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おかの日記 特別編 / 『おかのひろと』とは何者なのか?

こんにちは。こんばんは。おはようございます。おかのひろとと申します。

はり師 / きゅう師 / あん摩マッサージ指圧師 / 柔道整復師 / 第4級アマチュア無線技師の国家資格を持っています。

『名前は聞くけど、こいつ何者?』という声も聞こえてくるので

Twitterで聞いてみた。



皆さん、素敵なご回答ありがとうございます!(随時更新)

ちゃんと自己紹介します。

・どうしてはり師 / きゅう師 / あん摩マッサージ指圧師になったのか。

・柔道整復師を取得したキッカケ。

・これまでの職歴や活動。

など、普段あまりが出していない はり師 / きゅう師 / あん摩マッサージ指圧師 / 柔道整復師 としての歩みを書いてみました。

岡野浩人を知りたい方に是非お読みいただきたいし、お読みいただいた上で、コミュニケーションができたら嬉しいです。

生い立ちから資格取得までのダイジェスト

鹿児島生まれ。高校は鹿児島城西高校。部活はサッカー部。ポジション:ゴールキーパー。背番号は17。二年時に全国高校サッカー選手権大会出場。高校のサッカー部に帯同していたトレーナーさんの仕事を見て、トレーナーになる道を選び上京。

花田学園 日本理療専門学校本科 / 日本柔道整復専門学校 卒業。
はり師 / きゅう師 / あん摩マッサージ指圧師 / 柔道整復師の国家資格取得。

第4級アマチュア無線技士は小4で取得。


はり師きゅう師あん摩マッサージ指圧師を目指したキッカケ

トレーナーになりたかった。高校3年間サッカー部の控え選手だったから裏方で活躍できるトレーナーさんがカッコよくて。当時チームについていた先生が鍼を使っているのが印象的で「鍼って便利…!」って思って鍼が使える進路を選んだ。

そう。全国大会出たし、1年生から強豪校の1軍にいたのだけれど、3年間控えのゴールキーパーだった。公式戦の出番などそんなにない。だからこそ見えた視点というのはあったのかもしれない。1軍にいることで、常に勝たなくてはいけないという感覚は染み付いていたし、控えであってもチームが勝つためにやるべきことを見つけなくてはいけない。試合に出る選手がどうしたら気持ちよくプレーできるのか。どうしたら思いっきりプレーできるのか。

試合に出た時も、きっとその感覚はあったのだと思う。例えば...シュートを外した選手がいたら、シュートを打ったことを褒めた。シュートを外したことを追求すると、次のシュートチャンスで迷ってしまう。当然、シートを外したことを叱咤する人もいる。だからこそ、次のチャンスでも迷わずシュートを打ってもらいたい!という意思をアピールした。そうすることで、次のチャンスでゴールという結果が生まれたなら、チームとしては〝勝ち〟に近づく。

自分自身のことも工夫した。ゴールキーパーとしては小さい170cm。でも1軍にいる。なぜか。チームとしては「点が入らなければいい」のである。私はボールを止めることに関しては身長が低いという不利がある。どうしたかというと、チームメイトに声をかけて、シュートを打たせないように必死に声をかけた。先輩でも関係ない。シュート打たれたら、失点の確率が高いのだから、そうするしかない。その工夫の結果どうなったか。試合に出ている選手が自分の役割を徹底するようになり、チームの状態が良くなる。身長が低くても、ゴールキーパー本来の「ボールを止める」ということが他より劣っていても、勝てるチームを作る為に必要な人材となっていた。

『人を活かしたい』といった想いはこうしたところで育まれた可能性はある。そして、トレーナーさんの仕事がよく見えていただことも大きい。このころから『テーピング』や『スポーツマッサージ』という本を買っていた。どうしたら痛みが取れるのか、どうしたらパフォーマンスが上がるのか。興味があった。

鍼が使えると便利!に加えて、高校の時のトレーナーさんが花田学園出身ということで、『花田に行けば、このひとみたいになれる(はず)』という想いで花田学園日本鍼灸理療専門学校 本科を受験し、合格。無事第一歩を踏み出すこととなる。

本科入学そして

念願の鍼灸学校入学!トレーナーをやっている先生もいる!すでにトレーナー業務を行なっている同級生もいる!身体の勉強も専門的にできる!学校生活は刺激的だった。

学生時代は、暇さえあればトレーナーの現場見学。現場見まくり。なんなら試合チケット買って観客席から先輩の仕事を見てた。もう趣味かよってくらい。見てるだけで終わらせたくなかったから、ストレッチとテーピングの練習は頑張った。結果的に見学させて頂いている現場で選手に接する事ができたのは大きかった!

