ティモンとプンヴァはなぜ虫を食べるのか――フード左翼から考える実写版『ライオン・キング』

 先月公開された実写版『ライオン・キング』は、1994年公開のアニメ版を完全コピーに近い形でトレースした、極めて完成度の高い作品だった。
『ライオン・キング』がサバンナを舞台に、ライオンを頂点とする弱肉強食の世界を描いていることはよく知られている。作中では「サークル・オブ・ライフ」というフレーズが繰り返し登場し、自然界の中で巡る命の重要性を強調する。
 言うまでもなく、弱肉強食の世界とは下層にいる生き物がより上層の生き物に捕食される世界のことである。サバンナで言うならば、シマウマがライオンに捕食される事態を指す。
 しかし、ここである疑問が頭をもたげる。『ライオン・キング』といえば冒頭の、極めて印象的な音楽(曲名もそのままずばり「サークル・オブ・ライフ」)をバックにシンバの誕生をプライド・ランドのすべての動物たちが祝いかしずくシーンが有名である。しかしその中には、シマウマなどいかにも日常的に捕食されていそうな草食動物が参列していなかったか。アニメ版を見てみると、シンバの叔父であり本作のヴィランであるスカーは、仲間のハイエナたちにシマウマの脚を差し入れていた。この描写から、本作においても現実世界と同様、ライオンはシマウマを食べていることがうかがえる。
 ここに、弱肉強食の世界をそのまま人間の階級社会に置き換えたことによる、本作の矛盾が発生していると言えるだろう。もしくは支配階級が被支配階級を搾取する構図を描いているという見方もあるが、子供向けの本作にはふさわしくない。それに、ライオン側はあくまで主人公であり正義として描かれている。
 この『ライオン・キング』が本質的に抱えている矛盾は、実写版でも基本的にそのまま受け継がれている。しかし、アニメ版からの数少ない改変要素の一つが、この矛盾に対するささやかな抵抗であるように思えてならない。
 その改変とは、ティモンとプンヴァが暮らすオアシスの描かれ方である。アニメ版において、2人が暮らすオアシスで他の動物が生活を共にしている描写はない。ティモンとプンヴァが2人きりで生活していたところにシンバが拾われ、3人の疑似家族的生活が始まる。
 対して実写版でのオアシスには、ティモンとプンヴァ以外にも様々な動物たちが暮らしている。その多くは草食動物であり、本当ならシンバに捕食される存在だ。しかしこのオアシスにおいて草食動物は捕食される側ではない。ここでは、虫が主な食料なのである。シンバも虫を食べるよう勧められ、以来虫食を続けていたと思われる。
 虫を食料とする設定はアニメ版と変わらない。しかし決定的に違うのは、オアシスが特定の食に対するこだわりを持った生き物たちが集まる、いわばコミューン的空間として描写されている点である。
 上記の解釈は、副題にある「フード左翼」という用語を引用するとわかりやすい。フード左翼とはライターの速水健朗が『フード左翼とフード右翼――食で分断される日本人』の中で創り出した造語である。フード左翼は日常的に自然派食品を食べ、またはベジタリアンやヴィーガンを志向する人々であり、政治的にはリベラルな思考の持ち主である。本書ではその源流として、イタリアの左派系運動として始まったスローフード運動を挙げている。また、学生運動に参加し夢破れた若者が大量に流入した自給自足型の共同体であるヤマギシ会も例に挙げ、左翼的思想と自然派・健康志向的な食を選択することの関係性が描写されている。
 反対に、フード右翼はジャンクフードやインスタント食品など、いわば工業化された食品を好む人々であり、保守的な思考を持つとされる。速水はフード左翼の好む有機栽培などが高価で少量しか供給できないことから、地球規模で発生している食糧問題を解決する手段にはならないと指摘する。むしろ、フード右翼が好むような工業化された食品こそ、安価で大量に供給できるという点で食の民主化を達成していると主張している。
 ここで実写版『ライオン・キング』に立ち返ると、オアシスの動物たちはどちらかといえばリベラルな思想に基づいて生活しているように思える。それを象徴するのは「ハクナ・マタタ」という彼らのモットーだ。父を殺してしまったという重い罪を背負ったシンバに、このフレーズが自由をもたらす。従来の価値観に縛られることを否定する点はヒッピー的自由さと通じており、ティモンとプンヴァたちの暮らしはまるでヒッピー共同体のようである
 その共同体の中で選択される食が、虫なのである。虫はライオン社会における弱肉強食のヒエラルキーから排除されている生き物だ。最初に虫を勧められたシンバが嫌そうな顔をするのは、虫を食べ物だと認識していないからだ。『ライオン・キング』において虫を食べることは、ライオン社会の弱肉強食の論理、つまり「サークル・オブ・ライフ」から外れることなのである。そう考えると、オアシスで虫を食べながら生活する動物たちは、ライオンが支配する階級社会からあえて離脱した人々であると言えよう。
 ここまでの話を踏まえると、ティモンとプンヴァをヒッピー共同体的に描き、虫食をリベラルな思想の実践として描くことで、ライオン社会側の矛盾を突いているというのが実写版の最もオリジナルな点ではないだろうか。
 さらに付け加えるなら、速水の現実社会に対する見立てとは異なり、実写版『ライオン・キング』においてはリベラル側が食の民主化を達成している。ライオンが支配する社会では、食事にありつけない動物が存在する。ハイエナたちだ。彼らはいわばアンタッチャブルな存在として扱われ、狩場に近づくことを許されない。限られた獲物を取り合う中で、ハイエナはライオンからスティグマを押され排除されている。これは見方を変えれば、ハイエナという下層階級の存在によってライオンが支配階級たりえているということでもある。
 一方オアシスではあらゆる動物が平等に虫を食べる。虫はサバンナの草食動物よりも圧倒的に数が多く、尽きる心配がない(ように描写されている)。動物よりも虫を食料にしたほうが、コスパが良く皆が豊かになれるのだ。
 ここで一つ指摘しておきたいのは、本作の監督であるジョン・ファヴロー自身がフード左翼なのではないかということである。2015年に公開された『シェフ 三ツ星フードトラック始めました』では、キューバ料理をはじめとして各土地の郷土料理が重要な役割を果たす。土地に根付いた食文化を見直そうとするスローフード運動からわかる通り、郷土料理を愛する姿勢というのはいかにもフード左翼的なのである。
 今回の実写版の感想として、ネット上でよく見かけたのは「オスライオンたちが去勢されている」という指摘である。要はCGで作られたライオンたちに性器がついていないということだ。しかし個人的に、アニメ版でそれ以上に「なかったこと」にされてきたのが、サバンナの動物たちの食をめぐる矛盾だったのではないかと思う。そしてほんの少しの改変でその点を明らかにしたところに、実写版の功績があると言えるのはないだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?