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キッチン・コンフィデンシャル

キッチン・コンフィデンシャル - アンソニー・ボーデイン
2000年発刊

 叩き上げの料理人世界の業界事情暴露を織り交ぜた、アメリカのフレンチシェフによる自伝的エッセイ。正直で歯切れのいい言葉が読んでいて気持ちいい。悪口、ドラッグの話、下世話な話もふんだんに登場するがそれでも嫌な感じは全然しない。不良だけど根の真面目さがにじみ出てしまっている、みたいな可愛げがある気がする。多分、読者は皆著者のことを好きになってしまうのではないだろうか。

 発刊当時は高級レストランの内幕暴露の触れ込みもあり話題になったようだが、本書の凄みは自身の体験や思考に対して異様に解像度が高い文章能力だと思う。登場する食材と料理は色鮮やかに脳内で再生され、味や香り、食感の想像を促すようだし、シェフの激務な日常も開店前の静けさからピーク時の厨房の喧騒まで臨場感をともなって立ち現れる。この解像度が高純度で伝える著者の熱量は、読んでいる自分の食に対するシンプルな探究心のようなものを呼び起こしてくるようでもあった。忘れてしまいがちだが食事は生活の中で常に身近にある冒険のチャンスだ。仕事の昼に惰性で食べている牛丼を唐辛子と花椒の効いた四川麻婆豆腐に代えてみればルーチンのなかに新鮮さが生まれるだろうし、スーパーの買い物で今まで見向きもしなかった魚や野菜を選択すればそれだけで夕飯は新しい体験になる。俺は退屈が嫌いだ。退屈に気がついたとき、何に退屈しているのか分からないことがある。もしかしたらそういう時にまず試すべきは、食ったことないもの食う、なんじゃないか。

 読み終えたころにはすっかり著者のアンソニー・ボーデインのファンになっていたのだが、ネットで調べたところ2018年に亡くなっていた。自殺だったことにとてもショックを受けてしまった。無意識での表現かは分からないが、離れていった昔の同僚のことや、ワークホリックによる家族との安らぎのなさなど、作中には孤独感が示唆されるような文章が少なからずあったように思う。他人の死で、こういうショックの受け方をしたのははじめてだった。アンソニーその人の人柄を思ってのことも勿論あるが、それ以上に探究心が孤独感に負けてしまったように思えて辛いのかもしれない。

#読書感想文 #キッチン・コンフィデンシャル

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