イズモアリタさんへのインタビュー/第2回「世の中を明るくするテキスタイル」
テキスタイル作家のイズモアリタさんにインタビューしました。
学なし、資本なし、コネなしの状態からスタートしたアリタさん。
そこから、あることがきっかけで海外からもオファーが殺到するようになりました。
そこに至るまで何をしたのか?
叶えたい夢がある方には、きっと参考になるお話です。
7年間ひたすら描き続けた
ーーアリタさんが一番初めに作ったテキスタイルってどんなものだったんですか?
それがもうね、おもしろいエピソードがあって(笑)
私ね、占星術も専門なんですけど、29歳ぐらいって土星が生まれた時の位置から一周して戻ってくるんですよ。
サターンリターン(土星回帰)って言われてます。
私は星を学んでたので、当たる当たらないっていうよりも、定点観測しながら自分の人生が一体どうなるのかって思ってました。
そしたらほんとに29歳で転機がバンっとやってきた。
次の転機は、29歳から7年後がだいたい確率的に多いんです。
有名人とかでも、最初に才能を理解してから7年ぐらいに代表作が生まれやすいらしい。
私のその時期は35歳だったんですけど、これまた木星の3度目リターンっていう占星術のおもしろいエピソードがあるんです。
1度目が12歳、2度目が24歳、3度目が36歳。
1度目2度目っていうのは若すぎて、なかなか自己実現には至りません。
私の場合、3度目は35歳の6月に訪れました。
木星が私の生まれた時の位置に帰ってきて重なっている1週間に、脳内に30パターンテキスタイルが降ってきた。
それまでの7年間にめちゃめちゃドローイングしてたんですよ。
一日50枚ぐらい。
一日1枚は傑作作りたいぐらいの勢いで。
なにせ遅咲き、学なし資本なしコネなしなんで。
自分の才能みたいなものがあると確信する。
時代が待っているという運命を確信する。
それは、ないものを自分でクリエイティブに思うだけ。
それを実現化させるのはもう行動しかない。
ひたすら描く、試みる、人に見せるっていうのを7年間やり続けたんですよ。
ラベルのボレロっていう曲があるんだけどね、スネアから始まって、最後音楽が盛り上がる。
ある種のそういう特異点とか沸点というものが、ちょうど3度目の木星リターンでした。
29歳からスタートして35歳の時、1週間にバーンと天啓が降りてきて、ハードルっていうものがなくなりましたね。
いわゆるメジャーなブランドとか展示会からオファーをいただくようになった。
海外も含め、ワーッと引く手あまた来るような現象がそこから起こりました。
ーーその時どんな気持ちになりましたか?
私ちょっと図々しいマインドになっていて、「やっと来たか」と(笑)
ただ、そこで過去の自分の感覚で生きると、たぶんもう上に行けないという危機感がありました。
今までの、ちゃんと自己実現できてないっていうか、表現が表に出てないっていうかね、自分のネームバリューで仕事がもらえない時代の感覚でそれを受け止めちゃうと、引いちゃうと思うんですよ。
それは何となくわかってたんです。
私のプロデューサーってそれこそめちゃめちゃ過酷な環境で鍛え上げられてるんで(笑)
どうやって周りに誤解されないようにこの異邦人の魅力を伝えるか、みたいなのがありました。
その思考があったから僕は「ちょっと遅かったけど、今からでもいいや」と図々しいマインドになってました(笑)
「もっとどこまでも上に行きたい」とも。
それから7年後ぐらいに、これ以上は自分の適正ではなくて、自分にとって本当に幸福なレベルがあると理解できるところまで来ます。
そこまではがむしゃらでしたね。
人に伝わるクリエイション
ーーアリタさんのインスタに「世の中を明るくしたい またテキスタイル作りたくなった」ってありました。
どんなテキスタイルが世の中を明るくすると思っていますか?
これはね、実体験からなんですけど、まず作り手が楽しく描いてる時ですね。
着想とか発想の段階は、やっぱり楽しい方がいいんですよ。
ファーストインプレッションといいましょうか、最初の閃きを得て、バッと描きますよね。
自分の内面的なものがポップアップされた時、それは偶発性もあるんです。
手のちょっとした動きとかストロークによって、自分が思ってたよりも上の表現ができる。
表現と表現を重ねていって、その重なりの中にすごい深みが現れる時って、自分が想定してたよりもいいものができた感覚があるんですよ。
ワクワクとした喜びがあって、「自分は描きたい」という純粋なエネルギーがリフレクションして、色とか形が現れた時はとっても嬉しいんです。
しかもそれ、時間が経ってなくて、秒でウワーッと湧くんです。
経験的に、そういったものの方がロングセラーになったり、多くの人に楽しさを共有できたりします。
これは実話なんですけど、「入院してた間にアリタさんがデザインしたトートバッグをいつもドアに引っ掛けてたら、その模様からすごく元気をもらった」と言ってくださった方がいました。
当時の取材とかでも、「元気が出るテキスタイル」とかね、そういった表現を添えてくださるパターンが多かったです。
それはやっぱり自分が作る時にすごく喜びがあったので。
苦しみとか矛盾とかではなくてね。
もちろんその生み出す工程で、きちんと計算するっていうのかな、ある種の美意識とか調和にたどり着くまで磨くって行為はあります。
でも、それすら楽しいんですよね。
もう夢中ですよ。
それをみんなと共有できるワクワク。
あまりにも嬉しさが大きくて、そういうクリエイションっていうのかな、やっぱり人に伝わるんだなあって思います。
今、私は56で、35歳の頃から21年経っているわけですけど、本当にそれを実感することが多いです。
ーー明るい気持ちでデザインしたテキスタイルが世の中に広まっていけば、世の中も明るくなっていくんでしょうか?
私はテレビを持ってなくて、自分にとって必要な情報をつかみに行くっていうことを自由選択でやっているんですけど、一日中テレビを見るライフスタイルもありますよね。
大変な事件とか戦争とかの情報がずーっと流れてくる環境にいると、やっぱりわずかながらでも鬱になっていくってよく言われるじゃないですか。
私もセンシティブなところがあるので、事件を見ると結構へこむんですよ、半日とか一日。
感情的にへこむんじゃなくて、考え尽くす癖があるんですよ。
なぜだろう?
なぜこれが起こったの?
なんで自分はこれを見ているの?
その背景はどんなもの?
もっといい方法はなかったの?
結構徹底して考え抜くところがあります。
あのインスタを上げたのは、すごくショッキングな事件があった時でした。
それについてうーんって考え抜いて、ポッと出てきたのが「あ、明るいデザインしたい」だったんです。
失恋してギャン泣きした女性が、その後スッキリするみたいに。
たとえが変だったらすいません(笑)
ー第3回へ続くー
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