ゲンロンカフェ『原武史 × 藤村龍至 × 東浩紀 さいたまの過去と未来-出雲の血脈と郊外私鉄の可能性』動画視聴メモ

イベントは2020年7月17日(金)開催、7月23日(木)視聴
第1部は、登壇者のなじみ深い土地の雰囲気や自然環境、歴史をたどりながら、埼玉と出雲、天皇の関係へと話題が展開した。第2部は、藤村氏の活動を振り返りながら、埼玉の現状の様々な取り組みや細かいディテールを踏まえたうえで、その未来と可能性が語られる熱く濃い内容となった。

第1部(19:00~21:00)原x藤村x東

・狭山湖から流れる柳瀬川、荒川の支流、加藤典洋の思索の道
・都市郊外は一律だったのに、埼玉の格は何故こんなにも下がったか
・イメージの問題、80年代の田園都市線を舞台にしたドラマの影響
・地名:東久留米、椿峰、西東京、ひばりヶ丘
・郵便番号の先頭、東京は1、神奈川が2、埼玉は3
・西武池袋線、西武新宿線は旧街道に沿っていない、起伏多い
・原武史『<出雲>という思想
・国家神道として伊勢系を立て、出雲系はおとしめられた

関東の神社分布図(折口信夫の弟子・西角井正慶が作成)
①氷川神社(荒川沿い、スサノオを祀る)
②久伊豆神社(元荒川沿い、オオクニヌシを祭る)
③香取神社(利根川・江戸川沿い、鹿島神社、伊勢、アマテラス)

・埼玉に出雲系が多い理由すなわち出雲族が武蔵にたどり着いたのは伝承レベルではあるが、山陰→北陸→諏訪・信州→碓氷(うすい)峠を越えて、あるいは甲府盆地、奥多摩を経てこの地に住み着いたのではないか
・埼玉は歴史の中で2度敗北している(明治の政治的文脈、昭和から平成にかけての文化的文脈)
・明治に入って天皇が最初に参拝したのが大宮氷川神社、この一帯で最も古く第5代孝昭天皇の創立という伝説、神話がある
古代、見沼あたりまでは海が入り込む入江で、地形は島根半島、宍道湖周辺に似ていた
・荒川は現在の姿のままだったわけではなく、流路が様々に変わってきた
・埼玉の荒川を挟んで政治的には右岸・左岸で2極化、対立している
・政治的に強い東側で、鉄道の高架化、連続立体交差化の事業が 進んでいる
・信州・甲州は山に囲われ地域の一体感が生まれているが、埼玉にはアイデンティティがない(荒川は分断の象徴、境界線になっている)
・廃藩置県の過程①大宮県→浦和県、②入間県+埼玉県、③熊谷県(群馬と結合)+埼玉県、④埼玉県のうち、①において、わずか8ヶ月で大宮から浦和に県が改称され、その後ずっと浦和が県庁であり続けたが、その経緯は謎に包まれている
・浦和は中山道の宿場町の1つでしかなく、大宮、川口、蕨と同様だった
千家尊福は埼玉県知事に就任して出雲系の神社へ参拝した
・松本清張『神々の乱心
・ツクヨミとスサノオが同じであると主張する新興宗教が中心を埼玉に置く別の天皇制を作ろうとする物語を描いている
秩父宮にとって秩父山は特別な存在
・武蔵(むさし)、胸刺(むなざし)、秩父(ちちぶ)がかつて別々の支配圏だった
・1969年に西武鉄道が埼玉県西部に進出、秩父宮妃勢津子(せつこ)がレッド・アローに乗車
・阪急に比べると西武は電車の作りが洗練されていないように見えた
・鉄橋はトンネルよりコストかかるので、荒川を避けるように鉄道を敷いた
・経路:国分寺、東村山、狭山、入間、所沢、川越
・堤義明、西武球場、狭山スキー場、ユネスコ村
・東武東上線、70年代までは駅間の距離があいていた
・巣鴨プリズン(池袋サンシャイン)
・池袋駅の北にパルコ(丸物百貨店)、南に西武百貨店、それぞれ屋上が遊園地でつながっていた
・所沢は標高100mくらいで池袋、新宿のビル群が良く見える、大都会のイメージ
・東久留米の滝山団地→武蔵小金井までバス→中央線で新宿へ
・多摩丘陵は、起伏が大きく、東急の作為、意図して人工的に開発
・狭山丘陵は、比較的平野、歴史の名残があり、思うようにはいかない
・隈研吾の原風景、田園調布から西で風景が変わる、大倉山
・東急線と南武線のクロスポイント、武蔵小杉
・都市化の拡張が工業地帯との交差でさえぎられる
・田園都市線の場合は、溝の口から長津田まで人工空間が持続
狭山丘陵は、多摩丘陵三浦丘陵とならび、近代水道発祥の地
・関東大震災後、東部は東京市として再建がすすんだが、貯水池ができていた西部は都市開発せず、森林や都立公園が整備され観光地となった
・呼吸のように沈む時期と再投資の時期を繰り返す

Q&A
①西武と東武を結ぶ武蔵野線は、さいたまにとってどんな意味を持つ?
→1973年4月1日に開通(原さんは小5で乗車)。国分寺から新秋津までトンネルで、その先も農地や雑木林で未開発だった。国鉄時代は貨物優先で旅客輸送の意識は低かったと思われる。右岸と左岸をつなぐ架け橋にはなっているのでは。
角川武蔵野ミュージアム
・西武鉄道は、設立当時は武蔵野鉄道といった(所沢が武蔵野という名前を大正時代以来で西東京から取り戻そうとしている?)

