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マサが姐さんをつんつんするに至った経緯

まずは、夢のような環境を設定しないといけない。
古今、あらゆる物語はまず、夢のような環境を描くところから始まった。
一見それは、安直なユートピアではない。
むしろ、一般にはネガティブな状況である。
「ゾンビにかこまれてショッピングモールに閉じ込められる」
「疫病が流行って、子供だけで暮らしている」
「行きがかり上ロボットに乗って使徒と戦わなきゃならなくなった」
何かドラマが起きそうな、実際、だからドラマが起きるのだが、そういう理想的な状態をまず設定することが大事だ。

例えば逃げられない状況で、どうしてもロボットに乗るというシチュエーションがなぜ理想的か?
乗りたいので乗る、だと単なる破壊衝動になる。ガキの夢がバレてしまう。あえて、「乗りたくないんだよ」という言い訳が機能しなければならない。

いろいろとツッコミを入れたくなる。
・なぜ二足歩行?→ロボットではなく半分生物っちゅうことでクリア
・大人じゃだめなの?→DNA的な要素でクリア
・退屈な訓練の必要はどうした?→DNA的な要素でクリア

こういう、ツッコミを先に想定することで、理想的なシチュエーションは可能になるかもしれない。
例えば、
a, 漫画喫茶でたまたま清掃に入った店員の女の子と×××
b, 前を歩いているお姉さんのお尻に×××
さあ、どういうツッコミが入るだろう?

・警察呼ばれる。
・普通に拒絶される。
・社会的に死ぬ。
・周りの人が止める。

これをキャンセルするようなシチュエーションが、あらゆるネガティブな設定を受け入れてでも実現すべき理想的なシチュエーションとなる。
たとえば、
a, 時間に毛が生えて、毛の時間は記憶に残らない。
b, 24時間に1回お尻を触らないと死ぬ。
など。

さあ、恐れることはない。
あらゆることは可能となった。
法を犯すということが、目下最大のテーマだ。
倫理的にアウトな、人間として最低なものをあえて成すということが、今、待望されている。

人間として最低はなんだろう?
群衆にまぎれて、石を投げてリンチすること。
環境を搾取し、汚染し、毒を撒き散らしながら贅沢を享受すること。
だれかが苦しんでいることをなんなら面白がって、自分の快楽を貪る。

他人の苦しみを観覧しながら、ソファに座って美味しいお酒をのむ。
これが人間として最低の状態ではないか。
とても安全なところから、どうにもならない弱者が虐げられるのを眺める。
覗き趣味は大体、そういう原理だ。
ネロやカリギュラが2000年前にすでにやっていた、全く凡庸な悪事。

とても矮小な願望を、一点突破で考えてみよう。
女の子と×××とか、パンツ見たいとか、まだまだメジャーだ。
もっともっと矮小で小さいところを見つけないといけない。

まず、性欲なのか?
それがすでに絶対的なファクターでなくなっていることはどうでもいい。
性的マイノリティの問題がマジョリティになった今、古い性欲はマイノリティになっている。
だが、問題はそこじゃない。

「めちゃめちゃ綺麗な女の人を、棒切れでつっつく」
これくらいピンポイントでなければ。
そこで、考えるべきは
1、究極に綺麗な女の人とはどのようなものか。
2、棒切れでつっつくことを必然的にする設定とはいかなるものか。

2つ目の問題は大した問題ではない。
女の子を棒切れでつっつかざるを得ない状況など、無限に提案することができる。
問題は1つ目で、究極に綺麗な女の人とはどのようなものか、という問題だ。

まず第一に、「女性」をめぐる極めてポリティカルにコレクトではない問題がある。
女性が商品である、という問題だ。
女性は、その身体が商品なのだ。
というか、商品というものが女性を模倣している。

願望の中心に女性がある。
男性は、他者として、女性は主体として女性を欲望する世界を生きている。
この「女性」は長いこと女性であったが、今は必ずしも女性ではなくなっている。
それはともかく、欲望されるものの中心として女性がある。
しずかちゃんも、シータも、アスカやレイも、全部、そういう意味の女性だ。
それを、棒切れでつっつく、というところには、「欲望の対象」という要素とは別の、「つっつかれると普通不快」という、まっとうな人間として、という女性の側面が作用している。

究極の女性とは、どのようなものか。
モデル。
背が高く、高い値段で取引される娼婦。
セレブ。
貴族の女性。特権階級。
つまり、暴力(権力)を間接的に振るうことができる女性だ。
これを、棒でつっつく、ということが今回我々に課せられた使命である。

究極の暴力を備えた女性。
マフィアのボスの女。ヤクザの親分の女。
その女性自身が暴力を行使できる場合はどうか?
例えば、女性がマフィアのボスであったり、ヤクザの親分であるような場合。
やっぱり、つっつくのは楽しいだろうか。

相手を殺すことも、操ることも、怪我させることもできないが、絶対につっつくことができる特殊能力。
荒木飛呂彦なら、こんな能力でもうまく扱えるだろうか?
・棒でつっつく。
・ほっぺたをつまむ。
・屁をかがせる。
・脇の匂いを嗅ぐ。
願望のサイズを測る基準は、「アラジンがランプの精に頼んでたら面白いかどうか」だ。
「よし、ジーニー、願いを言うぞ。女の子を棒で心ゆくまで突っつきたい!」

ア、安全なところから、その反応を見て楽しむ覗き趣味。
イ、その対象は、大きな暴力を持っているということ。
ウ、それを必然的にする設定。
これが物語の始まりの条件だ。

アとイは矛盾している。
覗き趣味がアドレナリンにつながるためには、「下手したらボコボコにのされる」という前提が機能していなければならない。
そして、ウがアクロバティックにそれらをつなぐ。

シンプルに、ヤクザの下っ端が、親分の女を棒でつっつく、というシチュエーションがあれば、それはとても面白いだろう。
「何するんだい!やめな!」
「えろすんまへん!ほんま勘弁してくだせえ!」
「だから突っつくのをやめろって言ってんだよ!」
「それが、それだけはできねえんで」
「なぜだよ。手を止めればいいだけじゃないか(いてっ)」
「まあ、そうかもしれねえんですが(つんつん)」
「だー!もう、だからやめろって!」
そこへ親分。
「おい、マサ。テメエ俺の女に何してやがんだ?(血管ピクピク)」
「ああああ!親分!」
「ふん、あんた死んだね。(いてっ)だからつっつくのやめろ!」
親分がマサを鉄砲で撃つ。
神の速さで弾を避けるマサ。
「一体こりゃ、どういうことだ?」
「へえ、おいら、どうやら、綺麗な女の人をつんつんしている間だけ無敵になれるようでして」
どんなに逃げようとしても、姉さんはつんつんから逃げられない。
「よし、そんならその能力使うて、他の組一掃したらあ!
みんな、マサに続けぇ!」

例えば、そういうことなのだ。

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