生きてるだけでいいの辛さ

自分は平気で死にたいとかをよく口にするのですが、周りから生きてるだけでいいことあるからと言われます。

どう考えてもいいことよりも、不安や不満を感じることのほうが多いと思う。
割合でいうと3:7ぐらいなんじゃないかなと思う。
嫌なことのほうが多く感じるのだから生きてるだけ辛くは感じる。

なぜ、個人の幸せを叶えるためには頑張らなきゃいけないというのか、頑張らないといけないのならば、生きてるだけでいいということにはならないと思う。

高校まで部活をしていて思ったことがある。
明らかにふざけてるけどうまい友達、真面目にやってるけど下手な友達。
もちろんその逆もいる、ふざけてて下手な友達、真面目にやってて上手い友達。

ここで思ったのは、頑張る頑張らないじゃないなにか、他の要因のほうがこの部活で活躍するには必要だと思った。
もちろんスポーツなので生まれ持った体格はすごく大切だし、あとはそのスポーツで勝つための考え方も大切だと思う。いろいろな要因があると思うのだが、これらを18才までに全て自力で身につけるのは不可能だと思う。

どう考えても、その時の環境、生まれ持った能力などの運が必要な要素の一つだと思う。
もちろん練習による学習、能力向上もすごく大切な要因だと思うが、この練習が真面目にできるかどうか、努力できるかどうかも才能だと思う。

「自分もやればできる」はよく言われてきた。
たしかに、時間をかけて、できる範囲で効率よくうまくなるために考えてやればいつかはできるようになったのかもしれないが、自分のメンタルがそれに耐えられる能力をもっていないといけない。

自分は完全にメンタルがもたなかった。

自分がやりたいと思ったことと能力が一致することは難しいと思う。

やればできる、頑張れ、と言われるのがすごくきつい。
うまく言ってるような人に、このような弱音をいうと相手にされない。
頑張らないで人生楽しく生きたい、適当に生きてても楽しく生きたいなんて言ったら確実に相手にしてもらえないだろ。

生きてるだけでいいなんて言う世界じゃない。
人間は大勢いる。変わりはいくらでもいる。ならばその人たちよりも能力が高くなければうまくはいかない。
能力を高くするにはもともとの運+努力や練習の総和が他の人より高くなければうまく行かないのだと思う。

競わなくてもいい世界があるとしたら新しいものを自分が産み先駆者になることなのだが、これをできるのも運と今までの自分の経験だと思う。
誰しもができることではない。

生きていればいいという世界は今の日本には無いと思う。
徳川将軍が天下統一していたときの農民を生かさず殺さずで年貢をいっぱい納めていたときの農民のように生きていくのが定めなのかもしれない。

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