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「人生一度きり」の落とし穴

「一度きりの人生。後悔ないように過ごしたい。」
誰しも理想とする考え方であろう。
無論わたしも胸に刻んで過ごしている。

いつかなんて虚構で、1年後どころか1ヶ月先のことすらわからない。
だから、やりたいことはなる早で、ぜんぶやらなくちゃ。

気になった喫茶店は全て訪問したい。おもしろそうな本、映画…。ひとつ残らず楽しみたいと思ってしまう。

情報に溢れかえった現代社会では、「やってみたい!」物事に出会うのは容易だ。

「〇〇のおすすめ喫茶店10選」、「読まなきゃ損するミステリー小説20選」etc...

きりがないとは思いつつ、サイトに目を通す。
そして、いいかも。と思うものを見つけたら、リストに保存する。

グーグルマップの行ってみたいリストには、100件を超えるお店の名前が並ぶ。
Amazonにも、読みたいと思って「ほしいもの」に追加した本たちが消化されるより先に増えていく。

なぜこうなるのか。
惹かれたものに触れ合うチャンスを逃したくない。だって「人生一度きり」だからだ。

でも、ときどき「人生一度きり」を窮屈に思うことがある。

旅先でちょっとお茶でもしようか、とお店を探すとき。
歩いていたら、雰囲気が好みの喫茶店を見つける。ケーキセットが魅力的だ。
扉を開けようとして、我に返る。
この街には有名な和菓子屋さんがあって、前から行こうと決めてたじゃん。また来れるかなんてわかんないし、今さら別のとこにするのはもったいないか。
そんなわけで、半ば強引に和菓子屋さんへ。ああ、ケーキ食べたかったな・・
みたいなことは、わりとよくある。

なんだか、本末転倒な感じが否めない。
たしかに、次があるかわからないのは事実だ。
めったにできない旅行。ずっと気になっていた有名店に行かないなんて、後悔してしまいそうで不安になるのも理解できる。
でも、今は別のことに向いている気持ちを無視するのだって、同じくらいもったいないんじゃないか、とも思う。

なんだかせかせかと生き急いでしまう原因は、昨今「人生一度きり」「後悔がないように過ごそう」といった言葉が溢れているからかもしれない。
とても的を得ているけれど、今の世界には魅力的なものごとが多すぎる。
エンタメ、食べもの、旅先、本...。
現時点でも消化できていないのに、次から次へと新しいものが生み出される。
できることなら、ひとつも逃すことなく味わいたい。人生は一度きりで、将来なんてわからないなら尚更だ。
でも、薄々勘づいている。どう考えても、わたしの一生で消費できる量じゃない。

なんだか損をしているような気がするけれど、諦めるしかないか。
悲観的に考えていたところで、今日読んだ本に、納得できる考え方が。

人生100 年時代とはいえ、一人の人間ができることなんて、本当にたかが知れている。だとすれば、この一生の後に、生まれ変わりがあると信じた方が、心安らかに人生を送れるのではないか。
「あれもこれもやらなくちゃ」と急がずに、今本当に興味のあることを優先して楽しめばいい。

誰の味方でもありません/古市憲寿

わたしは正直、嫌悪感を抱いていた。
「いつかやりたい」だとか、「生まれ変わったら〜になりたい」といった類の考え方に。

いつか、生まれ変わったら・・そんな不確実なものに期待していられるかよ、と。

その考えが行き過ぎると、焦燥感に駆られて楽しめなくなる。
海外に行きたいし、猫も飼ってみたい。書く仕事をしたいけど、喫茶店でも働いてみたい。
コンプリートしなくちゃ!な気持ちが強くなると、頭でっかちに陥ってしまう。
〜歳までは東京で働いて、その後は地元に帰って猫と暮らそうか・・みたいな計画をたててみたりした。

でも、気持ちにムラがあって興味の対象が移ろいやすいタイプのわたしには、その生き方が向いていない。
日々の暮らしですら、計画通りに進められないのだから。
今日だって、ブックオフで古本を処分しようと思っていたのに、雨のだるさに完敗した。
人生設計だとか、キャリアプランだとか、正直重たい鎖のようにしか思えない。

だから、やりたいことなんて、むしろ全部やらない方が幸せになれるのかもしれない。
その時々で、心から興味をもったことをひたすら追いかけていく。
他のやりたいことは、来世の自分に託すのもありなのでは?

ブックオフを諦めて、近場の図書館にいったら、新たな視点を養える一冊と遭遇できた。
ほら。今の興味を優先する人生だって、素敵じゃん。


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