本科学生時代1年生の時は近所のマ●モトキヨシでアルバイトをしながらトレーナー見学しまくっていたのだけれど、2年目から茨城で開業されている鹿児島出身の先生にお声をかけてもらい、鍼灸整骨院で住み込み見習い&トレーナー業務をしていてた。ここから少しずつ鍼灸師としても、トレーナーとして、大事なことを学んでいくことになり、そして人生を左右する出来事が起きる。

この鍼灸整骨院では某有名大学サッカー部や、某強豪高校野球部などのトレーナー業務もさせてもらった。住み込みなので、先輩や同期と同じ時間をたくさん過ごしたし、意見交換もしたし、練習もした。院では掃除、タオルのたたみ方、ベッドメイクの方法、患者様との接し方、電話の受け方や会計、そしてレセプトなど・・・学校では教わらない「現場」の訓練を積むことになった。大変だったけど、この時間で身につけた知識や技術以外のことが、その後とても役に立つことになる。茨城から渋谷の花田学園まで通っていたのであるから、強い気持ちがなければできなかったと思っている。その気持ちがあったから、吸収も早かった。

本科三年生の時、事件が起きる。院長が急死してしまうのである。突然のことで、20歳の私は気持ちの整理ができずに、仕事を辞め、アルバイトとかもせず、親のスネをかじりながら国家試験に向けた勉強して過ごすことになる。

3年生ころから学校の近くにあったクラブに通いつめることになる。夜学だったので、ご飯を食べて→オープンからクラブにいって→朝まで遊んで→帰って寝て→昼過ぎに起きて学校にいって勉強をする。と言う生活を送っていた。

国家試験は無事合格。

国家試験合格とともに、日本柔道整復専門学校に入学することになる。

柔道整復師を目指した理由

「柔整はいらない。」本科入学時から言っていた言葉。柔整はいらないと本気で思ってた。でもなんで柔整学校行ってんの?ってことなんだけれど、本科時代の住み込み時代にそのキッカケがある。ある日、師匠(院長)に呼ばれ『お前は柔道整復師になれ。』と言われた。師匠の言うことはなんでも受け入れていたのだけど、唯一『柔整師になる』と言うことだけ、拒否していた。理由は「必要ないだろう。」と思っていたから。そしてその話をされるたびに「柔整はいらない。」そう伝えた。

お亡くなりになったので『柔道整復師になれ』の意図は今となってはわからない。だからこそ確認したかったのかもしれない。当時は、管理柔整師として分院を任せられるからとかなのかな、くらいしか考えていなかった(柔道整復師になって、自分なりに意図を解釈できるようなるのだけど、その話は後ほど)。当然ながら学費のこともあるので、親にも相談して、花田学園の柔道整復専門学校に入学する。この年から、鍼灸校→柔道整復校に連続して行く場合の入学費が大幅に免除されることになり、また試験も面接だけになるというタイミングだった為に、親鍼灸師、マッサージ師として働きながら、柔道整復を3年間学ぶことになる。

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柔道整復学校時代は、趣味になっていたクラブ遊びがついに自分がDJをするまでになる。仕事・勉強...そしてDJ、クラブという生活が続く。この3年間でクラブイベントの主催をしたり、レギュラーDJとしてイベントに参加したりするようになる。

初めての職場(鍼灸整骨院)

