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監修後記★屍者の凱旋《異形コレクション》LⅦ (その1)

 闇を愛する皆様。
 《異形コレクション》第57巻『屍者の凱旋』、本日、無事に刊行となりました。
 ということで、今回も監修後記をお届けします。
 校了前の四月後半から新刊速報のサイトでタイトルが流れ、「テーマはホラーの王道〈ゾンビ〉……」という具合にキャッチーな話題となりました。
(実は、テーマが〈ゾンビ〉と決めつけられると、若干ニュアンスがちがうのに……と言いたくなってしまうのですが……それは、まあ、ともかく)
 読者の中には《異形コレクション》初期の第六巻『屍者の行進』(光文社文庫ではなく廣済堂文庫でした。1998年刊行ですから、もう26年前)を憶えておられた方が多くいらして、同じコンセプトの〈新・屍者の行進〉だ、とピンとくる方々も発言してくださっていて、少しうれしくなりました。

『屍者の行進』と『屍者の凱旋』

   まったくそのとおりなのです。
 ――ゾンビのみならず〈甦る屍体〉や〈屍体怪談〉をモチーフした異形の短篇――
 を集めた『屍者の行進』は、《異形》がはじまって、最初の3巻は月間で、4巻目からは隔月刊で……というサイクルだった1998年に出した6巻目。
 懐かしさのあまり、つい、今回の序文も昔話が長くなってしまいました。
 そのために、やはり述べておくべき近年の「ゾンビ」フィクションの隆盛(特に小説)について書くスペースが足りなくなってしまいました。それについても、ここで書いていこうと思います。
(『屍者の凱旋』制作中にも、次々とゾンビ小説やゾンビ関係書の新刊のニュースが飛び込み、これは序文よりも、監修後記で紹介しようと考えた次第。)

 さて、『屍者の凱旋』は『屍者の行進』同様に「ゾンビのみならず、〈甦る屍体〉をモチーフした異形の小説」を集めたものです。
 昨年、衝撃的なデビューを果たした背筋さんや、ホラー作家にもファンの多い三津田信三さん、noteの創作大賞2024に新たに創設された「ホラー小説部門」を記念したトークイベントに背筋さんと参加されたばかりの織守きょうやさんなど、まさにホラーの黄金時代を築かんとする強力メンバーに御参加いただきました。
 私にとっての「異形の小説」は、純粋なホラー(幻想怪奇)のみならず、ダークなSFも入っていますが、とりわけ、今回のモチーフは、様々なジャンルの小説にホラーの要素で浸蝕し、際だって闇の色を濃くしていく〈甦る屍者〉です。
 『屍者の凱旋』は、令和になってからの《異形コレクション》9冊のなかでも、とりわけ、恐怖度、怪奇度、戦慄度の高いものとなっていると自負しております。

 さて、このテーマを、令和の時代にもう一度やってみたいな、と私が思ったきっかけのひとつが、一昨年2022年の年末。
(令和の《異形》が実にスローペースなのがおわかりと思います。)
 TVベストヒットUSAで、マイケル・ジャクソン「スリラー」40周年記念盤の映像を観た時でした。墓場から甦り、リック・ベイカーの特殊メイクの姿で踊る屍者たち。
 踊る屍者のモチーフといえば西洋絵画にもあるダンス・マキャブル(「死の舞踏」)でしょうが、実は、私はいわゆる「ゾンビ」映画で、最も好きなのが墓から甦る屍体のシーンでした。だから、ジョージ・A・ロメロ三部作でも第一作の『生ける屍の夜(ナイト・オビ・ザ・リビングデッド)』のほうが好み。そのパロディであっても『バタリアン』『バタリアン2』が大好物なのです。
 小説ではクライヴ・バーカー《血の本》(1983)。ここで本格的に屍者の群れを描いたのは「生け贄」(『セルロイドの息子』収録)でしたが、私の好みは「セックスと血と月明かり」(『ミッドナイト・ミート・トレイン』収録)。これ、実は幽霊ものなのですが、屍体を伴って墓地からぞろぞろ這い出します(「生け贄」の水死体どもも、死霊ものといえないこともないのですが)。
 これらが創られたのは、実に豊かな80年代。
 私じしんの創作キャリアのはじまりもこの時代でしたが、意識してホラー・フィクションを「書こう」と思ったのは、この時代の滋養に満ちて、豊かな土壌があったからだと思うのです。とりわけ、墓場の土は栄養豊富でした。
 墓から這い出す屍体を、私もどうしても描写したくて書いたのが短篇「潮招く祭」1989(『異形博覧会』1994 角川ホラー文庫・収録)でした。この短篇はまともな屍体ではなく別のホラーの要素の混じった異形の屍者たちなのですが――。
 と、ここで、PR。
 井上雅彦の第一短篇集『異形博覧会』はこの7月に芳林堂書店を中心に書泉グループの書店限定で復刻発売されます。なお本書には、甦る屍者を描いた作品が何本も入っています。
 一篇はその名も「死霊見物(ゾンビ・ウォッチング)」1988。
 あるいは、〈甦る死体……血に飢えたゾンビ……〉と綴っていた最も古い作品は1985の「四角い魔術師」。というわけで……

