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「東京にて、漠然」公募インタビュー#10

〈トムさん(仮名) 2020年7月中旬〉

トムさん(以下、ト)は上京するまでや現状を話すことで心の整理になれば、と応募してくださいました。

※インタビュアー田中の発言の前には──が付いています。

トムさん略歴

20歳 短大卒業後、地元福岡のスーパーでバイト。友達に誘われ、8月いっぱい富士山の山小屋にて初めての住み込みバイト。

   広島県、石川県、兵庫県などで期限つきの住み込みバイトを転々とする。

20代半ば お金を貯めようと福岡の実家に戻り、バイトをする。

   美大の通信課程に入学。バイトをしながら学ぶ。

30歳 正月に父親と大ゲンカし家を出る。友人宅に居候後、実家近くでひとり暮らし。   

32歳 在学最後の年に関西の美大近くへ引っ越す。病院でバイトをしつつ卒業制作。

33歳 卒業。友人の個展手伝い、海外旅行。引き続き関西でバイトをして暮らす。

36歳 東京へ。幼稚園の先生になる。

38歳 保育園の先生になり、今に至る(現在40歳)。

住み込みで転々と

──福岡ご出身で東京に来ることになったことからですかね。福岡には何歳の時までいらしたんですか?

ト 福岡は20…途中いなくなったりもしてたけど、結局は20代、いやちがう、30代前半ぐらいまではいました。生まれも育ちも福岡なんですけど。

──ご実家におられたのは何歳までなんですか?

ト 実家は、30の時にめちゃくちゃお父さんとケンカして。30でケンカしちゃったんですよ(笑)、まあまあ大人なんですけど。でその前に、まあいろいろケンカしたりもするし、ってことで県外にいろいろバイト行ってました。広島とか。

──あえて遠いところに?

ト はい、スキー場とか。間借りしながらうろうろしてたんです。

──住み込みで。

ト 生活費かからないからいいなと思って(笑)。二十歳くらいの時に、友達から誘われて富士山のバイトに行ったんですよ。でなんか県外で働くことってできるんだなーと思って。それもずっと(頭に)残ってたから。もう全部バイトですけどね。

──富士山のバイトも住み込みだったんですか?

ト それも1ヶ月ずっと山小屋で住み込みでした。ちょうど富士山が開いてる…7月から…あ、8月か、まる8月くらい。

──それは学生時代ですか?

ト ちょうど二十歳ぐらい…私は短大だったので、もう卒業してたのかな。それでバイトを1ヶ月休んで行ってきまーす、って。
 その時スーパーでバイトしてたんですけど、辞めたほうがいいのか(と思ったけど)、でも富士山に1ヶ月バイト行きたいんですって言ったら休ませてくれたんで、じゃあ行ってきます、って。

──それが県外での住み込みのバイトの一番最初。

ト 一番最初ですね。

──で、その後またスーパーのバイトを地元で。

ト またスーパーのバイトして、何してたかな…なんだかんだたって、広島の国民休暇村みたいなのが募集してたのを見つけて、ああもうちょっと福岡から離れようかなって思って行ったんですよね。

──福岡から離れたいっていうのは、お父様とよくケンカするから?

ト そうですね、一緒に暮らしてたらけっこう、似てるのもあってケンカしてました。お互いにイライラして。なんか、自分の知ってる人がいないところだと、自分、どうなるのかなと思って、行きたいなって感じて。

──いつもそうやって知らないところに行って、楽しいっていうか、すぐなじめる?

ト すぐはなじめないですけど、最終的に楽しく過ごせてるかな。

──それはだいたい期限がある?

ト そうですね、延長もたまにあるけど、まあだいたい期限があるかな。

──だいたい2、3ヶ月?

ト 広島は半年ぐらいだったんですけども。

──それはできればずっと続けたいって感じだったんですか?それとも、

ト やーもう全然。

──限られた間だけ?

ト うん。

──いろんなところでバイトしながら30代前半ぐらいまでは福岡にいらして。

ト そうですね、広島、石川、兵庫で転々として、で私、短大で幼稚園、保育士の資格取ったんですけど、結局就職はせずに、なんか絵が好きだったのでね、絵をこう描いていったりとか、クリエイティブ的なことをやりたいっていう漠然とした妄想で、で福岡に帰ってきてお金を貯めて、通信の美大に入りたいなと思って、それで一回戻ってきたんです。20代半ばぐらいで。

 戻ってきて、お父さんと、めちゃくちゃ、正月、ほんと正月、1月2日ぐらいにケンカしました。

お父さんとケンカして

──それは今までにないくらいの大ゲンカだったってことですか?

