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好きのかたち

愛とか好きとかなんて語れないかもだけど。年末に愛し合って、そしてしょうもないメールが既読スルーされて、年始突入。年末年始は慌ただしいし、感情の整理もしやすく、色々冷静に考えられた。相変わらず私は夜な夜な飲みながら、書いたり、考えたりするのが好きだし、変わらない。人恋しくなって、グダグタを受け止めてくれる人にメールしたりもする。けど、ふと夕焼けを見たり、好きな音楽をきいて心が揺さぶられた時に、好きって気持ちが湧き上がってくる。それをどうしようもなく伝えたい、って前ならすぐラインしてたけど、それを相手に伝えなくても、そう思うだけで、いいんじゃないかなって強がりでもなく思う。言っても、コースケは受け入れてくれるだろうけど、言わなくても、なんとなく、伝わってるのかなって。

今までも私の心の動きやコースケの感性がいっぱい詰まった、私の宝物みたいなラインを読み返すことがやっぱりあったんだけど、もう体に染み渡ってるし、先日、全部削除した。帰りに会えるかなって思ってたけど、私がトイレに行ってる間に帰ったのか、合わなくて、二週間ぶりぐらいなのに、って自分の感情が荒れて、勢いで削除してしまった。何にも残らない。ってちょっと荒れちゃったんだけど、もう連絡しないんだって、心の中で叫んでみたけど。何もないところから、もう一回、始まってもいいかなって。駆け引きじゃなくて、コースケと私はやっぱりどこか通じてるし、一方的なものじゃないって今までのやりとりで思ってる。第一に、体がぴったりだから。コースケが「わかってるよ」「繋がってるよ」って言ってたのが、ちょっと理解できるというか。

ラインには何も残ってない。だから、友達の中からコースケを探して、青空の背景に対して、「おはよう、コースケ」って送った。絵文字もなく。そしたら、「おはよう、大好きなサキ」って来た。ただ、それだけ。そのメールだけで、ご飯3杯ぐらい食べられるぐらい。すごい、幸せ。植物と一緒で、ある程度、死なない程度の抑圧があると、こんな一文だけで、幸せになれるなんて。今までだったら、嬉しいとか、さらに会話を続けるんだけど、もうそれもいらない感じ。

ということも言わなくても、なんとなく伝わってるんじゃないかなって思う。コースケには。であった当初みたいな興奮とか恋心はないけど、やっぱり愛おしいし、形は人から見たら歪んでるのかもしれないけど、それでもやっぱり愛おしい。肉欲だけでもなく、うまく言葉にできないけど。

心のバランスが取れて、よかったな。断食、成功だ。

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