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議論や、話し合いのとき

「話し合いで大事なのは内容だし、内容を深めるために率直な意見を出し合えるような『良い雰囲気づくり』に気を配るべきなのに、態度に訴えるのは無意味だったり精神的に優位になりたい『逃げ』の気持ちの現れだと思う。でも何よりも互いに話し合いの環境が整えられないなら時間の無駄だと思う。」

そんなふうに思います。

イジワルな態度をとってみたり、しかめっ面で顔をそむけてみたり、相手の話を遮ってみたり、口調がきつくなってしまったり……そんなことしなくても率直な意見交換ができる人に、カメラの前で「対談」や「議論」といわれることをしてほしいと思います。

「イライラ」とか、なんだか知りたいことが不鮮明なのに、きつい言い方のせいか鋭いように感じてしまう無意味な質問で返答側を追い詰めるようなことになってしまっては、もうそれ以降交わされる言葉に意味なんかほとんど生まれない気がしますよね。内容が深まったり展開されることが期待できませんから。対話してる人なら、イジワルな態度でツンツンしてる側は、なんとなく安心なのかもしれません。その態度を受け止めつつ応答する側は、ストレスが溜まりっぱなしです。質問が見当外れな上に険悪めなムードとなれば、ただでさえ困る返事が、さらに難しくなってしまいます。うまく答えられないだろうと思いながら、面倒くさい袋小路にはまることに気づいていながら、返事をするのです。そんなの第三者として聞いてたって勉強にもなりません。政治的な話になると、こんな場面を見聞きすることがよくあります。それだけ、「ストレスの溜め損」が起こってるんだなと思います。

「どんな人だって、ひとりの人間なんだ」みたいな意見を多く見ますが、そうですよね。

「良いもの」が相手から出てくることを促せるような人になりたい。自分にだって、出させてほしい。反対意見だって、和やかに言わせてほしいし聞いてほしい。目的は、相手を人として圧迫することではないんですから。そうすればきっと何かが展開していくと思うからです。



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