ト そうそう(笑)。なんかやっぱ、お互いにたまってたんですけど。

 その前、正月なので親戚が来てめちゃくちゃ盛り上がって。みんなが帰ったあとでお母さんは隣のおばあちゃんちで片付けしてたんですよね。

 私四人家族なんですけど、遺伝で、お父さんと私だけくちびるがすごく荒れるんですよ。でリップクリームとかメンソレータム使うの、私とお父さんしかいなくて、でお父さんが私に、「俺がここ置いてたメンソレータムどこやったんや」みたいな感じで言ってきたから、なんかもうその言い草とかもういろいろ、なんか…なんか嫌…!と思って、聞いてないふり、みたいな。私も大人気ないですけど。

 そしたら、お父さんに「お前なんやその態度!!」っていきなり叩かれて、こっちもイラアッとして。(お父さんは)背も高いし、殺されるかもしれないみたいな勢いで、胸ぐらつかんでギイーッとやってきたんです。

 「お前なんやその態度、何その目で向かってきようとや」って言ってきて、イイイーッて二人でやってたら、そしたらメンソレータム、お父さんの置いてたとこの下に落ちてたんです。お父さんが向こうに行った時に私、怒りが収まらなかったから、「お父さんが探しようやったやつこれね!!」って言ってバッとメンソレータム投げたら、それでまた向かってきて(笑)。

 もう、これはちょっとやばいなって、私その時原チャがあったから、お金と明日のバイトの準備して、(隣の家にいた)お母さんに「今家に戻ったら私はお父さんからやられるからそのまま出てく」って言って、そのままホテルに泊まりに行って。まだ1月2日(笑)。
 
 あの時はイラアッてしましたね。お互いに悪い態度だったのはあるけど、一発で済むんじゃないかなと思うんです。あんなに殺されそうになるぐらいギイーッって来るから、あれはないわ、って。

 出てって、友達に相談したら、友達がうちにしばらくいていいよって言ってくれて、友達は長い付き合いの人と同棲してたんですけど、その同棲してた人もいい人で、お弁当とか作ってくれて、家を借りるまで3ヶ月ぐらい居候させてもらいました。
 そのあと、初めてしっかりした一人暮らし。まあ実家のめっちゃ近くなんですけど(笑)。

──へえー。

ト その時働いてたとこが近くだったので。でも半年以上はお父さんには会わなかったです。
 (居候していた時に、その家の二人が)帰ってきて(私が)お風呂に入ってたら嫌な感じかなと思って、お風呂はスーパー銭湯とか行ってたんです。でも、スーパー銭湯毎日行けないから、お父さんがいない時間帯ねらって、家にお風呂入りに行ってたんですよ(笑)。そしたらお父さんがお風呂があったかいってお母さんに言って(笑)。「おいあいつ、帰ってきたぞ!」ってすごい言ってたらしいです。だから本人も叩いたっていうことは反省してずっと落ち込んではいたよってお母さんは言ってました。

──それまで叩いたとかっていうのはなかったんですか?

ト そうですね。叩いたとかは一回もない。

──じゃあその1月2日の大ゲンカの時、初めて揉み合いに?

ト そう。バーッて。お兄ちゃんも、中学校ぐらいの時に1回だけ叩かれてるんです。だから1回ずつ手を上げられた。でもお父さんは怒りのコントロールができないっていう、そういうところはある。いきなりバーンて怒る感じ。そういうとこもなんか嫌でした。

──口ゲンカはしょっちゅうしてたんですか?

ト 口ゲンカは…言い合いはあまりないですけど、お父さんが言ったことに対して、言い返せないようなことをバシッと私が言って、お父さんは言い返せない、みたいな。
 お母さんは本当にお父さんに言い返さないから、私が釘差すようなけっこう嫌なこと言ったりもしてて。

──嫌なことっていうのは?

ト お父さんが人に対して嫌なこと言ってることに対して。お父さん、ハゲてる人とか、太ってる人にすごい言うんです。でも最近お父さん少しハゲてきたから、ようやく。「でもお父さんハゲてるよ」「薄くなってるよ」とかって、くだらないけど言い返したりして(笑)、自分もそう言われることあるよ、ってブーメランを返してやりたいという(笑)。(お父さんは)人の気持ちがあんまりわかんないから、時々嫌なこと言って、嫌なことを言われた人の気持ちを味わえよと。

美大に入学/関西へ

──美術大学の通信課程でしたね。

ト 通信だから、課題とか提出して、で年に何回か(関西にある)美大に1週間ぐらい授業受けに行くみたいな感じで。1週間ぐらい休んでもいいよって言ってくれるところでバイトして。

──それは何年間なんですか?

ト 2007年に入学して、2013年に卒業したから、割とかかりましたね。じわじわ、じわじわ。

──(終わると)美大に行ってとる課程を修了できたってことになる?

