“いわゆる「腐女子」が、男性同性愛者の政治的共同性を前にしていきなり冷淡になる現象” にまつわる分析

〔前略〕

 私ね、長いこと不思議に思ってたんですよ、 “いわゆる「腐女子」が、男性同性愛者の政治的共同性を前にしていきなり冷淡になる現象” について。 Prefab Sprout の歌詞特集でさ、私がかつて Twitter 上の「文学系腐女子」とつるんでた時期について言及したでしょ? それ関連の着想でね、いま Twitter 上の「文学系腐女子」界隈がどんな感じか知りたくなって、試しに検索してみたのよ。
 そしたら(その手の関連アカウントとして)出るわ出るわ、「フィクションとして男性同性愛の形象を弄んではいるけど、現実に肉体を伴って存在する同性愛者の存在に対してはヒステリックな憎悪を呈してやまない」タイプの輩が。「虹臭い人お断り」なんて文言が bio 欄に踊ってるのを見たときはさすがに噴き出したよ。ああ、私がおよそ10年前から薄らに感受していた好ましからぬ諸傾向は、超自我=禁止の掟が蒸発して幼児的な防衛機制による際限無しの呻きを止められなくなった人々の大量発生の時代において猖獗をきわめているのだなあと解りましたね、驚きはしないけどさ。

 とはいえ、考えてみたら不思議ですよね。(出生的に)女性として存在するあれらの人々は、(ヘテロセクシュアルな性欲の充足を断念したか否かは措くとしても)ホモセクシュアルな世界に耽溺することで自己の内面を満たす嗜癖に慣れ親しんだんじゃないの? だとすれば現実に存在する男性同性愛者との連帯(←今となっては死ぬほど安っぽくしか響かない・実際にも死ぬほど安っぽい語句)の念を持っててもおかしくないというか、そっちのほうが自然なんじゃないの? って思いますわね、「クイーンやジューダス・プリーストのファンならば同性愛に関する差別意識など抱えていないはずだ」くらいの純朴さで信じたくなるのが人の良心というものでしょう。

 でも私ね、解っちゃったの。 “いわゆる「腐女子」が、男性同性愛者の政治的共同性を前にしていきなり冷淡になる現象” のメカニズムが。
 まず、ここは敢えて遠回りしてね、 “(二/三次元を問わず)女性の表象を積極的に消費したがる「キモオタ」男性が、現実に存在する女性の政治的共同性を前にしていきなり冷淡になる現象” を解剖してみましょう。


1:女性に対して皮膚接触レベルでの交流を持たなかった男性は、(二/三次元を問わず)図像や映像で享楽できる女性イメージに耽溺しはじめる。
(↑によって「キモオタ」と呼ばれうる生態が男性個体の内部・外部に定着しはじめる。もちろんここでの「キモオタ」が自認であるか/他称であるかはどうでもよく、また女性に対する接触の絶無が「キモオタ」的生態の原因であるか/結果であるかも同様に重要でない。本項は「女性に対して皮膚接触レベルでの交流を持たない」ことと「図像や映像で享楽できる女性イメージに耽溺する」ことの両要素が男性個体の内面に取り揃えられている状態のケース設定であり、それら両要素のうちどちらが先に来たかよりも、これら両要素のカップリングが個人の内面において容易く成立し・なおかつ文化圏を問わず同様の個体が大量に生産されている事実の分析に主眼が置かれている。)
2:男性個体はその嗜癖によって、図像や映像で享楽できる女性イメージへの没入の程度を甚だしくするが、現実に存在する女性への配慮は反比例するように衰微してゆく。
3:前2項の必然的結果として、「キモオタ」であることに居直った男性個体は、図像や映像で享楽できる女性のイメージに際限無く耽溺する一方、現実に存在する女性への配慮を要する事柄に対しては無視どころか嫌悪をすら呈する。なぜなら、現実に存在する女性は、男性個体が図像や映像で享楽できる女性イメージに(本来的に)蔵されていた政治的マターを絶えず通告する者として在らざるを得ないためである。


↑この分析内容に異議を唱える人は(劣等性コンプレックスとミソジニーを抱き合わせてこじらせた当の「キモオタ」的男性以外には)いないでしょう。もう21世紀到来直後から飽きるほど見ましたよね、こういう類の男性個体。
 でもね私、気付いちゃったの。上述ケースの主体を “「キモオタ」的男性” から “「腐女子」的女性” に置き換えても、まんま成立するんじゃないか? って。


1:男性に対して皮膚接触レベルでの交流を持たなかった女性は、(二/三次元を問わず)図像や映像で享楽できる男性イメージに耽溺しはじめる。
(それは例えるならば、週刊少年ジャンプ連載マンガの登場人物が実際に男性同性愛者であるか否かなどは一切どうでもよく、ひとえに男性イメージたちが無限に流通する経済圏の保持が最優先事項として設定されている。その原因はもちろん、女性個体に宿った何らかの神経症的事由に求めうる。)
2:女性個体はその嗜癖によって、図像や映像で享楽できる男性イメージへの没入の程度を甚だしくするが、現実に存在する男性への配慮は反比例するように衰微してゆく。
3:前2項の必然的結果として、「腐女子」であることに居直った女性個体は、図像や映像で享楽できる男性のイメージに際限無く耽溺する一方、現実に存在する男性への配慮を要する事柄に対しては無視どころか嫌悪をすら呈する。なぜなら、現実に存在する男性は、女性個体が図像や映像で享楽できる男性イメージに(本来的に)蔵されていた政治的マターを絶えず通告する者として在らざるを得ないためである。


↑どう? この図式に則すれば、 “いわゆる「腐女子」” が抱えている男性同性愛者の政治的共同性への嫌悪も理解できるでしょう。つまり、「生身の肉体を見たくない」ってことなの。一方的に異性のイメージに享楽する側は、その対象が自身と皮膚を接しない存在であることを前提としている。だから自身のちっぽけな内面の充足を侵しかねない存在が・それも散々オカズにしてきた「愛する異性」と同じような顔をして現れた場合、当の個体が自我を保つための方法はもはやヒステリックな拒絶しか残されていないでしょう。そうなの。 “いわゆる「腐女子」が、男性同性愛者の政治的共同性を前にしていきなり冷淡になる現象” のメカニズムって、 “女性の表象を積極的に消費したがる「キモオタ」男性が、現実に存在する女性の政治的共同性を前にしていきなり冷淡になる現象” のそれと全く同じなんですよ。

 私、前述の「虹臭い人お断り」系の “いわゆる「腐女子」” アカウントを検分していたとき、いきなりこのことが解っちゃいましてね。なるほどお、だからかあ、そりゃ怖いよなあ、無害でいいにおいのする存在として享楽し尽くせるはずだった異性がいきなり然るべき主張を始めた日にゃ、そのちっぽけな自我を守るためにあらゆる方策を講じなきゃいけなくなりますよねえ。


 ここまで述べたうえで、私は率直に訊きたいの。皆さん、他者の肉体がそんなに嫌いですかね? 私、他者の肉体も自分の肉体も同様に好きですけどね。よっぽど怖いのかなあ、自分の思い通りにならない個体がこちらを憎んだり愛したりする、そんな世界に生かされていることが?


 
〔後略〕


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