過去の記憶

忘れていたことがふと思い出されることはよくあると思う。
それは特に嫌な記憶で多いような気がする。
人によってはそんなの気にしかければいいというかもしれないが、それができないからこそ悩み続けるのだと思う。
僕は小学生の頃、揶揄われてよく泣かされていた。
揶揄われる原因は僕にもあった(昔からかなり抜けていた)が、それもその時僕が揶揄われていたことはまりがいないだろうし、小学高学年時は学校に行くのが嫌な日が多かった。
今の時代に生きていたら僕は不登校になっていた気もする。
人は攻撃の対象を見つけるとよってたかって攻撃したりする。
本当はそこまで攻撃しようとしていなかった人も、面白がったり、もしくは自分が攻撃対象になりたくないから攻撃する側に回ったりする。
今その記憶は残っっていて、ふと日常の中で嫌なことがあったりするとその時に感じた嫌な感覚、孤独な感覚が蘇ってくる。
今も不安なことがあると一気にその負のループがやってきて人を全く信じられなくなる時がある。
信頼している人とも連絡取るのが嫌になったり、このまま世界から消え去りたいと思ったりする。
以前鬱について書いたことがあったが、今思えばあの頃がその症状の最たるものであったが、その症状は今も見え隠れしている。
この症状はグループの中で疎外感を感じると非常に大きく出る気がする。
それは去年にもあったのだけれど、その時はグループから信用できないとか、SNSでブロックされたということが大きく影響し生きる気力も無くしていた。
幸い状況を自分で変えることができ、それ以上ひどくなることはなかったがあの時状況を変えられなかったらもっと酷いことになっていたと思う。
もちろんそうなることに自分にも原因、よくない点はあったと思う。
とはいえ、権力者から信用できないとか無視され続けられることは非常にきつかった。
時がたった今、その人達は今も普通に生きている、その人達も僕のように当時苦しんだのだろうか、今も苦しんでいるのだろうか。
僕だけが被害者ではないのはわかっている。
それも、僕の苦しさは誰かに伝えたかった。
僕みたいに生きている人は多いと思う。
その人達は自責の念と、自分だけがいけなかったのかという苦しみを抱えながら生きているのだと思う。
僕も人を傷つける言葉を発したことはあるから善人面は出来ない、だけど、家族、そして子供を持った今、人を傷つけることの重みは知ってもらいたいと改めて思う。
その何気ない一言が、その人の一生を左右する可能性だってあることを。
この文章は本人には届かないかもしれない。
もし読んでもなんとも思わないかもしれない。
でも、もし読んで何か思ってくれた人がいてくれたらいいなと思う。
これは自分自身への戒めでもある。



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