ト はい。

 最後の卒業制作の1年間は、ああもう卒業制作に入るのかーと思って、その前におばあちゃんたちが二人とも亡くなって介護の手伝いもなくなったので、今のうちに福岡以外でしっかり家借りて暮らしてみるのもいいなーと思って。
 
 お母さんは兄たちと暮らすことになっても別に問題ないと思うんですけど、お父さんはやっぱり兄とも合わないし、難しいんですよね。まあそうなったら私がなんとか、ケンカしないように離れつつも(お父さんを)見るしかないと思って、いずれ将来は。そしたらもう今のうちにどっか行きたいなら早めに行っとこうと思って。

 あと1年で卒業しようっていう時に、(卒業制作で)学校に行くことが増えるし、交通費考えたら、もう大学のそばに住んじゃえって。で、関西行っちゃいました。

──お仕事どうしたんですか?

ト 仕事はやめて。全部バイトなんですよ。で仕事はやめて、関西で見つけようと思って。なんか、お金はあったのかな?なんで行けたんだ? 行けたんですよね。

 大学にA先生っていう厳しいけどすごくすてきな先生がいて、今作家として活躍されてらっしゃるんですけど、分校での授業でお会いできて、ああ会えてよかったなーって感じだったんですけど。

 その後A先生に会う機会があって「大学の近くに引っ越すことにしたんです」って言ったら、あ、A先生もその大学出身なんですけど、そしたらA先生が当時住んでいた〇〇荘っていうアパートを教えてくれて、「すごい古いアパートだけど、なんか好きだった」って言うから、調べたら私もすごい面白そうなとこだなと思って、引っ越すじゃあそこに住もうと思って。
 めちゃくちゃ古いけど不思議な建物でした。

──いいなー。

ト 内見しに行く予算がないし、内見してもしなくてもどちらにしろここに住みたいから、内見せずにもう決めちゃって。
 本当に安かったんですよ。3万…3万7千円ぐらいだったかな。

──安い!

ト 一応、風呂とトイレもあって。トイレは和式だったけど。ちっちゃいけど、私は全然、そういうのが(気にならない)。あそこはすごく好きなところで。ボロいけど。ワクワク気分で行きましたね。

 〇〇荘は本当、いい、面白いとこでした。そこは5〜6年住んでたのかな。結局卒業してからも何年かいたから。

卒業して、ぼんやり/年上の友達

──卒業してから絵のお仕事をしたんですか?

ト 全然なんですよ。在学中から働いてた、病院のガン検査とかするバイトなんですけど、卒業してからもそこでずっと働いてて。

 卒業したらボーッとしちゃって、なんかぼんやりしてたんですよ。毎日働いて家帰って、家帰って別に何もすることなく、ボーッとして、疲れて寝て。でもうずーっと、(絵を)仕事にするっていう意志もなく、その時もめっちゃぼんやり過ごしてました。

──病院のバイトしながら、ぼんやり。

ト ただ日常を過ごすだけ。1年に1回ぐらいグループ展とか、卒業のメンバーでやったりしてましたけど、本当それもやっとバタバタ出して、やっつけみたいな、出しゃいいやみたいな。何にも、何にもなんかそんな感じ(やる気のある感じ)じゃない。

──じゃあ日常的に絵を描いてたこともなく、

ト 描いてなかった…

──締め切りに合わせてみたいな。

ト うん。で、そんなこんなしてる時に、美大で会った、当時70代後半ぐらいだったBさんっていうおばあさんがいるんですけど、その人にめちゃくちゃよくしてもらって、

──生徒さんですか?

ト 生徒です。Bさんが足とか悪いから、階段でしか行けない教室があってすごい大変そうだったので、お茶買ってきましょうかって言ったり階段とか手伝ったりしたら気に入ってくださって。 
 A先生の授業が関東の分校であった時には、Bさんもその授業を受けるということで「私のアトリエ泊まっていいわよ」って、授業のある1週間、泊まらせてもらったり。

──アトリエを持っているということは、もうアーティストとしてやっていた?

ト Bさんはその前は、別の分野で個展したりとかやってらしたみたいで。どうしても油絵がやりたいと言って(入学した)。本当にしっかり(描く意欲があって)、(打ち込む)根性がすごいんですよ。

 Bさんは一緒の入学だったんですけど、早めに卒業してまた院に入って、院の卒業が私の普通の卒業と一緒だったんです。その時にBさんが「卒業を記念して個展がしたい」「私は最後の花火を打ち上げる」って言って、「トムさんにそれを手伝ってほしいの」と。

 わかりましたって言って、その後卒業してBさんの個展を手伝ったんですよ。 
 (その個展を全面的にお手伝いして)本当にいろいろして疲れ切って。
 大変でした。面白かったですけどね。

──そのお手伝いは一人だけ?