②昭和天皇(兄)と秩父宮のように、現在の天皇家に緊張関係はあるのか?
→確執をはらむ要素はある。天皇はコメント短く抽象的、秋篠宮は個別具体的な名前を挙げて感謝の意を述べるなど兄と違いがある。平成のスタイルを変えるのかどうかという問題。
・秋篠は奈良県奈良市の地名
千家邦麿(出雲大社宮司)

③地理的アイデンティティがなく伊勢出雲でも敗北した埼玉は、角川の一大プロジェクトで生まれかわるのか?
→黒船が来る地に久しぶりに大型コンテンツがやってきた。元号がつく神社を建てて宮内庁は何か言わないのだろうか。そもそも出雲と対立しそうなのに何故「令和」とつけたのか。
・武蔵野坐令和神社(むさしのにます うるわしき やまとのみやしろ)
ところざわサクラタウン(下水処理場跡地)
・陸軍、米軍、公団、そして角川と所沢に
・堤康次郎の夢レッド・アロー、ラビュー

第2部(21:15~24:21)藤村x東

・さいたまの虚構性が明らかになったので、そこから今後の未来をどう作っていくかを考えたい(埼玉超改造論)
・鶴ヶ島プロジェクト(自治会館を建て替え)にまつわる活動は、市長からの課題を受けたり民主党のコンクリートから人への流れの中で学生たちと接し、バイク通学なので製図持てないとか、サッカーをやりだすような学級崩壊に近い状況を変えていったところから始まった
・架空の敷地で架空のプロジェクトをやっているから学生たちは信じられない、リアリズムが必要
・ユニークな公共施設を提案して欲しいわけではなく、財政難など課題が山積しているなかで床面積、規模の縮小が求められる
・少子高齢化のリアリティを行政が市民に向けて講じるのではなく、学生が主体的に調べて住民に訴える(という体をとる)ことで提案が浸透していく
・これまでの発注の前提を揺るがすということ
・霞が関としては政局が安定すると長期計画が立てやすくなる
・自治体は不動産オーナーだが、自分たちがどんなアセットを持ってるか管理していない
立地適正化計画(国土交通省)
公共施設総合管理計画(総務省)
・自治体の首長も様々で、空間的な感覚、コスト意識を持っているとプロジェクトが上手く進む
・グローバルシティにとってのオリンピックは課題解決の手法
・NYのブルームバーグ市長は、イーストリバー沿いの工業用地を住宅等に転換、区画ごとに細かくケアすることで課題がクリアに見えて世論にサイコロジカルな変化が起き、民間や学者を投入し都市開発計画に力を入れた
・マンハッタンからイーストリバーを越えたブルックリン側にあるダンボ地区(Dumbo)
・911で人が来ないと思われたNYが2005年からV字回復
・オリンピックを招致せずに、土地開発計画を実現させた
・人の流れや物の配置を変えて、いかにこれから来る急激な社会変化に備えるかということが色々な現場に求められている
ニューヨークの計画志向型都市づくり
・オリンピック開催が決まってからの7年間で、環状2号線の都市軸を使って次の東京に改良させる議論ができなかった
・国土計画の歴史、都市計画の議論、諸外国の実情、震災後の再編
・時代の転換のとき、どう展開していくかは都市計画・土木のほうが早く、基盤をつくった後で建築が移動の話とかをするが、逆に都市計画は最初の頭出しはできるがその後は想像しづらいので建築家が呼ばれる
・2025年の後、人口減の現実が大都市郊外でも埼玉で最も激しく表れてくる
・なぜ埼玉に最も激しく2020年以降の崩壊がやってくるのか
・昭和45年~50年(1970年~75年)の5年間で95万人増加(年平均およそ20万人増)に対応するため、小学校の周りにコミュニティつくる計画をたてる暇もなく、地元の工務店を使うなど急ピッチで学校、団地をつくった、下水道を通した、その反動が起きる
彩の国さいたま広域連合による政策課題共同研究
・民間や行政の人材が集められたぬるい研修の場を、リアルな課題を組み立て改革していった
・鶴ヶ島では、高齢男性たちの要望を模型作りでいなしつつ、若い女性たちによるキッチンを手前に出すという案を実現し、配食サービスのNPOが入居してくれたという実績
・埼玉ではソーシャル・アーキテクトとして、九州では建築家として
白岡ニュータウン(南北軸街区で1戸残った)
・ペット飼える、ディズニー風など試したが30代のニーズ分からず声がかかり調べてみると、ニュータウンには珍しく30年かけて開発していた
ユーカリが丘の例、長期的な視点で年間の販売戸数を制限することで、地域の人口・年齢のバランスがよく、老年層がタワーマンションに引っ越し、戸建住宅をリフォームし保証を付け、若年層が入るという循環が生まれ、ストックからフローの経済へと変わってくる
・公道が東西にのび、住宅が東西に立ち並んでいく「東西軸」の集合住宅設計では、日当たりの差などから、家の南側が道路に面した、北側に建てられた住宅の価格があがる(1日を通して日が入る)ため、比較的富裕層が住み、南側に若い人が入るというように南北でコミュニティが層別、一様化されてしまう
石原舜介による「南北軸」街区では、公道に影が差さず街並みが明るくなり、また隣接する住宅に経済面での偏りがなくコミュニティがモザイク状になる
狭山ニュータウン
はとやまハウス
・ださいたま(1983年タモリ)、イメージ回復の「彩」
彩甲斐街道
・アンケート:埼玉住んでる(25%)、知ってる(53%)、興味ない(22%)
・移民コミュニティは雇用のある群馬県寄り
・JR高崎線沿線の都内通勤圏3区分(上尾、行田)
・少しの介助で生活していける街づくり
・園田眞理子、リタイアメント・コミュニティ、日本に自然発生、少しの再投資でインフラが生きる
・椿峰ニュータウン、反対運動が多く行政と協定を結び緑が残った、つばきの森のマーケット、世代がつながるきっかけとなった
・実家を改修するときに公共空間として開放する
・トトロの森とニュータウンは対立より連続の関係に変わってきた
・軽井沢より所沢丘陵を別荘に選ぶ人たちが出てきている
クールジャパンフォレストからトトロの森をつなぐ「希望の軸」
・品川プリンスホテル、高輪プリンスホテル
・動線を意識したトータルな空間制御がない
埼玉県ニュータウン消滅可能性ランキング
・鳩山ニュータウンが1位、その他に日高、坂戸など県西部の丘陵地
・そして横串の指定管理者となった(鳩山町コミュニティ・マルシェ
・HATOYAMA HYPER VILLAGE PROJECT
菅沼朋香(愛知県豊田市出身で長野県飯田市への移住を当面の目標としていた、昭和をモチーフに自らをメディア化するアーティスト)
・アーティストが農村に移住する事例は多いが、ニュータウンへの移住は新しいのではないか
梶浦聖子(鋳金アーティスト、移住先を探していたところ芸大つながりもあり鳩山に決めた)
・英語で話しかけてくるおじさん、卓球や足湯をしたいおじさん
・1つのアイデアではあるが、公共施設として必要で作るべきかは別
RFAでは移住推進業務として映像制作もしている
・マクロに見ると高齢化や空き家に注目がいくが、ミクロに見れば様々な取り組み事例がある
・コストが安い埼玉にアニメーターが多いという例もある

