因果関係
脳内の記録のために書きます。
大抵のことにいえるけれど、Aというactionがあったから、Bというactionが生まれるといった「因果関係」が存在する。さらにいうと、Aの些細なactionがBに多大なる影響を与える時に、人はbutterfly effectと呼ぶ。一見何の関係もなさそうな小さな生物である一匹の蝶の羽の動きが、結果的に大勢の生命を脅かすような事件を呼び起こすかのようなパターンだ。
ポジティブな場合はいいだろう。「あなたのたった一言のおかげで、私はこんなに上手くいった」といったケースでは、win win でしかないし、実際はその人のおかげではないにしても、その人自身の動きの結果だったとしても、お互いが幸せな気持ちになるなら、別にいいじゃない。
問題となるのは、「あなたのたった一言のせいで、私はこんなに失敗した」というネガティブなパターン。
人は弱いのだろう。常に説明しうる因果関係を求めて、「○だから△」と決めつけて、自分の問題を他責にする。
人間らしい。だけど人間らしくて、醜いなと思ってしまう。
仕事だったら、まだある程度割り切れる。失敗か成功に限らず、それなりの規模の組織であれば、一人の責任は追求できないし、そうなってくると、責任を取るべきは社長一人のみであって、非人道的、非合法的な行為をいち社員がしない限り、AもBも責任は問われない。
問題になるのは、仕事以外のところだろう。給与といったわかりやすい報酬があれば、割り切れるが、家族ごとも恋愛も、報酬はない。
何の成長もないパターン。例えば、恋愛において、「あなたがこんなに冷たいから、私はこうなっちゃうのよ」。例えば、夫婦関係において、「あなたがこんなにひどいから、私はこうなっちゃうのよ」。
賢明な皆様はお気づきのことと思うが、そこに未来はなく、この言葉を発した時点で、何かの終了だと思ってる。
明らかに「あなた」のせいで、私がこうなっていたとしても、「あなた」のせいにした時点で、私の成長はない。他責他責、私は悪くない、という思考で幸せになるパターンがあるのだろうか?
かといって、もっと嫌いなのは、無理矢理「私はいいの、むしろそれが私が望んでいるの」というポージングで、我慢し相手に合わせた場合。たちが悪すぎる。一時的に自分を納得させた「それ」は確実にいつか大噴火する。しかも突然。
なんにしても、自分の決断は自分に責任を持ちたい。他責は逃げでしかない。
「私はこの時、そう決断した」。
それがすべてなんじゃないの?
「あなたがこうだから、私はこうなる」といった思考に自分がなっているとき。
相手がそのような思考になっているとき。
その先に生産的な未来はない。他責の結果、破綻しかない。
自分の心の声に常に耳を澄まして、自分なりの判断をしたい。
満月がきれいなのは、希少性のためか。
まんまるという形状になんらかの意味を見出すためか。
「一般的に」なんてどうでもいい。
私がどう思うかに神経を集中させるべきだ。
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