リトビネンコ事件:元スパイ暗殺とその国際的影響③~なぜ二次被害可能性の高いポロニウム210が用いられたことがロシアの国家的犯行を裏付け
2006年11月23日に亡くなったアレクサンドル・リトビネンコは、ロンドン市内で放射性物質ポロニウム210によって毒殺された。暗殺の手法として極めて異例であり、使用された毒物は取り扱いが高度に注意を要すると共に残留物が他に致命的な被害をもたらしかねないという性質からしても前例がほとんどない。本稿では、この事件における法医学的および科学的証拠を検証し、リトビネンコの死因がどのように特定され、捜査が進展したのかを解説する。
◆ポロニウム210の特性~リトビネンコ暗殺に用いられた理由
ポロニウム210は、自然界にはほとんど存在しない放射性同位元素だ。つまり人工的に生成される他にはない。α粒子を放出するこの物質は、紙一枚で遮蔽できるほどの低浸透性を持つが、人体内に取り込まれると極めて強力な内部被曝を引き起こし、致命的なダメージを与える。
ポロニウム210の放射性半減期は約138日であり、この期間中に強力な放射線を放出し続ける。つまり、殺害犯行などに用いられた場合に現場に残留したものが、その後の深刻な二次被害を広げる可能性が大きい(下記の見かけ上の痕跡が少なくなる特質からも、知らず知らずのうちに被害を受ける危険があるといえるのだ)。
この物質がリトビネンコの暗殺に用いられたのは、その強力な致死性と共に使用後の見かけ上の痕跡が非常に少なくなる点にあると思われる。その反面、ポロニウム210は取り扱いが極めて難しいのだが、捜査側にとってはその検出も容易ではないため、犯行を隠蔽しやすい。リトビネンコ事件においては、この毒物が彼の体内で急速に作用し、短期間で命を奪うことになった。
◆リトビネンコの症状と初期診断~症状の進行で内部被爆の可能性が浮上
リトビネンコが体に変調を最初に覚えたのは、2006年11月1日の夕方である。彼は突然の嘔吐と激しい体調不良を訴えた。病院での初期診断では、通常の食中毒やウイルス性の感染症が疑われたが、リトビネンコの症状はそれ以上に急速に悪化した。
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