ト そうです。オープンとクローズの時の設置や回収は、何人か大学の他の友達も来てくださったけど。

──お手伝いに対する謝礼とかは?

ト (離れた場所で開催した個展だったので)新幹線代とかはいただいてたんです。で、まあ謝礼は、向こうはそう言ってくださってたんですけど、交通費でマイナスが出なければ私はいいんだ、いろいろBさんのおかげで面白いことたくさんさせてもらってたから、って言ってもらわなかったんですけど。

 個展が終わった後にBさんが「トムさんと旅行に行きたいと思ってる。海外とかでもいいのよ」って言ってたんですよ。「ルーブルとか行ったことないでしょ」って(笑)。「ああ行ったことないです」「旅行一緒に行こうね」みたいなこと言ってたら、そしたら今度、さっき言ってたA先生がドイツで個展する、って。
 BさんもこのA先生のこと大好きで、絵もポンポン買ったりしてたし、あ、もしかしたら私Bさんと(A先生のドイツの個展に)行けるかもと思って、「じゃあドイツ行きませんか」って言ったら、「いいわね」ってなって、そのあとドイツとフランスに連れていってもらったんですよ。

──わーすごい。

ト 交通費ぐらいの安いイメージで言ったけど、結局Bさんいろいろ不安だっていうことで、現地の通訳の人とかもついて、めちゃくちゃ高い旅行だったみたい。全部出してくれて。なんか修学旅行の冊子みたいなの旅行会社から作ってもらって。

──へー!

ト 「Bさんとお友達が行くドイツ・フランス」みたいな日程表(笑)。

──(笑) 美術館を巡る旅みたいな?

ト そうですね。最初にドイツに行ってA先生の個展に行って、そのあとフランスのルーブル美術館とか、オルセーとか、あとあのモネの「睡蓮」の…ぐるり一面「睡蓮」の美術館(オランジュリー美術館)。それ午前中に見たんですけど、でなんかそれ見てBさんも私も「はぁ〜〜、すごいわあ〜〜」ってなったら、その通訳でついてくれた方も彫刻かなんかやってる方で、今からだったらジヴェルニーのモネの家行けますよって。本当はパリの市内だけっていう契約の通訳の人だったんですけど、もうそれはいいです、って言ってくれてバーッてみんなで行って。

 天国みたいないい気候の時に本当にいい経験でしたね。お金がないと行けないところだった。ああ、この旅行じゃないと私行けなかったなーみたいな。チップとかもあんなに出さないといけないんだーと思って。私、Bさんからお金預かって「チップも全部ここからトムさんが出してー」って言われて(笑)、まるで私が出しているかのように

──(笑)

ト これが個展の手伝いの報酬というか、(Bさんの)旦那さんが「トムさんの旅行は僕が出すから行ってこいよ」って言ってくださったんです。

──何日間の旅だったんですか?

ト 合わせて十日ですね。仕事を最大で休めそうなのが十日ぐらいだったので。

──それはすてきな報酬でしたね。

ト ねー。もうでもここは後ろめたさを感じずに、個展の手伝いはけっこう大変だったから、「ありがとうございます!」って言って行きました

──今でもお付き合いがあるんですか?

ト そうですね。あれが最後の花火って言ったけど、あの後も2回ぐらい個展してるんですよ(笑)。すごいなー!と思って。(最初の個展の場所とは違う)地元の方で個展。しかもBさんが描く絵ってすごく大きくって、あれを描く気力ってすごいなって。体は本当に、あちこち怪我したりしてるから悪いんですけど。

──トムさんはけっこうサポートが得意というか、苦にならない感じですか?

ト そうですね。そんなに嫌な気持ちでやってないですね。

──その個展のお手伝いと海外旅行が(美大を)卒業後ですね。

ト そうですね。卒業後1〜2年ぐらいの出来事。

描かない日々

──まだ関西ですよね。

ト まだ関西ですね。

──で、ご自分で絵はそんなに描かず。

ト 全然描いてなかったですね。

──描く気にならない、って感じですか?

ト なんか描く気にならない、うん、ね、本当に描きたかったら疲れてても描くと思うんですけど、本当にもう、だらっとしてるっていうか。

──トムさんはどういう絵を描くんですか?

ト 人物を描きたいなと思って、でも本当は元々は立体的なものを作ろうと思って。でも、入った大学は彫刻系がなかったから、まあ洋画、洋画で入っても別にね、マイナスじゃないっていうか、とにかく、絵を描く人たちの集団に入ってみたいなっていう気持ちで入りました。

──勉強中というか在学中は楽しかったんですか?

