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地方公務員が読んでおきたい書籍の紹介 岸宣仁「財務省の「ワル」」新潮新書、2021年

 タイトルこそ刺激的だが、内容は財務省のエリートがどのようなタイプの人間であったかを多面的に捉えるものである。不祥事も含めて最近でも話題になっている財務省の職員の性格、特に出世する職員の特徴や官僚の気質など興味深い内容が多く盛り込まれている。
 財務省は「エリート中のエリート」「官僚の中の官僚」とも呼ばれ、他の官僚とは次元の異なる存在とみなされている。「予算を所管する=お金を握る」ということがいかに大きな力を持つかを示しているだろう。それぞれの省庁が何かをしたくても、財務省が予算を認めない限り何もすることができないのである。
 本書では、そうした財務省の歴代事務次官や幹部職員に焦点を当て、単なるエリートとは異なる「ワル」の要素があることを浮き彫りにした。ワルとは、「単なる秀才ではなく、遊びも人並み以上にできる人」のことであり、秀才揃いの中から頭一つ抜け出して出世街道を歩むことができる。決して「悪人」を指しているのではなく、むしろ「できる男」「やり手」といったニュアンスで、一種の尊称として使われてきたという。

 しかし、本書からは「ワル」にも悪人の要素も多少にじみ出ているように思う。特に「恐竜番付」というのが森友問題でも話題になったが、これはパワハラのひどい上司を職員が順位付けしたものである。パワハラはもちろん良くないことだし、恐竜は決して尊称とは言えないだろう。こうした側面が特に財務省に出やすいのは、財務省に次のような特徴があるからではないだろうか。それは、①強烈なエリート意識に付随する上昇志向、②政治家の無理な要求を通すことが上昇の近道、③予算査定で各省庁の命運を左右する、の3つである。この点は本書の紹介の範囲を超えるので詳しく述べることはしないが、つくづく財務省は特徴的な組織であるとあらためて感じる。

 本書の紹介に戻ると、財務省の事務次官を始め出世する人は、「若き日のプリンスか、遅咲きのいぶし銀か」この二つのパターンが鮮やかな対照を見せる人事が多いという。前者に関しては、将来の次官候補となる三つの関門があると指摘している。①課長補佐をどのポストで終えるか、②官房3課長(文書・秘書・調査企画)のポストを射止めるかどうか、③官房長になれるかどうか、である。私は財務省の詳しい組織構造を知っているわけではないが、いわゆるエリートコース、エリート街道が官僚にも存在する。その最終到達点である事務次官になるのは、そうしたルートを通って来る人が多いというのは容易に想像がつく。もちろん、そうしたルート上にある人は自分が将来事務次官になる可能性が高いことを心得ているから、それがかえって挫折を招くこともあるようだ。早くから騒がれすぎて守りに入ってしまうことがある、というのも財務省のエリートといえども人間らしい側面を感じる。
 こうした人々は、財務省に入る時からかなり注目されているだろう。つまり、試験の成績が非常に良かった可能性が高い。しかし、最終的に彼らの出世の条件は試験の問題が解けることではない。筆者は①センス(アイデアが豊か)、②バランス感覚(人間の機微を嗅ぎ分ける能力)、③胆力(度胸)の三つを出世の条件に挙げている。つまり、当初は試験の結果も重要だが、その後は試験では測れない部分が評価の対象になるのである。仕事の成果はこうした点から求められるのだから、ある意味で当然である。

 もう1つのパターンである、遅咲きのいぶし銀の場合は、特にそうした能力が発揮されたのであろう。彼らは決してエリート街道まっしぐらではないから、何らかの挫折を経験している人である、とも言える。例えば、歴代事務次官の大半は東大(しかも法学部)出身だが、現役合格(相当)は4割と少数派なのだそうだ。つまり、大学受験や勉強で一度は挫折を味わっている。また、出身高校でも灘や麻布はいないし、地方も結構多い(地方出身が挫折というわけではないが、エリート街道まっしぐらではないだろう)。また、国家公務員試験一番が次官になれない、というジンクスもあるようだ。これらの事実から、エリート一直線というよりも回り道や挫折などを経験している方が、政治家との関係も築きやすいし、上記の能力があれば次官への道も拓けると指摘されている。単なるエリートとは異なる側面が見えて興味深い。世間でいうところの「ワル」ではないかもしれないが、財務省へのステレオタイプなイメージとは異なる側面があることは「ワル」と呼んで良いと思う。

 ただし、そのような財務省も転機を迎えているのではないか。特に財務省の職員はほとんど文系、しかも法学部(東大)に偏っている。
 金融庁長官となった森信親氏は次のように述べたという。「法学部の人の発想は今の制度を所与のものとして考え、それがどう変化するかを基本にします。それに対し、理系の人は何が一番最適なのかから入るのが常で、その点に根本的な違いがあります」これは、まさにフォアキャスティングとバックキャスティングの発想の違いである。これからの政策にはバックキャスティングの発想が必要とされているので、まさに法学部の発想ではたちゆかないということになるのではないか。財務省も変わっていかなければならないとすれば、「ワル」が出世する構図も変化していかねばならないし、それ以前に東大法学部で占められる状況を変えていかねばならない(東大法学部出身の合格者数が最近減っている。ただし、理由は国家公務員総合職の人気が下がっていることのようなので、好ましい面ばかりではない)。

 本書は歴代の財務省事務次官の多くが実名で登場し、またその出世プロセス(挫折も含めて)詳しく紹介されている。著者の長年の取材が見事に整理されていると感じた。財務省の特異性を知ると同時に、官僚の出世とはこういうものなのか、というものを理解できる内容になっている。いろいろな人がいろいろな関心を持って読める本ではないかと思う。

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