 というわけで……なんの話でしたっけ。
 そうそう。80年代の「甦る屍者」の物語でした。
 のちに仲良くさせていただくことになるホラー・プロパーともいうべき作家の皆さん(菊地秀行さん、朝松健さん、田中文雄さん)とも、80年代のスプラッタ映画の話題ではよく盛りあがったものでした。もちろん、〈甦る屍者〉は、「ゾンビ」ばかりにはあらず。アンデッドも、死霊の祟りも、遺骸を伴った幽霊も、ホラーの歴史には連綿と溶け込んでいます。多くのホラー・プロパーたちは、「ゾンビ」などという固有名詞にこだわることなく、〈甦る屍体〉を、さまざまな作品内に滲み出していきました。。
 その一方で、「ゾンビ」を前面にモチーフにした作品も出てきました。
■『そしてゾンビがやってくる』竹河聖(1987 角川文庫)
 長篇。今ならキャラクターものといわれるかもしれません。この時代らしくジュブナイルとしての発表でした。ブードゥー教についての詳しい説明や、解剖シーンなどもあります。

■「ゾンビ・アパート」飯野文彦(1988 朝日ソノラマ「獅子王」)
 短篇。これは今で言うゾンビとは異なる、珍しいタイプのもの。一種の魔人ものというべきものでもあり、あるいは、この頃から新しいサブジャンル名で広まりだしたものの萌芽かもしれません。
 飯野文彦という作家を知った最初の作品で、会った時も、ゾンビの話で盛りあがったものでした。この「獅子王」という雑誌は、前述した私の「潮招く祭」1989の初出誌でもあります。
 なお、「ゾンビ・アパート」は2015年にこれを表題作とした短編集に収録されました。この短編集の掉尾を飾る書き下ろし作品「戻り人」は、まさに〈甦る屍人〉の物語です。

 また、80年代後半についての「歩く屍体」について、noteに、怪談研究家の吉田悠軌さんによってこんな記事が書かれています。
 「歩く死体を追いかけろ 吉田悠軌の異類捜索記」

 80年代後半についての考察で、個人的にも興味深かったものでした。
 さらにこの時代、畏るべき作品も生まれています。

■『生ける屍の死』山口雅也(1989 東京創元社)
 長篇の本格ミステリ。映画『生ける屍の夜』のように墓地から屍体が甦る現象化で起こる殺人事件。いわゆる《特殊設定ミステリ》という言葉のなかった時代に天才・山口雅也が巻き起こした衝撃。この屍者には生前同様の意識がある。主人公はすでにリヴィング・デッド。なぜこの世界で人を殺すのか、という動機をめぐる本格ミステリ。
 読んだ時は、なによりもかっこいい!――と思ったものでした。
(自分がホラーに求めていたものも、怖さのみならず、かっこよさだった――ということもあり……)
 アメリカを舞台にした作品というスタイルも含めて。

 と、いつの間にか「ゾンビ」出版史めいた記述になってしまいましたが、此処に挙げるものたちは、自分が執筆してきた周囲の風景というか、備忘録のようなものです。
(このあとも、自分が気になった作品を紹介していきますが、すべてを網羅したゾンビ出版史ではありません。)
 この頃、多くの作家たちは、いわゆるロメロ三部作のシェアードワールド的なものにはむしろ興味が無く、まったく別なもの、あるいは、それを踏まえた「メタ」なものや、別のサブジャンルへの移植など、さまざまな方向に、創作の可能性を向けておりました。
 その一方――サブカルチャー的なゾンビの浸蝕は静かに続いています。
 私たち作者や読者のホラーにおける審美と感性を、大いに育んでくれたことは確かだと思っています。

 そして、時代は前世紀末――1990年代。
 少しづつ、大規模に増殖するゾンビ現象を想起させるような作品も登場していきます。
 備忘録として、いくつかの作品を挙げていきます。
 まずは、自作から。

■「デッド・クラッシュ」井上雅彦(1996『恐怖館主人』角川ホラー文庫収録 書き下ろし)
 短篇。人間ではなく自動車の〈ゾンビ〉。呪われた廃車に衝突された自動車が、運転手の屍体を載せたまま無惨に破損した事故車となり、同様の犠牲「車」を求めて増殖していく。
 前巻の《異形コレクション》『乗物綺談』向きのサブテーマですが、着想の源泉は、ロメロの「ゾンビ」だったので、ここで紹介します。
 その前年(1995)には、ホラー映画誌『日本版ファンゴリア』のゾンビ映画特集で、連載していたショートショートのコーナーで、ロメロ「ゾンビ」的な世界を前提とした掌篇「電気鬼」(のちに『恐怖館主人』及び『1001秒の恐怖映画』に収録)も書いていましたが、「蔓延するゾンビ」といえば、自分では「デッド・クラッシュ」を挙げたいと思ってます。

■『ステーシー』大槻ケンジ(1997 角川)
 15歳から17歳の少女だけが突然死を迎えたのちに、生ける死者となり、人肉を食す「ステーシー化現象」をめぐる物語。
 あまりにも特殊で本格的なゾンビ小説ですが、一種の「少女小説」ともいえるでしょう。
 その意味で、『屍者の凱旋』の空木春宵「ESのフラグメンツ」と読み比べてみることもできるのです。

■『妖都』津原泰水(1997 講談社)
 ゾンビというより、むしろ死霊的な人類の天敵が東京を浸蝕。
 執筆当初は小中千昭の原案「ネクロポリス」に端を発したものの、のちに完全なるオリジナル小説として完成、
「津原泰水」名義の長篇第一作。


 そして、この年の12月、《異形コレクション》が第1巻『ラヴ・フリーク』をもって刊行スタート。(ここまでが、《異形コレクション》前夜というわけです)
 その翌年、『屍者の行進』を刊行し、同月に米国のオリジナル・アンソロジー『死霊たちの宴(上下)創元推理文庫』が刊行されたことは『死者の凱旋』の序文でも書いたとおり。
 そして、これからが『屍者の行進』以降の屍者たち……というわけです。
【監修後記 その2へ続く】

 


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