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スパイダー 少年は蜘蛛にキスをする

スパイダー 少年は蜘蛛にキスをする - デヴィッド・クローネンバーグ 2002年公開

 おだやかな悪夢のような狂気が美しい映画。社会復帰のため精神病棟から療養施設に移ったクレッグは少年時代の回顧にふける。記憶の空隙を埋めるように拾い上げた過去の断片を逐一ノートに書きつけていくが、そこには妄想が混ざり込み徐々に現実をもゆがめていく。

 本作は数十年前の過去に目を向けた形になっているが、「今この瞬間」よりほんの少しでも前の事柄が自分の記憶通り存在するかなんて誰にも分からないし、そもそも「今この瞬間」自体が個々人の妄想 (とまで言わなくてもある程度の尺度) で捉えられている以上、本当に確かなものなど過去になるまでもなく存在しない、とも言えるかもしれない。考えはじめるとラストシーン含め登場する作中のすべてが現実か妄想かわからなくなってくるのだが、いずれにせよ重要なのはクレッグの内向的な妄想や想像力が常軌を逸しているということだろう。ひたすらタバコを吸い続けヤニでまっ茶色になった左手の指や、シャツ4枚の重ね着スタイルを貫く様などにも偏執さが表れている。

 なぜノートに追憶を書き込んでいるのか、作中でこの目的は明示されないが、自分には何か鬼気迫る創作活動をしているようにも映った。書き込んだノートを誰にも見られないように隠し、神経質なまでに警戒している様子がそう感じた要因のように思う。俺はこどもの時に絵や漫画をノートに描いて遊んでいたが、決して他人に見られないように隠しつづけたものも少なくない。友達に見せるものはふざけて描いたテイストのものだけであり、それ以外のものは自分のためだけの、ある種「聖域」だった。他者を全く意識していない頭の中。これを見られるのは恥ずかしくて恐ろしい。彼がノートを隠したのは、どこかで自分と同じ気持ちも多少働いていたのではないかという気がする。

 程度の差はあれど、まわりのものを自分の解釈に変換して世界を構築してしまうような力が、特にこどもには強くあるのではないだろうか。スパイダーでは妄想/病理としての自己解釈の表出が描かれているが、「早い話がなくて七癖、あって四十八癖〜…すなわち精神病者と五十歩百歩の人間でない者は居ないのだ。」というドグラ・マグラの一節を思い出す。自分自身今でも、あとあとになってあの時は妙な自己解釈をしていた、などとネガティブに思うことがある。実際のところクレッグと俺の差異は、構築した世界と現実との切れ目に対してうまいこと反応できたか否か、という点だけなのかもしれない。

#映画感想文 #ネタバレ

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