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禅問答

さっきの投稿通り、今日は筋トレをやり込みすぎて、脳内のセロトニンやβエンドルフィン、ドーパミンなど快楽物質が大量に放出されたのか、男性ホルモンのテストステロンの影響なのかわからないけれど、卑猥なLINEをkに午前中送信してしまった。

落ち着いてから、どうにも恥ずかしいと思い、送信取消をし、かつ画面に表示されていて、未読だけど読んだ可能性もあると思い、言い訳がましく、筋トレに起因することと、「あえて書くことで逆に恥ずかしいよね(笑)」と言う、全方位に安全網を張ったLINEをした。そしたらね、なんてきたと思う?

「あんなにいやらしい姿、録画されてるのに、まだ恥ずかしいの?笑」「恥ずかしいって言いながら、本当はxxxxxxxxxxxxて欲しいんでしょ?」

という、意識エロい系の私でも、文字を起こすのに躊躇するような、どSな返信がきて、私の戯言なんて、kにとっては大したことではないと、安堵する。

そこから、私が「恥ずかしいと感じるのはなぜだろう?」という、小学生のような質問をしてから、話はどんどん発展する。それは、k曰く、私の脳神経と身体の話だから、私の意識がどうとかは関係ない気がする、とのこと。

→社会的に隠したいこととと、もちろん見られたくないけどでも「見せたい」という相反する感情が人にはあること(k)

→抑圧と解放の概念と近いのかな? 必死に隠そうとすればするほど解放の力が強まるみたいな?(私)

→そうだね。人の消費行動と似てる。希少なもの、隠されたもの=価値が高いものと認識する性質に起因するかもね。「残りわずか」「限定品」って言葉に人は弱い。俺も美人*1(希少)で社会的貞操観念の強い(秘匿性)サキの秘部を求めたわけだけど(k)

→なるほどね。希少性と秘匿性は、現代の消費行動のベースにあるよね。あと、私の曝け出したい相手は限定されてるだろうね。外に出て、全ての人に曝け出したいと思わないし、それをしたら自意識が崩壊する。社会で隠してても、曝け出したい人にだけ曝け出すことで、満足するのかも。そう考えたら、kに会えてよかったわ(私)

*1  私は特段「美人」の部類ではないと思う。kは美人というけど、kにそう見えてるだけであって、それは一般化できることではない。

私の「会えてよかったわ」に対する返信が、思いもよらず、美しかった。

会ったとしても、美しさを維持できていなければこんな関係になってなかっただろうね。会ったとしても、常識と理性を優先して初デートを躊躇ってたらこうはならなかっただろうね。自分のためとはいえ、美しさをキープして、勇気を持って一歩踏み出してこのルートに続く糸を掴み取った自分に拍手だね。

あー、もうこの返信で私の自我ちゃんが完全に舞い上がった。嬉しかった。自分の本質を愛でてくれる感じがした。だから「筋トレのモチベーションがまた上がったわ。ありがとう」って言った。ここで終わると思ったし、本日は美しいendingだと思った。だけど、kは手綱を緩めなかった。

本当のことだしね。昨日までやってこなかったことをやることを「勇気」というならば、サキは「勇気」を持って行動したということだね。

それに対して、「確かに。人生の数多ある『勇気』の中で、とびきりいい決断をしたと今では思うわ」と言った。→これが余計だった。kのウオッカ的な知性に火を着けてしまい、意地悪なことばかり言いだした。

サキが素直で可愛いから意地悪を言うと、途切れない決断の連続が今だから、「よくなかったという判断してる決断」と、サキがいう「とびきりいい決断」は切り分けられない一体のものだよ。

くっーーーーーーーぅ。悔しい!

悔しい、悔しすぎる。日頃、女友達とかで「今までの男はどうしようもなく、今の彼(or旦那)がすごくいい」と言う人に、「今までの人がいるから、今そう思うだけであって、過去をダメみたいにいうのは違うんじゃない? 過去の人を含めたのが『今の自分』だよ。何かを比較するなんてナンセンスだよね」と、若干呆れ気味に涼しげに言う私が、こんなバッサリ言われるなんて、自分のことは意外とわかってないんだなと、羞恥の極み。笑止千万。

多分、言葉でしか理解できてないけど、なんとなくはわかる。決断だけじゃなく、全ては連綿と繋がってるとは思うわ。とにかく、その限定的な「勇気」は関係なく、私は今の自分が好きだし、美しいものを美しいと思える、今が幸せだと思う。その勇気を含めて、今までの生き方って悪くないって思う。

って言ったら、まだまだ、快楽的な攻撃が続く。

そう考えられたなら、よかった。さらに意地悪なことを言うと、俺は「いい」「悪い」とかも考えないけどな(笑)。 サキの「栗とリス」と同じで虐めたくなる。

キーっ!!

「栗とリス」はもちろん、今、適当に変換しただけだけど(実際はダイレクトに)、とにかく悔しい。白いハンカチを噛みたい。なんだ、そのウォッカ的な知性で私を弄るのは!!!

善か悪か、美しいか否か、良いか悪いか。二元論で決めつけるのは、kに言われたからでもなく、前から大嫌いだ。でも、無意識のうちに囚われ、にじみ出てるのだなと、恥じた。何かの「比較」をするのは、美しくない。「●●もいいけど、△△もいいよね」というのも、柔らかく、上手いこといってるようで、「△こそ、一番」という優劣をつけている。マウンティングの一種だ。

それと、やっぱり、kの思考は美しくて(私には)、出会うべくして出会ったなと、改めて思う。そして、筋トレのモチベーションがまた上がった。私が私のためにしてることが、kに私が「美しい」ことと映ること、こういう関係になって1年半でも、自分に対する美意識を維持できてることを肯定的に捉えよう。普通に「きれいだね」と言われる以上の言葉を受け取った感じだ。

美しいことの連続で形成されてる「今の私」ではないし、むしろ「黒歴史」でしかないけれど、一つ一つの選択が繋がって、今の自分があるし、だからkに出会えたの。どれもこれも、今を形成する私には必要だった。そして、ここまで読んでる人も、「今まであったことは全て一つ一つ意味があるのよ」ということだけは声を大にして伝えたい。

なお、蛇足でしかないけど、筋トレをしすぎて、プロテインも増量し、たんぱく質過多気味だからか、筋肉の「超回復」のせいなのかわからないけど、(短期間で脂肪が筋肉に変わるというのは、安易すぎるので否定的)、ここ最近ではありえないぐらい体重が増えてるけど、一時的なものとして、気にしないでおこう。




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