移住の決め手
①製作活動のスペースがある
②東京に短時間で出れる
③子育てしやすい
④居住のコストが安い

・建築基準法と食品衛生法、建設行政と保健行政がこの部分で連絡すれば、ニュータウンを活性化できるということが見えてきた
・アパート経営みたいなこともやってる(賃貸や保険に詳しくなった)
・公共施設で1ヶ月で32時間アルバイトをしたら家賃が無料になる試み、内需が生まれ経済的に循環

プレゼンまとめ
『埼玉の超・田園都市化』
・コミュニティ施策で医療福祉・教育・文化資源を補強
・安いコストを逆手にエリアを限定してアトリエ付き住宅を戦略的に供給
・新しい「文化の村」としてのタウンプロモーション

(東)いつの間にかこういうことをやってしまった感に共感
(藤村)巻き込まれ、細かい法律を知って、ディテールに出会った

・主権権力から生権力へ移行したとき、社会の統治性が変わった。シンボルとして政治家が何をしているかではなく、市民がどう動いているかの方が重要になった。建築家は国家のシンボルに介入していたが、本当の中心は社会の中にある。ガバナンスをどう設計するかが知識人の仕事。

大宮グランドセントラルステーション構想
・国土計画の影響で大宮の位置づけが変わった
・国土総合開発の視点ではなく、都心からの分散化という視点でもなく「対流」を生む場所、人の移動をつくる東の拠点となる場所(西は品川)
首都圏広域地方計画
・大宮、プチ渋谷
・大宮の課題は三宮(神戸)と似ており、ディベロッパが住宅・マンション建設にのみ注目してオフィス建設には目をくれない
内藤廣、高低差がある渋谷再開発の建築デザインを担当
・各街区に高層ビル建設、完成したときすべての動線がつながる
・パブリックスペースが生き生きと使われること

(東)建築家の語りの変遷が興味深い、磯崎新→隈研吾→藤村龍至(より社会へと介入していく方向)
(藤村)ソーシャル・アーキテクトと建築家としての自分をどう統合するかが今後の課題

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