ト 在学中は楽しかったですよね。本当、みなさんBさんみたいに、年齢は離れてるけど同級生みたいな感じでけっこうフラットに付き合ってくださって。本当はね、雇用関係でもおかしくないんですけど(笑)。けっこう年配の人多かったんですよね。リタイアした人。でもみんな対等に扱ってくださって、割とお金持ちの人も多いから、旅行連れて行ってもらったりとか何回かしましたね。

──在学中ってものすごいたくさんの量、絵を描くんですよね?

ト でも通信ですからね、課題もそんなにめちゃくちゃ描く、っていうほどでもない。その時点で描く人はばんばん描くけど、私は課題だけこなしてるっていうだけで。それもなんかちょっとあれ〜?みたいな。何やってんのかな、みたいな、そういうのは。自分が描かないっていうか作らないっていうかね、何もやってないじゃないかっていう気持ちはこの時もなんかこうぐるぐるぐるぐるして

──卒業前には就職の相談みたいなものを学校とするんですか?

ト いや、ないですね。自分たちで。美術の先生になりたい人は美術の先生の単位もあるのでそれとって、本当にちゃんとそれで学校の先生になった人もいる。
 でも私は本当に仕事につながるっていうこともイメージも何もなかった、この時はただ卒業するという目標。そして(次はBさんの)個展終わらせるっていう目標。フランス行って無事戻ってくるっていう目標。みたいな。何にも考えてない。

──入学当時もですか?

ト 入学当時はなんか、やったるぜみたいな感じでしたね(笑)、最初はね。なんかこう、絵を描いてやっていこう、公募展も出していきたいっていう気持ちでやってましたね。年齢関係ないしみたいな。
 最初のそれもなくなって、

──なんかきっかけがあったわけでもなく、だんだんそういう気持ちがなくなっていったんですか?

ト なんか疲れ…(笑)家に帰ったらなんかすごい眠たくなって。でもなんか、ね、気力がないっていう、本当に、ね、あれが、やりたかったらするんだろうって思ってるから。でもいつかそうなるんだろうなって思ってたんですけどね。ならない。だから、全然、しっかりワーーーーッて言ってやってない。課題をこなそうと思ってやってますよね。

東京へ/幼稚園、保育園

ト そんなこんなでドイツとフランスの旅行も終わってぼーっとしてたんですよね。でも本当にお金なかったから、引越しもできない。だから1回、どこに移動するにしてもお金貯めないとなと思って。仕事もパートだったから本当にカツカツでその日暮らしみたいな感じだったので、仕事変えようと思って探してたんですよ。それもなんか別に、クリエイティブ的なことは何のイメージもなく、お金を稼ぐために仕事を探そうって思って。

 そうしてたら、私、牧師のいとこがいるんですけどね。東京で牧師やってて、東京のその教会に付属の幼稚園の園長もしていて、「人が足りない、トムちゃんは幼稚園の資格持ってたよね」って言って。なんか、私がFacebookでいとこの子供になんかメッセージを返したら、それがそのいとこに響いたらしくって、「東京に出てくる気はないか」って言われて。「へえ〜?」って思ったけど、でもそういう声がかかったら、なんかそういう時なのかなと思って。

 幼児教育は短大卒業して全く現場に行ってないから、めちゃくちゃ不安だったんですけど、でもまあ、じゃあ行ってみようって言って行くことにしたんです。

──そのいとこさんは、トムさんが仕事探してるっていうのを知ってて声をかけてくれた?

ト 知らなかったんじゃないかな。でも、「卒業してどうするつもりなんだい?」っていうのは言ってました。このいとこは東京の前は長崎だったんですけど、その時も「うちの先生になる気ない?」みたいな感じでは言ってたんですけど。いよいよどうだいってなって、そしたらその幼稚園が支度金として引っ越し代出すって言ってきたんですよ。

──すごい!

ト お、ラッキー!と思って。じゃあもうこれは移動するしかないかなと。けっこうギリギリで、あっという間、前々からの話じゃなくて、決まって移動するまで本当1ヶ月ちょっとぐらいの話。バタバタバタバタ、って。

 それでもう〇〇荘もさよなら。

──〇〇荘も引き払い、東京に。それが4、5年前?

ト そうですね。いや違うか。あ、そうか。ま、いっか(笑)。

──(笑) そのFacebookで送ったメッセージは覚えていますか?

ト いとこの娘さんが二十歳の誕生日かなんかで、おめでとうだけ最初送ったら、「おめでたいんだか何だか、いつまでも幼稚で困っちゃう」みたいな感じで言ってたから、「いやいや、そこがギャップがあっていいよ、それがいいやん」みたいな感じで送ったらそれが響いたみたいで、なんかね(笑)。

──そのメッセージが、トムさんの人間性がいいって感じで。

ト なんかねえ。

──それで幼稚園に就職したんですか?

