活動家の雨宮処凛

2回目です。イノシシと申します。

あれやこれやと好きな活字のことを書いていきたいです。

で、

個人的に嫌いな雨宮処凛さんの

『相模原事件・裁判傍聴記』太田出版

を読んだ感想です。

感覚的には、雨宮さんのバランスの悪さが、危うくて、怖くて嫌いです。10代の少女のままの柔らかな感性を抱え続けている感じ。

これほど頭の良い方がなぜ、もう少し救いのある生き方を出来ないのかな。少女の感性など捨ててしまえばいいのに。と悲しくなってしまうのです。でも、この方の「なんと頑丈なのだ!」と感嘆したくなる頭の良さが好きでたまらなくもあるのです。

昔は、貧困世界に生まれ格差社会の底辺から逃れられない、かわいそうな犠牲者だと連帯を感じていました。しかし、たとえ、恵まれた環境にあったとしても、この方はこの生き方なのだと分かったので、自分と切り離してみることが出来るようになりました。おかげで自分が生きやすくなりました。

貧困から、生涯抜けられないものであれば、世界はあまりに残酷すぎるのだけれど、幸いにして、日本という国はまだ、そこまで貧しい国ではないのです。先進国のなかでは貧困率が高いと言われていますが、日本ほどきっちり、人間の所在の把握をしている国が先進国でも珍しいだけです。他国では貧困者なんぞ人の数に数えられていないのです。

で、

貧困というものが、病的に恐ろしい私にとって、貧困をその懐に入り込んで深く見つめる雨宮氏は恐怖の対象であり、怖いもの見たさの好奇心の対象でもあります。

『相模原事件・裁判傍聴記 「役に立ちたい」と「障害者ヘイト」のあいだ』

この著書で雨宮氏は

「社会の役に立ちたいと思いました」「重度障害者は殺した方がいい、生きていても仕方がない」と主張する植松聖を理解しようとします。
2016年7月、19人の障害者を殺した植松聖。
全16回の公判の果てに2020年3月、死刑が確定しました。

こういうタイプの人物を理解しようとするとき、その思想に正しいとか間違っているとかそういう理屈抜きに心を痛めつけられてしまいます。雨宮氏の強みはこういう人物に痛めつけられることを恐れないところだと思います。

江川紹子氏などは、最初から、自分と取材物に距離を取って内側に踏み込んで傷つけられることを防衛しているように見えます。江川氏の特性として人の弱さを理解できないところがあると感じますが、だからこそ、ジャーナリストであり続けられるのだろうと安堵して見ていられる部分があります。

雨宮氏は、その逆のタイプと見えるので、実際に著述されている文章の外側に、私の恐怖をあおるものがあります。ホラーの名手スティーブン・キングの『ミザリー』を読むような感覚で読み進めました。「どうぞ、雨宮氏がこの狂気に引きずり込まれませんように」と。幸いにして、雨宮氏もそれなりの年齢を重ねていらっしゃり、修羅場を乗り越えていらっしゃるので、植松聖の思想に傷つけられることはなく、裁判の傍聴はすすめられていきました。

私個人として、植松聖は生まれながらの特性を持っていて、家族も同様の特性を持つがゆえにその危険性を見出されなかっただけだと思っています。成長過程での何かの要因でゆがんだのではなく、ゆがんでいるものを修正しようとしなかったためにそのまま育ったのだと感じています。

雨宮氏の考察はそのあたりをあいまいな疑問符で送ることで、彼自身だけでなく、彼を育てたかもしれない社会の隠されたゆがんだ思想や問題点をもあぶりだそうとしています。

アスペルガーは空気を読まないと言いますが、その特性を感じさせる植松聖は、時代の空気を読んだのではないかと、分析している人が他にもいました。

が、

「これほど強烈な排斥の思考を持った時代はない」といつの時代の人も感じていたと思うのです。すべての人ではなく、植松聖のような特性を持つ人たちにとって。特性にはもちろん、いろんな濃度がありますから、近い特性を持っているからと言ってみんなが、問題行動を起こすわけではないです。雨宮氏も著書の中で「スペクトラム」(連続体)と表現していましたが。白い部分、黒い部分だけでなく、いろんな濃さのグレーな部分もあるわけです。

結論は、出さなくていいと思いますが、議論は続けていかなくてはいけないなと思いました。雨宮氏の底辺への理解を持ちつつも客観視と冷静さも失わない視点は、貴重だと思います。雨宮氏の著書を読める時代であることは、私にとって、とても幸福なことだと思います。

時代は

読み取りたい人が読み取りたい色に読み取ります。

その間に断絶感があり、人々を無用な恐怖に駆り立てます。雨宮氏はその断絶感の翻訳者として非常に優秀な方だなあと感じました。











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