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はじめての海外での仕事〜海外キャリア遍歴①〜

香港との関係は早くも27年。『長いですね〜!』とびっくりされることもありますが、もはやナンバーでしかなくなっています。そして、2021年6月末からは拠点を日本へ一旦移しています。独立してからというもの、「海外でどんな仕事をしてきたのか?」「キャリアをどうやって積んできたの?」などと聞かれることが多くなってきたので、ここnoteにキャリア遍歴を残しておこうと思います。キャリアというより、必死に生きてきた生き様のようなモノですが、実は、聞かれて思い出すことも多く、せっかくなら書き留めておかなくちゃと思い始めたのが本音です。

本当にいろんなことをやってきたなと改めて思います。
主婦から海外で就職して、子育てや家事の悩みもありながら、自分自身の仕事へも必死で向かい合ってきて、今は子どもたちも独立しましたが、本当に多くのことに悩み、向き合い、乗り越え、そして、ステージが変わり、後悔のない人生を今も歩んでいると思うのです。

海外でこれから働こうとしている方、海外で働く実態を知りたい方のお役に立てれたら嬉しいです。目まぐるしい時代の変化の中で、今とは変わってしまった社会的、時代背景などもありますが、個人の記録として、こんな働き方、この時は、こんなふうに働いていたんだなと、参考にしてくれたらうれしいです。


2007年 海外ではじめての仕事は購買

はじめて海外で、採用されたのは海外拠点をもつ日本企業でした。10年もブランクがあったので、採用してくれるところがあるなら、どこでも働く意気込みはありました。そして、ご縁があったこの海外で最初に働いた会社には約10年間お世話になりました。天職と思うほど、自分の仕事を好きになる機会を与えてくれた会社です。最初は、涙と苦労しかなかったですが。笑

会社・雇用形態・仕事内容

・日本企業の海外子会社(アパレル)
・正社員として(フルタイム)
・仕事内容:購買
購買では、製品の生産計画に基づき、資材の数量や品質、発注するタイミングを検討し、適切な価格で生産依頼、発注、購入、さらに出荷、納期管理することです。 「より品質の高い資材を、できるだけ安く仕入れて、クライアントの各国の工場へ納期内に手配すること」が主な仕事。

海外で知った日本の会社企業


2007年に香港で働きはじめた会社は、日本ではすでに100年の歴史がある企業で、元々は着物の帯を創っていた会社だったのですが、時代の変化とともに帯の需要が減り、洋服の生産が増加するとともにアパレル製品、特にアパレル副資材を扱っていき成長を続けていた会社でした。「こんな会社があったんだ。」と改めて日本企業のことを海外で知ったのですが、生き残る企業は「変化に敏速に対応できる」のだなと自分が働いていても思ったモノです。

私が所属した部署は、日本のクライアントからもらったデザイン・仕様の製品を自社や外注先の協力工場で生産し、その商品をクライアントの工場向けに商品を販売。当時は主に中国、東南アジアでの生産が主だったのが、数年もするとさらに世界に拡大していきました。

販売国も年を追うごとに増えていき2023年では世界1630店舗以上の成長を遂げていますが、わたしが働き始めた年には、その勢いを中国から広げている頃でした。
そうわたしのメインのクライアントは、ユニクロ(のちにGUも)でした。

仕事では、英語も広東語も中国語も日本語も飛び交う

購買の仕事は、日本から送られてきたデーターに基づいて、生産工場(自社や外注先)へ生産の依頼。生産数を読み、品質・価格・工場の納期、外注先の管理を主に扱う仕事でした。使う言語は、英語と広東語。メールでは、さまざまな国の方とやりとりをするので基本は英語を使用します。

しかし、リアルな現場での交渉、ミーティングや電話などのシーンになると英語でやりとりをしていても、社内や香港内では、広東語になることもしょっちゅう。当時は、交渉と言っても白熱すると会話が喧嘩腰に聞こえていたモノ。広東語はこの時にかなり鍛えられました。笑

はじめての会社〜新人時代に苦労したこと〜

言語

働く前に香港にはすでに10年住んでいたので、英語も広東語も大丈夫だろうと思っていたけれど、甘かったです。仕事で話される言葉が専門用語のオンパレード、専門知識ももちろん必要だし、仕事の業務でのやり取り、日本、海外拠点、協力工場との仕事のスピード感もとてつもなく早く、最初の2ヶ月で、もうついていけないと思うくらい落ち込んだモノです。

試用期間を終える前に

通常、香港では3ヶ月の試用期間があります。長期の正社員雇用を前提に、試用期間を仮採用試用として、期間終了後に本採用として移行する場合が一般的。

その試用期間に、「自分の仕事を取られるんんじゃない?」と思った香港人の先輩にいじめられました。仕事にも自信が全くない中で、ただでさえプレッシャーがあったのですが、いじめによるストレスも相当なもの。試用期間が終わる前に「辞めてしまおうか」と思ったほどでした。でも、当時は、子どもたちや家族を守るために意地でも「負けてなるものか。乗り越えよう。」と思い、なんとか乗り越えることができましたが、はじめて頭痛に悩まされる経験をしました。
ちなみに、その先輩はのちにさまざまな問題が発覚し、会社から解雇されました。

2年後…

オン年30代半ば。もともとタフだった性格も影響していたのでしょう。入社して2年後も立たないうちに、日本本社や海外拠点、社外協力会社などと「どうやってう上手くやっていくのか」の関係構築や、香港人や中国人、アジアの方との交渉の仕方も覚えていきました。そして、自信が少しついたからでしょう、ここから自分らしさが出てきたのです。

2年後には、購買のリーダーに抜擢され、自分なりの仕事の仕方というものができてきました。年齢や性別に関係なく、自分らしく仕事ができる香港の環境で本当に良かったと思うようになっていきました。


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