見出し画像

20年前の私へ あすへの不安と目の前を全力で生きること

2022年3月7日は、意図せず特別な日となった。きっかけは、私のTwitterでのこんなつぶやきから。

プロフィール写真をそろそろ新しくしようかな。何気ない投稿に反応してくれたのが、大学時代の旧友である、「あづ」だった。

そこからあれよあれよと話が進み、3月7日、彼女と一緒に都内でプロフィール写真を撮影することに。コロナ禍もあって、かなり久しぶりの再会だった。

カメラマンの粋な計らいで、プロフィール写真撮影のはずが、2ショットの写真まで撮ってくれた時の様子がこちら。

画像1

2人とも、何だか嬉しくて、恥ずかしくて、心の底から笑っていた。

「20年前の今日も、同じように笑っていたな」

そんなことを考えながら。

彼女と出会ったのは大学2年生、20歳の頃。テレビ局を志望する「就職活動仲間」として、お互い夢に向かって切磋琢磨してきた貴重な友達だ。

全国のテレビ局を就職活動行脚していた私たちは、「テレビ局で働く未来は本当にあるのだろうか」「このままどこからも内定がもらえなかったら、この先どうしたらいいのだろうか」「初めての地方暮らし、本当にやっていけるのだろうか」などと、全く先が見えない未来に不安を抱きながらも、がむしゃらに夢に向かって走り続けていた。

(途中で何度も挫けそうになったけれども)その後、晴れてあづは新潟のテレビ局へアナウンサーとして。そして私は香川のテレビ局へ報道記者として。初めて暮らす地で、お互いに新社会人をスタートした。

念願のテレビ局でニュースの仕事をする夢が現実になったはずなのに、やっぱり、私の不安は変わらずに続いていた。

「ずっとここで働いていられるのだろうか?」「いくつになったら結婚して、いくつになったら子どもを産むんだろうか?」「5年後もここで暮らしているのだろうか?」

それでも、報道記者の仕事が楽しくて楽しくて、とにかく夢中で目の前の仕事に全力集中していると、少し、その不安が消えていくような感覚になった。

あれから20年が経ち、今年私たちは40歳になろうとしている。お互い今は東京で家族と共に新たな仕事の挑戦を続けている最中。

やっぱり今でも私の心の中には、不安という黒いモヤモヤが存在している。「いつまで働いていられるのだろうか」「会社を経営している中でこの先どうなっていくのだろうか」「子供の成長は・・」「家族の健康は・・」。

それでも、20年前と変わらず、あづと私は2人で一緒に笑っていた。

あづとの再会で、一つわかったことがある。

3年後、5年後、10年後・・私は何をしているのか、何ができるのか、見えない不安に押しつぶされそうになる時がある。その中で、私に出来ることは、自ら選んだ目の前の道を全力で生きることだけだった。私にはそれしか出来なかったけれど、その積み重ねが点となり、線となり、笑顔の未来に繋がっていく。それだけは、間違いない事実だった。

お互いそう信じてやってきたから、20年が経った今も、こうして笑っているんだと思う。

画像2

3月8日は国際女性デー。結婚、子育て、キャリア・・・未来へのたくさんの不安は、あってもいいじゃないか。自ら「いま」を選び、目の前を全力で生きよう。その先には、必ず笑顔の未来があるから。そんなメッセージを私自身への備忘録としてnoteに記しておきます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?