ト そうなんです。今まで暮らしてきた中でこれが初めての正規雇用です。担任とかクラスは持たずに、まず預かりという(保育時間を)延長するお子さんを(預かる担当)っていう立場で入ったんですけど、まあーこの幼稚園が(中略)

──今もそちらにお勤めで?

ト 2年やったあとぐらいで、その牧師のいとこに、今度は自分の知り合いの人がキリスト教保育の保育園やってるんだけど、そこで保育士探してるから行かないかって言われて、

──へー!

ト 私も本当にあんまり考えてなくて、保育園はパートなので正規からパートにはなるけど、でもそういう話があるなら新しい場所は見てみたいっていう気持ちもあって、じゃあ行きますって言って、今は保育園です。

 予期せぬ、いろいろ、本当に、予期せぬ…保育園とか幼稚園に働きに行くとは(以前は)全く思ってなかった。

 今はパートですけど、幼稚園の時って朝は7時前ぐらいから行って、夜7時以降とか10時前とかに帰ったりとかもしてたけど、その点保育園はみんな早く帰りたいから残業せずに帰りましょうっていう雰囲気で、風通しがいい(笑)。けっこう先生たちもいい、いいっていうか。パートだけどまあまあなボーナスももらえて、時給に換算したら全然いいんじゃないかな。

 でも、やっぱり正規じゃないから、今後どうしていくんだろうっていう、今漠然とした、そんな毎日です(笑)。

──もう2〜3年そちらにいる?

ト そうですね。保育園の園長先生とか主任の先生がいろいろ考えてくださって、担任手当が少し出るから担任持ってみたらって言って、パートですけど担任は持たせてもらって、日々過ごしています。

──いつか正規雇用になりそうじゃないですか?

ト でもなんか、正規雇用に…正規雇用か…(笑)。なんかこの、気持ちがなんかこの。本当に私の悪いあれなんですけど、何かあった時にすぐ動きたくなっちゃうから、正規雇用だとなんか休めないから行けないなーっていうふうになりそうだし、なんかこう、そうね。やっぱり責任持ちたくないのかなあ…ね。
 ずっとこんなふうに過ごしてきてるのかーと思って。それもなんか、正規雇用じゃなくていいじゃんって思ってていいのかなーみたいな気分。

──パートだけどフルタイムですよね。経済的に困ったりとかはしてないんですよね。

ト そうですね。今は幼稚園の時よりお金貯めて。なんかすごい心配してくれる主任の先生に「お金貯めなきゃダメよ」って言われて「わかりました」って言って(笑)。それに今、家賃は園に全額出してもらってるから。

──すばらしい。

ト ね、いいですよね。今のうちに家賃払ってる気持ちで毎月貯金しようって。貯金気分が高まってます。

──職場環境はすごく良さそうですよね。

ト ね、私はすごくいいと。その前を思えばどこでも(中略)

何にもしない

──保育のお仕事はどうですか?好きですか?

ト お仕事、楽しいですね。面白いっていうか。子供が面白いですね。
 体力的にけっこう奪われるから、今やっぱり家に帰ったら1回寝ちゃう。で結局何にもしない。土日もくっだらない、カードゲームみたいなので1日終わったりする。

──カードゲーム?

ト なんか、ソリティアみたいな。やったってどうしようもないじゃないって思うけど、ずっとやってたら軽く何時間ですよ。本当に何もしないな、本当に何もしてない。

 今もA先生から時々連絡があって一緒に美術館行ったりたまにするんですけど、この人は美術関係のことはもうやってないって、いつ、バレるっていうとおかしいけど、そういうふうに思われるのは悲しいなって、ハラハラしてます。それもおかしいなーって思うんですけど、でもせっかく先生がね、目をかけていろいろしてくださったのに、何も身になってないなーっていうのが、ずーっとありますね。

 だからどっちつかずでもう本当に…。今までいろいろあっただけに、なんかまた、なんかどっかから話くるんじゃないかって思ってるからこんな感じになってると思うんです。何かなーって思いながらも、ずーっとスマホでソリティアとかしてる(笑)。やめろよ、とか思うけど。ぼやーっとしてる。

──でも、お金が貯まっていってて、(何かしらの)準備期間にはなってるんでしょうけどね。

ト ああ、なってますかね…まあ、大したことないんだろうけど、自分としてはまあまあ(貯金できている)。

 さっき言った、お金貯めなきゃ、って言ってくれる保育園の主任の先生。私はすぐにいらないものとか買っちゃうんですけど、そんな時は心の中にその先生が出てくる。「トム先生、それ本当にいるの?」みたいな問いかけが来るんですよ(笑)。

──心の中で。(笑)

ト そう。先生に「ありがとうございます」って。無駄遣いしそうになったら先生が来るから。「止めてくださってありがとうございます」って(笑)。

 でも本当に先生は「どうすんの?そりゃあ今ね、一緒に働けて楽しいけどさあ」って(言ってくれる)。

 私ね、今独身なんです。独身だし、「このままパートでこの前みたいにコロナでバサーッとなったら、正規は保障あるけど、パートはあまりないでしょ」って。まあ確かにそれもそうだなと。

──コロナの緊急事態宣言時は保育園は休園してたんですか?