国家資格者になってからは、柔整学校に通いながら鍼灸整骨院に勤務することになる。最初の職場では、院内の『言語』とカルテ記入が大変だった。院長先生が持つ知識を理解すること、使う言葉や、何気なくしている事の意味を知ることが求められた。知るか知らないかで吸収量も違うし、理解できて実践できれば、治療に入れたり、サポートできたりする。しかし、このカルテ記入は今思えば自然と『仮説』と『検証』をする結果となったし、わからないことを明確にして勉強するキッカケになった。当時の職場は所謂『トレーナー系』の鍼灸整骨院。治療とケアだけではなく、ストレングスのことも学んだし、自分自身もジムトレーニングで、勉強内容を実践していた。スタッフ間でお互いのトレーニングメニューを組み、追い込んでいたりもした。172センチの私だが、この時は80kgあった。とトレーニングして3食+プロテイン3回摂取、とかどうかしていた。胸囲も今では想像もできないぐらいだった。まあまあガタイよかったな、と思う。

治療院の業務だけでなく、地域のスポーツ大会の救護や、サッカーやバスケのトレーナー、そして少年サッカーのコーチなんかもしていた。

国家資格を4つ取得後

柔道整復師免許取得し半年後に勤めていた鍼灸整骨院が分院を出すと言うことで、管理柔整師 として勤務。主に外傷を扱う。骨折・脱臼の整復も行なっていたし、だいぶ柔道整復師っぽい業務を行なっていた。同時に鍼灸の予約も受けながら、めまぐるしく施術を行なっていた。

外傷を多く扱えた要因として、近くに中学校・小学校があって部活生の外傷を多く取り扱ったことで、大人の方も外傷の際に相談くださるようになったと言う点が大きい。そして近くの整形外科のドクター(某プロスポーツチームのドクター経験者)と連携が取れていたことで、骨折や脱臼も処置から扱えたことが大きい。ドクターとのコミュニケーションが取れていたことで、整形外科受診後も、後療法は整骨院で実施することができた。

本科の時にお世話になっていた師匠が言った『お前は柔道整復師になれ。』って言葉がわかった気がする。外傷、向いてる。整復や包帯などの処置、復帰までの後療法、そしてリハビリテーション。向いていると思った。

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この時期に結婚し、息子が生まれる。

転職①(鍼灸整骨院→自費多く扱う整骨院)

分院での業務は多忙を極めた。柔道整復師の仕事は向いてはいた。だけどのめり込み過ぎた。本音と建前、院の意向と自分の意思。こだわりはどんどん強くなっていく。折り合いをつけながら進む毎日。結果、精神的に病んだ。色々大変だったなぁ。

転職する。

技術を持っていて、自費を多く扱う整骨院さんにお世話になる。今、おかのが使っている手技療法はここで習得したといっても過言ではない。今までの技術と知識を持って、理解できた部分も多かったし、新しい知見も知ることができた。そして保険外治療や機器経験をする機会も得た。

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この頃に『マーケティング』に興味を持つ。院内では活かせなかったものの、昼休みに本を読み、DJイベントでテストを行なっていた。この頃は、クラブではなく、バーでDJイベントを行うようになる。

転職②(整骨院→訪問鍼灸マッサージ治療院)

人生で初めて『就職活動』というものを行う。転職サイトでエージェントをつけるという就職活動。4つの国家資格、臨床経験と、管理柔整師の経験...。毎日メールが来てよくわからないので、エージェントサービスというものを利用した。

(私が使ったサイトは今はこのサービスないみたいだけど)

マーケティング、経営、組織、マネジメント...。現場だけではなく、これらのキーワードを満たす就職先を探すことになる。見事にマッチング成功。面接から就職まで時間はかかったけれど、無事転職することになる。転職先は『訪問鍼灸マッサージ治療院』フランチャイズ展開する会社の直営治療院。院だけではなく会社の仕事を行うことになる。

この治療院(会社)で私がやったことは・・・
・現場で治療する
・現場に入りながらスタッフを指導する
・現場で治療しながら院をマネジメントする 
・現場に入らずにスタッフを指導する
・現場に入らずに院をマネジメントする
・事業に関わる他の役割を担う
・経営や新規事業を行う

鍼灸師マッサージ師として会社や組織に入ってキャリアアップしていくという方法を経験した。専門職として現場にいながらキャリアを積む選択、現場経験を経てマネジメントや経営に関わる選択、新規事業を立ち上げるという選択があることを知る。

