見出し画像

【中国語講座】“看到”と“看见”

ある学生がメールで質問をしてきてくれました。

学生からの質問は僕の大好物です。自分もかつて引っかかって「なぜ?」と思ったことを教えてあげられるから好きだ、というだけではありません。自分が引っかからなかったところに引っかかっている学生からの質問は、僕の凝り固まりつつある頭をもみほぐしてくれる可能性があるからです。

さて、今回の学生からの質問は結果補語についてでした。

結果補語に限らず、中国語の補語は難しいですね。僕も何となく感覚的に分かっていることが多いので、いざ説明しようと思ったら言葉にならないなんてことがよくあります(苦笑)。

今回は結構具体的な質問でした。“看到”と“看见”の違いが分かりません、とのことでした。

そうですね。どちらも「見える」と訳すことが多いし、どちらを使ってもOKという状況も結構ありそうですからねぇ。

違いが分からない場合は、語源を繙いてみるのが言語学の定石です(と、インド哲学を習っていた時の恩師に叩き込まれました… 笑)。今回の件については語源までさかのぼらなくてもいいですが、漢字の表すニュアンスを探ってみることにしましょう。

◎結果補語の“

”が結果補語として使われた場合、目的を達するようなニュアンスが出る、というような説明がよくなされます。

もう少し分かりやすく言うと、目的物に手が届く(手が到達する)という感じ(だから“”という漢字を使う)ですかね。一番分かりやすい例はこれかな?

找到 zhăodào

”は「探す」という意味ですね。「あれはどこにあるかな?」と思いつつ探して、ようやく探していた目的物を見つけた(手が届いた)時に“找到”となるのです。

他の動詞でも同じで、“买到”だと、欲しいと思っていたある物をある日とうとう「買った!」というような場合に“买到”になります。

では“看到”はどうかというと、見よう見ようとしているものが見えた時に言う言い方です。

例えば、富士山の見える展望台に来たとしましょう。残念ながら曇り空で富士山がどこにあるかはっきり分かりません。でも隣の友達は「見えた」と言っています。ドコドコ?どこに富士山あるの?-あそこ!あそこだよ!もっと右の方!-あ、あれか!見えた!

この時“看到了!”となるわけです。

でも、実はこの状況だと“看见了!”も使えます。

◎結果補語の“

”が結果補語として動詞の後ろに入った場合、「感じ取る」というニュアンスが出ます。目が見た映像を脳が分析して「あ、あれは富士山だね」と判断する時に“看见了!”となるわけですね。ですから、上の富士山の状況でも“看见了!”と言えます。

では、“看到了!”と“看见了!”は何が違うのでしょうか。

さっきも書きましたように、“看到了!”は目的を達成したニュアンスが出るので、見よう見ようとしていないと使いにくいです。探しているような状況ですね。

それに対して“看见了!”は探していなくても大丈夫です。たまたま目に入った時でも使えます。

例えば、皆さんが友達と道を歩いている時に、有名なタレント2人がケンカしているところを見てしまったとしましょう。

友達と顔を見合わせたあなたと友達は、思わず言うでしょうね。「見た?」「うん、見ちゃった!」

こういう時には“看见了吗?”“看见了!”となるのです。たまたまでもOKなのですね。見ようとしていなくてもいいのです。そしてこの場合は“看到了吗?”“看到了!”とは言いにくいと思います。

同じような状況でも、友達がいち早く2人のタレントを見つけてあなたに「あそこ!タレントAがいるよ!」「え?どこどこ?」「あそこだってば!見えた?」「うん!見えた!タレントBもいるね!」というような感じだったら、「見えた」のところで“看见了”と“看到了”のどちらでも使えるわけです。

ちょっとした違いですが、面白いですよね。

通訳・翻訳家 伊藤 祥雄
大阪外国語大学外国語学部 中国語学科卒業、在学中に北京師範大学中文系留学、大阪大学大学院文学研究科 博士前期課程修了。通訳・翻訳業に加え、明治大学、東洋大学等の中国語講師を務める。NHK国際放送の中国語ネットニュース番組元キャスター。
著書に『すぐに役立つ中国語の基本単語集』(ナツメ社)をはじめ、『中国語検定対策2級問題集』(白水社)などの中検対策書多数。NHKテレビ「中国語!ナビ」のテキストで「中国語お悩み相談室」好評連載中。