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游木トオルさんへのインタビュー/第4回「勇気を出すということ」

フォトグラファーの游木ゆうきトオルさんにインタビューしました。
やりたいことがあるけど一歩踏み出せない人はどうすればいいか?
トオルさんによると、手放せないと思ってることを手放すと、その次にすごく大きなエネルギーが生まれるそうです。
その秘訣を伺いました。

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感覚を開く

――スカイマーク機内誌『空の足跡』の2024年1月号にトオルさんは「感覚を開く」というタイトルで旅エッセイを書かれています。

瞑想したら感覚がより開きやすくなったりするんですか?

それはあるかも。

ただ自分の場合は、それを感覚と呼ぶのかわからないけど、いろんな外部の声とかね、人の期待もそうだし、外からの刺激に左右されやすいところがあったんですね。

そうじゃなくて、やっぱり自分の内側からの声に耳を傾けるっていう、それを感覚と呼ぶなら感覚なんだけどね。
そういう心の状態に持っていくのが、瞑想の一番のよさだったかな。

――感覚を開くことによって、幸せに対する感度も上がったということですが、どんな幸せに気づけるようになったんですか?

もうね、小さいことでいいんだよね。

自然を見た時に「わー!すごい!」とか「なんて綺麗なんだ!」って思うのも視覚からくる感覚じゃないですか。
それが1とか2の時と10ぐらいある時では、感動というか、喜び度合いが違う。

そういうことが、味でもそうだし、音楽とかでもそうだし、いろんなことについて言えるんですよね。
それって、幸せだよね。

都会で暮らしてるとなかなかさ、もう(感覚を)閉ざさざるを得ないじゃないですか。
会社にいる時とか満員電車とかさ、閉ざさないとちょっとおかしくなっちゃう。

それって実はもうハッピーじゃないよね。

ネガティブなものへの対処

――感覚を開くと、幸せに気づける反面、ネガティブなものに対する感度も上がってしまうような気がするんです。
そういうことに対してはどのように対処すればいいんでしょうか?

刺激を受けた時、そこにどう意味付けするかはもう自分の捉え方の問題。

だから、あんまり変な反応をしない。

一見ネガティブなことでも、それは外部のことであれば自分のことじゃないし、自分のことであれば自分がそれをどう捉えるかだけの話だから、そこの捉え方を客観的にするというか。

ネガティブを増幅しない。
自分の中でさ、「ああ悲しい悲しい」とかあっていいと思うけどね。
「私はなんて不幸なんだ」みたいな気持ちをどんどん増幅させちゃうところがあるわけですよ。

これ自分で勝手にそういう風に捉えて、評価を下して、それを膨らませてるだけなんだよねってわかってれば、それが嫌だったら「あ、もうやめとこう」って思える。

――ちょっと引いて見る感じですか?

そうですね。
自分にはこういう時にちょっとネガティブになる癖があるなってわかってれば、「あ、あれだあれあれ」と思うから対応できるしね。

――せっかく感覚開いても、ネガティブなことが来た時に閉じちゃうんじゃなくて。
それはすごくもったいないことだと思うので。

そうだよね、全体的に閉じちゃうのはもったいないので捉え方を変える。

――捉え方をトレーニングするみたいな?

そうですね、それは別の言い方をすれば、自分を知るっていうことになると思う。
自分の心の癖とか、自分が抱えてる思い込みを知っておけば、対応しようがあるよね。

別の意味では、さっき言ったような満員電車の中とかではやっぱりオープンにはしてられないから、そういう時は閉じるね。

――音楽聞くとか?

そもそも僕の場合あんまそういうとこに行かない。

――できる範囲の対処はしつつ、ネガティブなことが来ちゃった時は捉え方を変える、みたいな感じですかね?

そうですね。

撮る人の気持ちが写る

――すごく話戻るんですけど、風景写真撮る時に風景とコミュニケーションを取るって、どんな風に取るんですか?

そこに行った時に、自分が「わあ、なんて素敵なんだ!」って思ってると、その場というか、風景とか見えてるものたちも「わあ、よく来てくれたね!」って歓迎してくれてる感じがあるわけですよ。

「来てくれてありがとう、嬉しいよ」みたいなものを勝手に感じてる。
それは一つのコミュニケーション。

――呼応するものがあった時に撮った写真って、すごくいい写真になるんですか?

と僕は思います。
そういうのを感じやすい人が見ると、すごくいいって言ってくれる。
エネルギーを感じるっていうか。

写真って、僕はちゃんと勉強したことがあるわけじゃないので、自分の経験でしかないんだけど、撮る人の気持ちが写るんだと思うんですよね。
風景にしても人にしても。

同じ意味で、相手の気持ちも映る。
だから、両方の気持ちが反射しあって出来あがる、共同作業みたいなところがあるのかなって感じてます。
人だけじゃなくて、風景とかでもね。

これからのこと

――これからやってみたいこととかありますか?

あるって言えばあるんだけど、あんまり目標とか目的とかっていうのを、持たないんですよね。
持ちたいとそんなに思わない。
今やりたいことを、全力でやるみたいな。

――そしたらまた次の展開が?

そうそう。
で、何があるかわかんないから面白いみたいな。
そんな感じでずっといけたらいいなと思ってますね。

一歩踏み出せない人へ

――やりたいことがあるけど一歩踏み出せない、という人もいると思うんですけど、そういう人に声をかけるとしたらどんな言葉をかけますか?

なんかね、僕の今の心境はもう「生きてるだけで丸もうけ」なんですよ。

そういう心境になってしまったら別に、何をやってもいいし、なんもやらなくてもいい。

「ただ生きてるだけで丸もうけ、全部幸せ」っていう風に感じてるので。
どこがどう転んだっていいじゃんと。

――生きてる時点でもう合格だから、成功しようが失敗しようがどっちでもいいみたいな?

そうそう、一見失敗に見えても、それでも生きてんだからそこも全部丸もうけだよねって。
必ず死は訪れるわけで、その時まで生きてることを楽しめばいいじゃない。

あともうちょっとその人の気持ちに寄り添って言うと、捨てること、手放すことの威力ってすごいんですよね。
『空の足跡』にも書いたことあるんですけど、手放せないと思ってることを手放すと、その次にすごくでかいエネルギーが生まれる。

――トオルさんが捨てた中で一番大きかったものは仕事?

わかりやすく言えば仕事。
でも、それまでの生き方そのものみたいなところもありますね。

――怖くはなかった?

どう言ったらいいのかな、怖さとワクワク感っていうのが一体になってるんだよね。

勇気を出すってどういうことかよくわかんなかったんだけど、もしかしたらこういうことかもしれないなと。
楽しみだし、自分の魂の声に沿ったものであれば、どうなろうといいやって思えるわけですよ。

だから怖いっていうのももちろんあるんだけど、それと勇気とかワクワクするとか、そういうのって一体なんですよね。
怖いっていう部分がなしに、完璧に準備を整えてやることにそんなにワクワクはしないでしょ?

だから冒険がいいんじゃないかな。
ワクワクするもの、それが楽しいし、面白いんじゃないかなと思います。

~完~

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