試験とはQ&Aである。中学生の息子に「正答を得たいなら、知識ではなく、質問の解釈に思いを馳せよ」とメタ認知を教える

さて、長男の承諾を得たので、いよいよ序論の開始です。

まずは、初回に書いたことの振り返りから。

>自分の行動を人に(この場合は親である私)説明する際の下手さは、試験問題を解く時のまずさとも通じるということである。(中略)一方は会話であり、他方は試験である。また、片やインプットの勉強であり、片やアウトプットされたことの振り返りである。なのに、なぜ通じるているのか?

と問いかけました。そして、

>私に言わせれば、答えは簡単だ。どちらの作業も、「頭の働かせ方」という点では、同じだからである。(中略)いずれの行為も、コミュニケーション(通信)であり、その内容を整理するためのプロセッシング(情報の処理)だからである。

とまあ、偉そうな回答をしました。

そこで、今日の本題。

長男は、中2の最後の定期試験が残念な結果だった、ということで落ち込んでいたが、「まず、間違い訂正ノートを作れ」と指示。これは、「間違った問題について、誤答と正答を記載し、さらに、その原因と対策を書かせるもの」である。

誤答と正答を書かせるのは、彼の中学校でも指示が出ているようだが、原因と対策の2つは、私が中学生だった頃に、学校から指導されて、作っていた様式であり、長男には、確か1年の頃にも作らせたことが1度はあった。 

作ってきたものをみたら、原因については、「知識がなかった」「ケアレスミスだった」「時間がなかった」といったものだった。
 
もともと出来なかった問題であるから、その原因を正しく分析して説明することも、上手く出来るはずもないことは、十分わかっている。それが出来るぐらいなら、間違う可能性など少ないからだ。

それでもこの分析、というか振り返りがいいのは、弱点をしっかりと直視し、「自分なりに考えた」原因でいいから、それを意識することで、将来につながる具体的な行動への動機づけが出来るからだ。これをしないと、「次からはもっと頑張る!」といった抽象的な決意で終わる。
 
 ある日、英語について、「間違い訂正ノート」を実際の問題と回答をみながら説明させた。するとわかったことは、本人は、原因として「知識がなかった」と書いている問題でも、全く知識がないのではなく、「どっちかなー」と思える複数の知識は持ちつつ、直観で選んでいることがわかった。

 この状況を理解いただくには、もうすこし説明が要るだろう。

英語の問題であれば、例えば、

「問2 以下の文章が、過去であった場合、どのように変わるか、答えなさい」
といった、小問全体に対する質問文というか命令文があり、その後に、
1) 
2)

と小問が並ぶのだが、長男は、大問の問いをいい加減にしか読まずに、さっそく1)の文章を読んで、最初に連想したことを書いていることが多いのだ。

そこで、私が「なんで? ちゃんと考えれば、そうじゃなくて、●●じゃん。それ知ってたよね?」と聞くと、

「ああ、今、考えれば、そうだけど、その時、そうかなと思った」

と答えることが多かった。そこで、

「これでは、ちゃんと理解していない、うろ覚えの知識だから間違えたのだろう」と、私も、その時は考えた。しかし、その後、春休みは、その日あるいは前日の行動(主に勉強の進捗)について、私に報告というか説明させることを習慣にしたのだが、この際、この記事のタイトルにあるとおり、2つは同じ人間の同じ頭の働きだ!とわかったのだ。

具体的に説明しよう。

彼の報告の後、「なぜ、○○をしたのか(あるいは、しなかったのか)?」と尋ねた場合、私が問いの中で使った単語、それも文で言えば、比較的、始めの方で使った単語から、彼が連想したことをバラバラと答える事が多いのだ。

そのため、私が知りたいことについての回答は、なかなか得られない。そう長い質問文ではないはずから、文の最後までちゃんと聞いてから、その上で、事実を思い出すなり、説明を考え始めてくれたら、「あ、そうか。」と思えるのに。

 こちらの問いかけに対する実に要領の得ない回答になると、ついイラつくのは、私も凡人だからですが、イラつく際の回答のパターンをふりかえったところ、

・こちらの聞いていることには答えていない。

・こちらが知っても仕方がないことまで、詳しく言う。

・事実が聞きたいのに、言い訳がましいことを言う。

 などなど、皆さんも、いろんな場で不満を感じられる、アレのオンパレードなのです。

そんなことが続くので、さらに、「なぜ、そのようなパターンになるのか?」と私なりに考えたところ、長男の思考は

「自分が「主語」になっていて、質問をした聞き手が「主語」になっていない」と考えました。

ここで言う「主語」とは文法上のことではありません。君は何をした?と聞かれているのだから、「僕は」~をしました。と主語が自分で答えるのは当然です。

「聞き手が主語」とは、ここでは

「尋ねた人が知りたいと思っていることを想像しながら、そこに情報を整理しながら、配列していく」という意識がある事を意味させています。

これを、「自分が主語」で回答すると、聞かれたことに答えるのではなく、聞かれた際の文章の単語から、自分が連想したことを、勝手にいろいろと話すのです。

この時、勉強での頭の働きは、生活上の頭の働きでも出る!と最初に思いました。つまり、英語の問題で誤答をしたのは、知識がないからでも、理解が曖昧だからでもなく、そもそも、「相手が」聞いたことが何かを考えずに、「自分が」考えたことを書いているのだ、と。

 以上、もっと短く、説明できると思いましたが、実況中継型だと、長くなってしまいました。すみません。
 
 最後に、下記のことが関係しているのかと、まとめの代わりに紹介します。

人工知能と学力の関係を研究されている、国立情報学研究所の新井紀子教授の研究では、数学の問題の誤答の原因は、数学の知識以前に、問いである日本語の文章が、まず読めていない(理解していない)ということがわかったことに、大きなショックを受けたそうです。
そこで、まずは設問の日本語をきちんと理解するための教育に力をいれることになられた、という話を読み、またTVで具体的な実践を拝見しました。

今回の私なりの発見は、このことも通じるのかと考えられるのかもしれませんね。

出展 新井 紀子  AI vs. 教科書が読めない子どもたち  東洋経済新報社 2018
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