ものに対する感情移入はどこまで

文責:すずき(企業内デザイナー)

デザインの現場にいると、定期的に議題に上がるのが“愛着”や“見立て”、“八百万の神”などの話があります。この手の話は、日本に限った話なのかもしれないのですが、本当に私たちはものに対してそこまでの感情移入ができるのでしょうか・・・?

海外の映画に出てくるハッカーがPCに向かって「よーし、良い子だ。そのまま、そのまま…。チクショウ!このポンコツ野郎!」のようなセリフが時々出てきますよね。でも、私はそのような関係性をモノと築いた経験がありません。

あまり詳しくは知らないのですが、AIBOやPepperなどのコミュニケーションロボットと付喪神(つくもがみ:長い年月を経た道具などに神や精霊(霊魂)などが宿ったもの)のような「八百万の神」のような概念は全く別物として捉えないといけないのでしょうね。

家具や家電は八百万の神が入る可能性のある余白があり、私たち人間が「魂が入った気がする」と勝手に感じてしまうようなデザインを目指すべきなのでしょうか、それともどんなものにも神が入る余白を感じてしまうのでしょうか・・・。

たまたま出てきた、幼少期のおもちゃやホームビデオには思い入れや愛着はあっても、キャラクター的な要素はあまり感じないような気がしますし。

人と道具の関係についてはずっと興味があります。

人とモノとのインタラクション。

もう一度、融けるデザインを読み直したほうがよさそうですね。

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