訪問の話をすると、患者様はほとんどが高齢者。70代〜90代の方が多く、100歳を超える患者様も施術をさせていただいた。私は訪問現場において「マッサージ」よりもはりやお灸を使うことが患者様のお身体のご負担がなく、効果的であると感じるようになる。この訪問の経験を通して、ローラー鍼や、ていしんといった接触鍼を有効に使った施術を習得することになる。(この経験からていしんのワークショップやセミナーを開催することに繋がる)

この治療院(会社)在籍中に、鍼灸師の活用を進め、鍼灸師むけにも『訪問鍼灸』の啓蒙を行なった。訪問での鍼灸、療養費を使った鍼灸、というものを鍼灸師に広く知っていただくためのブログや、SNS発信、セミナーやイベントを実施した。ブログ(月間1万PV)とSNSを使って業界内に情報を発信していくスタイルで、若手鍼灸師を中心に業界の活性化を図った。

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サラリーマン時代に娘が誕生する。西麻布のバーでDJイベントを開始する。

これらの業務経験を経て、フリーランスとなる。

これまでの業界内活動

こんな活動をしたよ!というものを羅列してみた。

【鍼灸業界向けイベント】

西野亮廣講演会 / 鍼灸フェス総合プロデュース / 鍼灸師向けイベント鍼灸無限大 / 鍼灸業界初クラブイベント響-hibiki- / 鍼灸学生向けキャリアイベントAcu × Cross / その他、業界団体主催イベント / 企業主催イベントなど

【鍼灸師向けセミナーな開催サポート】

ZOOM導入イベント シンツバセミナー / クラウドファンデ連動 えみすけカテンセミナー / 鍼灸学校横断 5校同時開催 鍼灸師って自由じゃん セミナー / その他

ZOOMオンラインセミナーの開催 / お灸フェスタ / モクサアフリカイベント / えみすけセミナー / カテンセミナー / 副鼻腔炎ムック本発売記念セミナー / 豪客船鍼灸師が語る滞在期セミナー / 埼玉県鍼灸師会学術部講習会  / 日本東洋医学会学術集会 関東・甲信越支部 / 全日本鍼灸学会 関東・甲信越支部 学術集会 / 日本東洋医学系物理療法学会 / 東京スキンタッチ会 赤ちゃんセミナー などをサポート

【コミュニティー】Twitterに〝鍼灸クラスタ〟と呼ばれる鍼灸師ネットワークを構築 / 鍼灸師オフラインコミュニティ ヤナケンベース を企画  / #鍼灸ZOOM を運営  / 鍼灸師向けコミュニティ『sq-cloud』主催 / オンラインサロン『岡野インフラ研究所』所長 / Facebookグループ『美容鍼灸大学』立ち上げ / 東京スキンタッチ会 / ここちめいど / AMG  / 埼玉県鍼灸師会主催オンラインサロン彩-sai- などをサポート

今こんなことやってます

・鍼灸施術
・鍼灸師コミュニティ『sq-cloud』主催 / 運営
・オンラインサロン『岡野インフラ研究所』主催 / 運営
・コミュニティ運営サポート
・訪問鍼灸治療院コンサルタント
・鍼灸フェスなどのイベント企画 / 実行
・アパレル販売
・学会やセミナーのサポート

今後は
noteを通じて今まで以上に発信していきたいし、業界外の人を巻き込んだアクションもしていきたいので、注目してもらえたら嬉しい。その時は是非参加してね。

月額マガジン『おかの日記更新中』


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おかのひろとの軸になるもの

どうだっただろうか。なんとなくこんな人っていうのがわかっていただけたのではないだろうか。私、岡野浩人は『楽しいこと』『面白いこと』に対する強い好奇心を持っている。興味があることはやってみたいのである。これに『好きな人の為』という要素が加わった時に大きなパワーを発揮する。そんな人間である。

国家資格者としての治療、ビジネス、マーケティング、マネジメント。それらを経て『もっと自由に、もっと自然に』という思いが強くなってきている。

流れに身を任せながら、それでも力強く、これからも活動して行きたい。

おかのひろとに踏み込んでみたい人へ

連絡してね。SNSで絡んでね。お気軽に。馴れ馴れしく。どうぞよろしく。

最後に

最後までお読みいただきまして本当に本当にありがとうございました。


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