ト うちは開いてたんです。何人かは、医療関係で働く休めないお母さんたちとかいるので。
 その時はかなり縮小して日数減ったんですけど、まあなんだかんだ言ってそんなに収入減らずに。いい園っていうか、割と考えてくださる園っていうか。そんなにえらいこっちゃってことはない減額で。日数は減りましたけどね。3分の1ぐらいの働きでした。

──何がなんでも正規にしたいっていう気持ちは今のところ起こらないし、っていう感じってことですよね。

ト そうですね。いっかー、みたいな感じで。でもそのあとも若い先生とかも正規で入ってるから、本当に正規になりませんかって言われてないから。もしかしたらこちらが本当に正規になりたいですって言ったら、枠ができたらなれるかもしれないんですけど。

 なんか正規になったら大変だなっていう、逃げたい気持ちがすごい。今パートで担任持ってるけど、パートで責任なく、みんなの前で何か、子供が全員集まった前で司会とかしなくてもいいし。ね、やっぱり正規になったらみんなの前で司会しなきゃいけないし、あれはやだなみたいな。保育士でこのあとも…このあとどうしよう…って今すごい考えてますね。

──保育士に本腰入れるって感じにも今のところ思えないってことですかね。

ト そう、ですね…今はチャイルドアートセラピーっていうのもあって、子供たちの描く絵から心理的にやっていくみたいな、その講座をたまたま見つけて、国家資格じゃないけど一応資格として履歴書にも書けますっていう資格なので、それをとって何か今後開くとか考えていこうかなーとかぼんやり思ってます。

──なるほど。両方の経験を生かせる仕事かもしれないですね。

ト それも、福岡でするのか東京でするのかとか。

 でも私が今思ってるのは、言い方が悪いですけど、Bさんを見送ってからじゃないと福岡に帰れないんじゃないかなーみたいな。なんかこう、そういう気持ちがなきにしもあらず。 
 私東京だから、Bさんとは今割と近いので。福岡行っちゃうと何があってもなかなか行けなくなるから。

──Bさんとはかなり結びつきが強いんですね。

ト 個展の時に泊まり込みで行って一晩中話聞かされて、聞かされるってあれですけど、Bさんも本当にすごい、面白い人なんですよ。Bさんの自伝出るんじゃないかな。うちの両親よりBさんの方が10ぐらい上だから、まだちょっと、気になる、気になるっていうか、どうしようかなーという感じです。

東京というところ

──いろんなところで暮らしてらっしゃいますけど、土地として、今いる東京は好きですか?

ト 東京は面白い。テレビとかでこれやってまーす、ってやってて面白そう、行こうって思ったら、ちょっと行ったらやってるから、ああ面白いなーっていうか。いい、いいですよね。

 なんか東京は住むとこじゃないとか、みんなからけっこう言われたんですよ。福岡の人とかも、東京かー、って。まあでも別に、いいじゃない?

 関西に行く時もけっこう言われたんですよ。周りとなじむの苦労する、って。でも、私は行ってそんなふうには思ってないし、いい場所というか。

 東京はちょっと行けば本当にいろいろあるから。面白いなーと思って。なんかね、個展とかあっても(作家)本人とかいたりして。あ、(展示が)あると思ってすぐふらっと行って行ったら、あ、本人がいる!とか。本当にその時はフラッと来ましたみたいな感じで。ああ本人が来てるよ、こういうことは東京だからあるんだよな、すごいなーって。

──いつかは福岡に永住するのかなあって感じなんですよね?

