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【小説】一万円の壺

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 元小説は『一万円の壺』(https://kakuyomu.jp/works/16816452220632616616/episodes/16816452220632716990)になります。執筆は2015年。ポメラDM100で書いた記憶があります。統合失調症になる前に書かれた短編になります。
 文字数は2700字程度といつもの記事よりかは少し長くなります。壺をめぐる怖くないホラー小説になっています。

 それでは、本編をどうぞ!
☆☆☆


 港に着いてしまった。遠くには瀬戸内海に架かる大きな橋、その下に、曇り空だからなのか灰色の海の中、真っ白に輝く渦が見える。そうやって遠くを見ても徳島に戻ってきてしまった、と改めて理解する。
 僕は両手で抱えていた桐の箱を見やる。
 壊してしまおうか、こんな壺。
 いや、流石に、どんな結果であっただろうと壺は実家に持ち帰らなくてはならない。まあ、壺の値段の報告は既にメールで済ませてある。僕の任務はこの恭一郎の形見を実家へと送り届けることだろう。
 そう、実家へのメールは済ませてある。「この壺は偽物で、鑑定結果は一万円だそうです」と。
 僕が今、両手で抱えている桐の箱に入ったこの壺は、数年前に亡くなった祖父、恭一郎が人生の形見として死ぬ間際まで大切に持っていた、壺だった。親族は、祖母も含め、誰もその壺の値打ち、どころか名前も知っている者はいなかった。祖父恭一郎が亡くなった後仏壇の横に飾られていたが、祖母がもうしまってしまおうか、と言い出した。正直、親戚一同賛成だった。じゃあ、直してしまって忘れる前に、その壺の名前でも調べてもらおうか、ほら、テレビで鑑定してくれるやつやってるじゃん、だったらあれに応募してみようよ、と誰かが言い出した。まあ、親戚のノリのようなものだろう。みんなが賛成し、そして、一人孫の僕が代表者として、その壺を引き連れて、実家のある徳島から小型船を使って、淡路島を経由してはるばる大阪まで向かったのだった。
 そして、その結果が一万円だった。とても恥ずかしかった。

 港の乗り場でタクシーを呼んだ。
「どこまで行きまっか?」
わらび町、住所は251-3まで」
かしこまりました」
 タクシーが走り出した。僕は早朝からの移動の疲れからか、タクシーの中でこっくりこっくりと舟を漕いだ。

 タクシーが不意に止まった。そのことを体で感じ、僕は眼を開けた。
 眼を開けると、そこには異様な光景が広がっていた。
 まず一つ、そこには運転手の姿がなかった。
 二つ、外は薄闇だった。うたた寝して意識が薄かったとしても、流石にそこまで時間が経過している訳がなかった。いや、正面には光が見える。どうやらここはトンネルのようだ。
 三つ、膝の上に乗せ、両脇で抱えていたはずの壺が、桐の箱ごとなかった。
 ………。
 僕は戸惑ったが、とりあえずは携帯を見てみる。圏外だった。
 ……。
 僕は運転手もなく、通信手段もなく、とりあえずは外へと出てみることにした。
 トンネルの、今の車の方向からして入ってきた方の入り口であろう方へと歩いていった。
「あははは」
「待てやい」
「ちょっと、危ないよ」
 トンネルの外に近づくにつれて、外から数人の声が漏れてきている。僕は「しめた!」と思った。声の高さから、その声の主達はどうやら子供のようであったが、この緊急事態の際、あまり関係ない。今の子供だって通信手段くらいは持っているだろう。
 僕は外へと出た。そして自分の右側からする先程の声の主の方を見た。
 僕の視線の先では三人の子ども達が遊んでいた。二人の男の子は丸刈りで一方は大きく一方は小さく年齢も結構離れているようだった、一人の少女はおかっぱ頭で三人の中では一番年上のように見えた。
 最も僕が驚いたのはその格好だった。三人とも和服だった。それもぼろぼろで、色がくすみ、男の子の方なんか所々に穴が空いている。三人とも足下は草鞋だった。
 僕と子ども達の間には三つの柵があった。公園なんかでよく見かける、赤と白で出来たあの柵。僕はその柵のある程度近くで子ども達を見つめ、子ども達は柵からはある程度離れた、砂利が敷かれた道沿いに桜並木が植えられた場所で遊んでいた。
 もう一つ、僕が気になったのは──本当はこちらを先にしなければいけないのだろうが、いかんせん、この子ども達の格好の異質性にばかり気を取られてしまっていたのだが──、体の大きい方の子どもが、僕が先ほどまで抱えていた、桐の箱に入った壺を両手に抱え、それを元に遊んでいたことだった。   小さい方の男の子が、その壺を物欲しそうな目線で見つめている。
「おらも、おらもー」小さい男の子が手を伸ばす。
「だーめ。お前には触らせてやんねー」大きい男の子が壺を頭の上へ掲げ、あっかんべーをする。
「いいけん触らせろて!」小さい男の子が必死になって大きい男の子に掴み掛かろうとするが、それをひらりとかわす、大きい男の子。
「わあ、危ないよ!」女の子がおどおどしそうに注意を促す。
「それにしても、興ちゃん家の壺、ほんとに綺麗だわさねー」女の子が、まぶしい物のを見るかのようにきらきらと目を輝かせている。
「おうよ! なんせ爺ちゃんがわざわざ神戸から買ってきた壺じゃけんの!きれいくなくない訳がない!」
 男の子が、それこそまさに目を輝かせ、とても誇らしそうに胸を張りながら答えた。
 興ちゃん。僕が持っていたはずのその壺。ぼろぼろの和服に身を包んだ子ども達。
 間違いない。あれは幼い頃の祖父の姿だ。
 あれは、祖父が、幼い頃から大切に保持してきた壺なのだ。物語があるのだ。他人が決して見定めることなど出来ない永遠の価値がそこにはあるのだ。
 僕は子ども達の下へ行こうとした。だが、三つ並び、一つだけ前にある柵の所で、額が何かにぶつかり、後ろへと弾き飛ばされた。何か、中には決して入ることの出来ない、バリアのようなものがあるみたいだ。僕は尻餅を付き、そして起き上がり、手前側の柵へとしがみついた。
 楽しそうな爺ちゃんの幼い頃を目の前に見て、僕は自分の申し訳なさから涙が溢れてきた。
「……だよなあ。そうだよなあ。じいちゃんの思い出に、値段なんかつけられないよなあ。そうだよなあ。ごめんよじいちゃん……。ごめんよじいちゃん。名前なんてどうでもいいよなあ。じいちゃんが大切に守ってきたものなんだもんなあ……。ごめんよ。じいちゃん。ごめんよ。ごめんよ。じいちゃん。じいちゃん……!」
 僕は、叫ぶ。子ども達には聞こえていないとしても。
「じいちゃん……! 大切なものを見せてくれてありがとう!」
「じいちゃん!」
「じいちゃん!」
「……いちゃん!」
「………ちゃん!」
「………………」
「………さん」
「……客さん」
「お客さん! 起きて下さい! 着きましたよ!」
 はっと目を覚ました。柵を抱いていたと思っていた腕の中には、桐の箱。目の前には運転手が、少し困った顔でバックミラーごしでこちらを覗いている。僕はあわてて財布をアタッシュケースから取り出した。
「えーっとお金は?」
「三千九百円です」
 運転手はメーターを見ながら言った。僕は五千円札を渡す。運転手が千円札と百円を僕に渡すため
 体ごと僕に向けて手を伸ばした。
「あれー、あなた泣いてませんでしたか? ほほに涙跡が付いてますよ」
 僕は笑って誤魔化した。

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