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就職がない分野に飛び込むチャレンジャーのおかげで、学問はどうにか維持されている

私は、歴史学に魅力を感じて東大の大学院に進学して、博士号まで取得しましたが、東大の大学院を出たら何か進路はあるのだろうと漠然と考えていました。まさか、就職先もなく、フリーター生活を十数年も続けなければならないことになるとは、考えてもいなかったのです。

陳述書呉座.pdf - Google ドライブ

50万部の大ヒット「応仁の乱」(中公新書)の著者呉座勇一氏ですら、アカデミア就職では、こんなに苦労しているのだ。

ちょうど100年前、マックスヴェーバーの講演集「職業としての学問」ですら、踏んだり蹴ったりされているアカデミア就職希望者の様子が語られている。

「職業としての学問」マックスヴェーバー作 三浦展訳

古典語を含む数か国語を読みこなす程度には能力が高い人が、産業的な応用価値がない分野の大学院に進学し、その後、能力を生かすポストがなくて途方に暮れる状況は、100年前から変わっていない。

しかし、私たちは、彼らの愚かさに感謝しなければならない。

マックスヴエーバーや呉座勇一のように、先を見通せずに無謀にアカデミアに進んでしまう人が多数いるから、社会学とか歴史学みたいな食えない学問が成立しているのだ。

高学力者全員が、食えるコースばかり選択していたら、文系の学問はもちろん、基礎科学系の研究者なんていなくなり、政府がもっと莫大な金を補助しなければ、現代社会の基礎インフラを維持できなくなっているだろう。

アシモフの、とうてい売れそうもない(笑)タイトルの短編集に、「ナンバー計画」という短編が収録されている。

遠未来、コンピュータが研究開発までやるようになってしまって、人は基礎科学を忘れ去ってしまった。その世界では、筆算による加減乗除を自分で考え出した人が天才扱いなのだ。

AIの進歩を見ると、アシモフの懸念がにわかに現実化しつつあるように思う。

100年後に、マイクロプロセッサを人は設計できるだろうか?プロセッサがプロセッサを設計するようになっているんじゃないか。

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