ト そう頭ではイメージしてるけど、本能的にはあんまり、今のところまだ福岡に戻るイメージではない。でも理性では戻ると思ってる。
 本格的にはまだ福岡に戻るっぽくない感じ。

お父さんのあだ名

──お父さんとはもう連絡はとるようにはなってたんでしたっけ。

ト ああ、そうです。(ケンカのあと)半年会わなくって、でもまあ、いつかはどっちにせよしゃべらなきゃいけないなとは思ってたんですけど、そしたら親戚のおじさんの誕生日会があるから来ないかってお母さんから連絡があって、まあいい機会かもしんないなと思って、私もわかった、じゃあ行くよって言ったんですよ。

 あんなケンカの後だから、お母さんは第三者として間に入ってくれるだろうと思ったんですけど、お母さんは、「私ちょっと用事があって行けんし」ってお母さん全然いなくて(笑)、二人でいきなりバーンと。

 「ああ」「おお」って。で「じゃあおじさんにプレゼント買って行こうかー」って。でなあなあで仲直り。仲直りっていうか、なあなあな感じで親戚のおじさんのお祝いに行って。でまあそんな感じで。
 忘れてないですけどね。一生忘れませんけどね。(笑)

──(笑) (メンソレータムが発端で揉み合いになった)事件については、あの時こういうことあったよねっていう話はしてない?

ト お父さんとはしてないです。お母さんとはよくやります。
 そう、なんか(笑)、私が原チャでホテルに行った時、お母さんが「何が起きたん?」って言って家に戻ったら、お父さんが二階の私の部屋から私の布団を投げ落としてたんですって(笑)。お母さんが「お父さん何しようと!」って言ったら、「トムが外で寝るんやったら布団がないと寒かろうが!!」って言って布団投げ落としてたって。
 で、それからお母さんと私は、LINEとかではお父さんのことをお父さんと呼ばずに「なげお」って言ってるんですけど。

──(爆笑)

ト 「なげおが寝たら電話する」とか(笑)。だから二人の間ではもうずっと、布団投げたっていうのは忘れない。みたいな。

──おもしろ…(笑)

ト お母さんが「犬もびっくりしとったー」とか言って(笑)。あんなにさっき、30分前とか子供とかも来てワーワー楽しかったのに(笑)何が起きたん、って。

──布団投げてたのは、トムさんに腹が立ってトムさんの布団を投げてたのか、本当に寒かろうという愛情で黙って持ってけ的なことなのか、どっちでしょう。

ト (笑) どっちなんでしょうね。腹立ったのもあるんじゃないですか。私も出ていく前に、部屋のドアガンガンガンガーン!って足で蹴って音立てて、で走って出てきたから、そのあとやり返せないじゃないですか。それで腹立ったのか、なんか。

 でもなんで布団投げるんですかね。私がけっこうね、自分の布団はよく干したりして寝具を大切にしてたんですよ。お前は自分の分はよくやってるなとか言ってた。寝具を大切にしてるから捨ててやる、なのかわかんないです(笑)。何なんでしょうね。

──なげおさん。

ト そう。なげおが。

これから

──お兄さんはご家庭をお持ちなんですか?

ト あ、そうですね。お兄ちゃんは本当にね、うちの家の中では本当に手堅い人で、着実にやっていく男ですね。

──お兄さんと交流はある?

ト ありますね。けっこう仲はいいんですけど、でも忙しいから全然会わない。
 兄家族は忙しくてなかなか実家にも帰れないみたいで。孫が二人いるけどなかなか行かないから、(親が)かわいそうだなーって。
 でね、二人(両親)は、私が子供産んでたらかわいいっていう風に話してる。そこもなんかちょっと、申し訳ないなという気持ちも奥に。


──Bさんの伝記、私が書いてやろうとかは思わないですか?

ト それもね、ちょっとあるんですよ。めちゃくちゃ話は聞いてるから。本当徹夜でぐらい聞いてるんですよ。本当に面白いし、書くなら今のうち、って感じ。

 Bさんの絵はいつか描きたいなと思ってるんです。

──ああ、人物画として。

ト Bさんの絵、そうですね、描きたいですね。でも、ね、その人が見てどう思うかわかんないから(人物画は)難しいですよね。
 
 「これが私なの?」とかね(笑)。「こういう風に見えてんだー」とか言われそうでなんか(笑)。

──年齢もあるしいつ会えなくなるか…

ト そうなんですよー。今病気かもしれないとかも言ってて。でも今会いに行って、私がもし(コロナの)感染源だったらあれだなーと思って。ちょこちょこ連絡とかは(している)。

 でも本当、面白い人。なかなかいない面白さというか。

──何か残せるものがあったらいいですよね。

ト ね、本当ですよね。確かに。


──ありがとうございました。楽しいお話をいろいろと聞かせていただきました。

ト ありがとうございました。私の人生の整えになりました。

──そうですか?

ト うん…なんかね、なんかこう、整理っていうか。もうちょっとよく考えます。今後について。

──お話ししててすごく人に好かれて、そこでご縁がある方なんだろうなと思いました。

ト 今後もなんとかやっていきたいと思います。


(終わり)

何もしていないことへの罪悪感の話をされながらも、笑いも提供してくださるトムさん。やさしさについ甘えて、たくさん笑ってしまったインタビューでした。

お読みいただきありがとうございました!

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