「2023年末にブラックビスケッツが復活したのだから、2024年末には野猿が復活する」という読みは一切どうでもよく、野猿の楽曲はひたすらに素晴らしい



『ナント勅令集』をお聴きになった方々に対しては、私がスキャットマン・ジョンをどれほど尊敬しているかについて説明の必要もないでしょうが、今でも『The Best Of Scatman John』は定期的に聴き直してるんですね。というか、去年11月末の別府旅行で大分駅から別府北浜まで歩いた際にずっと聴いてたのがスキャットマンだったんですが、そのとき『Jazzology』の良さに改めて気付かされましたよね。「ジャズ聴いてみたいんですけど、どのへんから入ったらいいんですかね?」という、問う方も答える方も切なくしてしまうだけの問題に対しては、「スキャットマンの『Jazzology』に出てくるミュージシャンを全部憶えて、なんとなく気になった名前から順に聴いてみてください」の回答でいいと思うのね、スキャットマンが間違ったことなんか言うわけないんだから。 “and Coltrane came after Bird” のくだりで何故か毎回泣いちゃうもん私。

 で、そのベスト盤の中に『Su Su Su Super Ki Re I (Radio Edit)』ってトラックが入ってまして、これ元々は日本限定発売の企業タイアップシングルなのね。発表は1996年、作曲は John Larkin, Brian Adler, そして後藤次利。説明するまでもないですよね、野猿の主要楽曲を手がけた後藤次利、その3年前の仕事ですよ。私、この曲のパーツそれぞれをどなたが担当したかについては知りませんけど、“mellow, fellow, I’m all that…” のとこは我らの次利が手掛けたと信じて疑いませんよ。全パートやばいこの曲の中でも、あの一旦落ちるメロのとこは本当に素晴らしい。なんかもう完璧みたいな曲なのね、作曲も編曲も作詞も歌唱も。

 そこから段々と「我らの次利仕事」が恋しくなってですね、数日前からずっと野猿のアルバム聴いてるの。 radioGA 第2回で「近所のブックオフにてプリファブ・スプラウトのアルバムを中古価格750円で買った」件については話しましたけど、全く同時期に私は野猿のアルバムも買ってたんですよ(1枚250円で)。同じころ近所の新譜屋に行って、VHSでしか置いてない野猿のコンサート映像作品の背表紙を「これ観たいなあ」って眺めてたのはっきりと憶えてますね、セルのVHSって今のDVDと比べて高価だったんですよ。それでもブックオフで買った3枚のアルバムだけは何度でも聴けるから、「午後のこ〜だ」使って .mp3 に変換して、近所の家電屋で売られてた3,000円くらいのプレイヤーに入れて聴いてたわけですねえ。それらの音源群も今や Spotify で簡単に網羅できるわけですよ。

 10数年ぶりに聴いた『Be cool!』に私どれくらいヤラれちゃったか、文章だけで伝えられたらいいんですが。ある程度の楽理が入った今だからこそわかるけど、この曲は基本的にG♯のドリアンで成り立ってるのね。ドリアンてのはエオリアン(=ナチュラルマイナースケール)と1音違い(6度が長か短かの違いだけ)で、これら2つを混ぜて使うのは音楽理論知らなくても耳が慣れてるから誰でもやっちゃうってのも以前説明しましたね。実際に『Be cool!』は歌い出しのメロがエオリアン(=ナチュラルマイナーキー)と解釈されても自然で、ここで一種の擬態をかけてるわけよね、「皆さんが知ってる通りの暗い音列です」って。でも「ヘイヘイヘヘーイヘーイ」のとこで巧妙に長6度の音が入るから、実はドリアンとエオリアンの混成でやってるって情報もイントロからの流れで開示されてるわけです。Aメロのとこは6度の音に触れないよう巧妙に低いとこを這いずってるから、この複調性が自然に出てるの。巧いわあこれも、「ポップスの技法で重要なのは引き算だ」って真実を自然に教えてくれますよね。

 Bメロでは短6度が強調されるので、「あっ思い詰めてる感じだ(=普通のナチュラルマイナーだ)」という印象が喚起されますが、『Be cool!』はそこからの流れで盛り上がらず、1番Bメロまで行ったら「ヘイヘイヘヘーイヘーイ」のパートに戻っちゃうの。ここでサビをおあずけするセンスやばいですよ、 TikTok 時代じゃ絶対に出てこない発想。「すんごい良いやつあとで聴かせてやるからもうちょっと待ってな」的な余裕さえ感じさせますよね。

 もう1回A→Bメロ繰り返したあと、満を持してサビ行くわけですが、ここで転調(というかモードチェンジ)が入るの。今までG♯センターだった音列から、Bイオニアン(メジャーキー)に移って「ずっと ずっと時は過ちに気付いてるのさ」のメロがくるわけ。数日前にここ聴き直したとき、恍惚で失神するかと思ったよ。「マジかよこんなに良かったっけ、うわあ、うわあ」って歯の根が合わなかったもの。
 このモードチェンジがどう効いてるかっていうと、もしサビ前の音列をG♯エオリアンと解釈した場合(実際Bメロはそれで成り立ってる)、G♯エオリアン(=マイナー)の平行調はBイオニアン(メジャー)だから、何も変わったこと起こってませんよね。でも散々説明したように、『Be cool!』はドリアンとエオリアンの混成だから、単なるマイナーからメジャーへのベタ移調じゃないの。実はドリアンが影の役者として貢献してて、それによって和声のダイナミズムよりもむしろモード的な音列交換のほうに価値が置かれてる音楽だ、ってことが解るようになってるのよ。もちろんファンクですよ、ドミナントモーションの解決以外で繋留感を持たせ続けるモーダルな音楽の代表例ってのは。テレビ局発案・エイベックス制作の企画モノで、ヒットチャート適合のポップスですってフリをしつつ、実はファンクの骨法をド真ん中に入れるってことを後藤次利はやったのね。その方途が野猿=大人数ボーカル&ダンスグループとどれだけ美事に噛み合ってるかなんて説明するまでもないでしょ。90年代末に売れたファンクだから言うわけでもないけどさぁ、野猿聴いたあとだとジャミロクワイとかなんだよとさえ思わされますよ。当時のUK出身だから仕方なかったのかもしれないけどさあ、ファンクグループなのにボーカルほぼ単体で済ますってナシでしょジェイ・ケイよ。ジェームズ・ブラウン並のエゴとともに支配するんならいいけどさあ、あなた中途半端に良心的じゃんよ。それと比べて野猿はボーカルトラックの数がやたら多いですからね、『Be cool!』のサビに入る瞬間の爆発力は、あの群声感無しじゃ成り立たなかったですよ。

 

〔後略〕


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