あなたにとっての物語とは? 〜『物語の役割』〜 【夏休み新書チャレンジ11】
夏休み新書チャレンジ、今日は9日目。
小川洋子さんの『物語の役割』です。
小川洋子さんといえば、映画化もされた『博士の愛した数式』が有名です。この本ではそれが生まれるきっかけになったのが数学者藤原正彦先生との出会いだったということが書いてあります。
「数学が表す真理は、何事にも影響されない。部地理的な影響も受けないし、永遠に真実であり続ける。そしてそれは到底人間の手では作り出せないものだ」と藤原先生はおっしゃったそうです。
何か人間よりもっと偉大な存在、サムシング・グレイトが世界のあちこちに隠したそういった真理を謙虚な気持ちで探し続けているのが数学者、だというのです。自分に無関係だと思っていた数学にそんな予想もしない不思議や驚きが隠されている、それを聞いて小川洋子さんは小説の題材になる、と直感したといいます。
エッセイのネタになるならまだ分からんことないけど、物語のネタになるって……そこから想像力を膨らませるってことですもん、やっぱり創作者ってすごいな、と思いました。物語の書き手は世界で起きていることを極めて詳細に観察した上で、そこから四方八方に話を展開させるのですね。
あと興味深かったのは、小川洋子さんの場合、「言葉は常に遅れてやってくる」のだそうです。つまり、最初から言葉を紡いでいってそれがお話になるのではなく、何かのネタから生まれた情景であり、それがストーリーになっている訳ではない、ということです。「映像が頭の中に浮かぶときには、すでにそれが小説になるというサイン」だとおっしゃるのですね。
この作業はおそらく、私が通訳者としてやっている仕事の真逆の作業です。通訳者がやっているのは「言葉を訳す」ことですが、この「訳す」というのがなかなかの曲者でして、元の言葉にペッタリ並走してもよい訳にはなりません。じゃあどうしてるのか、というと、言葉を文字通り追うのではなく、イメージとして描いた上で、そのイメージを言葉に変換するという作業を行います。通訳の最中にメモを取るのは話を丸暗記するために記録しているのではなく、あくまで補助的に単語や数値を留めておく程度のものです。きちんと脳内に絵を描くことができたら、メモさえ本当は必要なかったりするのです。
映像を創造して言葉にする。言葉を映像として描き他の言語の言葉にする。共通点があるような、ないような……どっちでしょうね?
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よかったら読んでみてください。