの洋服しか着たことがなかったのだが、20キロ増量してからは「Lサイズが入らない」「LLサイズもギリギリ」といった状況に陥っていた。太ることが全て「悪」とは限らないし、肉体の状態だけで、人生の幸福度や充実度は決定しない。それに、心理学を勉強し自分と向き合った私からすれば、「他人にどう思われるか」は大した問題ではなく、自分が周囲の人間にどう見られているかは、気にするに至らなかった。
しかしそんな私が「ダイエットをしよう」「痩せよう」と決意したのは、太ったことで着られなくなった服を整理し、「また少し大きいサイズの服を買わなくては」と、考えた時であった。そんな経緯で洋服を買うのは決して喜ばしいことではないし、ましてや、こんなことにお金を使うことは、私にとって「不幸」な「浪費」でしかなかった。

「ダイエット」と聞くと、好きな食べ物を一切口にせず、質素な食事を続け、我慢を強いり、耐え抜き、奥歯を噛みしめながら激しい運動を重ね、常に自分の肉体と精神に鞭を打ち続けるような、そんな「軍人」のような光景が思い浮かぶ。LLサイズの洋服になんとか四肢をねじ込んでいた頃の私は、ダイエットに対して、そんな固く冷たいイメージばかりを抱いていた。
「痩せよう」と考えた私は、まずYouTubeを調べ、興味を引く動画を片っ端から視聴し、必要な知識を得た。それを元にネット記事などを読み、そこから最適な「書籍」を探し、今回私が試した「三勤一休ダイエット」に辿り着くこととなる。

「三勤一休ダイエット」の仕組みを簡単に説明すると、「①高脂質・高糖質にあたるNG30品の食事は、OFF日に一食のみ摂ってよい」「②ON日は16時間ファスティングを心掛け、NGの食品を摂らない」「③ONとOFFは三日:一日の割合で設定する」「④そしてその食事内容を、体重・体脂肪の数値と共に毎日記録する」たったこれだけだ。NGに設定されている食事の中には私の大好物であるトンカツやお好み焼きなども含まれていたものの、好きだからといって毎日は食べないし、本当に食べたければ「一休」であるOFF日に食べることができる。その上、NGに該当していない物であれば、当然、ON日に食べても構わないのだ。元々食べることが好きで「好きな時に好きなだけ食べる」などと宣っていた私にとって、それは夢のような提案でしかない。
ちなみに野上さんの著書『3か月で自然に痩せていく仕組み』の中でも、運動についてはあまり言及されていない。それまで「血と汗を流す軍人のようなダイエッター達」をイメージしていた私にとって、この「三勤一休ダイエット」は青天の霹靂であり、その単純明快さや、ストレス値の低さから、私は翌日に書店に向かい本を購入し、その日から「三勤一休ダイエット」を開始したのだ。

ダイエット中の体重の推移や、その当時の自分の心理状況について思い出して書こうと思ったが、このダイエット方法はあまりにも「自然」で、特出したことがほとんどなく、正直レポートをまとめるには不足している。「ダイエットをイベント化しない」というのは、「痩せることを特別な儀式」とするのではなく、「太らない生活に切り替えていく」という意味を持っている。私はそれに成功し、今ではもう「ダイエットをしている」という意識はほとんどない。これは、自分の生活習慣や思考が、見事に上書きされたことを意味する。
正直、「こんなに簡単に痩せるの?」と今でも疑っている。過激なダイエット広告や、極端に肉体を痛めつけるトレーニングなど、刺激の強い情報に騙されていただけで、私達の体はもっと単純に、楽に、変化させられるのではないのか?と、そんなことさえ考えてしまうほどだ。しかしそういったある種の「洗脳」を自分で解くことができれば、「ダイエットに成功しない人生」から抜け出すことができ、そうなることで、一部の人間のお金稼ぎに、貢献しなくて済むようになるのかもしれない。

ダイエットを始めてから、まだ洋服を買いに行っていない。しかし次に買い物に行く際は、晴れやかな気持ちで商品を手に取ることができるであろう。「三勤一休ダイエット」はまだまだ続ける。目標は特にない。強いて言うならば「続けること」が、今の目標だ。

七月七日 戸部井