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「進撃の巨人」近づくフィナーレ

こんばんは。四つ目の記事です。

イノシシです。独断と偏見のイノシシスコープで読んだ文字の本のことを書いてきましたが、ここで、箸休めです。

少年漫画の話題。

諌山創 「進撃の巨人」講談社

というか、なにせ、イノシシスコープを通すので、箸休めにもならないかもしれませんが。かつて、一世を風靡した少年漫画です。もう、十年くらい連載が続いています。

コロナ自粛の初期に、「進撃の巨人」一気読み。など銘打って大々的に、ネットでそれまでの全話が無料公開されました。最終回に向けてみんなでクライマックスになだれ込もうという呼び込みで。

今の時代、無料で、大きく興味を広げるという手法が一般的になってきましたが、それにしても思い切ったことをしたなあと思いました。本体を無料にしながら集客し、その周辺のコンテンツで収益を上げる手法は、私にはよくわかりません。芸人のキングコングの西野亮博さんなども、この手法で先行する方ですね。そして、古い考え方の層には反発されている。

私も、古い人間なので、恐怖と抵抗があります。しかし、この進撃の巨人自体が、恐怖感を踏み越える先に希望を見出す話なので一緒に、乗り越える体験をしたくもある。

ともかく最終回が近いことを匂わすあおりがあったので、夏あたりに進撃の巨人は終わるのかなと思っていました。ところが、まだもう少し続いていくようです。

毎月9日が掲載紙の別冊マガジンの発売日なので、9月9日に急に思い立って夜中に閉店間際の本屋に行きました。ところが、閉店間際で、お客さんはほとんどいない広い店内で気が動転してしまいました。急いで買って帰らないと、閉店準備する店員さんに迷惑なのではないか。という焦り。ところが、情けないことにここ最近は、子供と一緒にコロコロコミックという児童向けの漫画雑誌しか買ったことがなかった。低年齢向けの雑誌の置いてある場所を探すも目的の雑誌は見つけられない。右往左往して、結局、断念。店員さんに見つけてもらいました。目当てのものは、山と積まれていて、見つけられなかった自分が恥ずかしく思わず「ああ、こんなことろにあったのね。やーねー。うふふ」とおばさんあるあるの発言をして、笑ってごまかすしかありませんでした。

本屋さんって、慣れないものを捜すと広いですね。

しかも、焦って購入したのは

何故か勝手に、私が、「今回が最終回だ」と思い込んだからでした。

だがしかし、帰って、読んでみたら、最終回ではありませんでした。悔しいので表題にオマケの写真を載せます。丸い缶バッチです。

2020年9月9日発売の別冊少年マガジン掲載の132話ですが、ラストシーンが、この漫画においてこんな穏やかなシーンがあるのかという衝撃でした。登場人物はいつも、「諌山線」と言われる、この漫画の作者、諌山創氏独特の縦線が表情にあり、どんなときにも絶望的に絶望しているのに。

諌山線の無い登場人物たちを見ることが出来るとは。

ということで、雑誌の大きな画面で見られたことは幸運だったと思われます。

そもそも、進撃の巨人がどんな話かと言いますと、

さて、イノシシスコープ発動。

初期は、人を残酷に殺して、話題性を煽るだけの物語だと誤解しておりました。謎に謎を重ねれば読者は食いつくてくるだろう。という思想のない話だとタカをくくっておりました。

実際、小学生たちの感想を聞くとまあ、彼らの理解はそのレベルであったようです。

しかし、展開していくにつれ、ものすごい思考実験のような物語になっていきます。

どれだけ、誰が、頑張っても、頑張っても、頑張っても、自分と対極にいる人間を不幸にするだけ。不幸に追い込まれる人々はその理由を知らぬままに苦しみの中に追い込まれていきます。

謎解きをすればするだけ、真実を理解すればするだけ、大量の人々の苦しみを見つけ出してしまう。もう理解は諦めて、目をつぶって逃げ出してしまいたい。

そんな過酷な物語の中で今回の話数で

「理解することをあきらめない姿勢」

という言葉が出てきました。

そうか、この物語はそこにつれて行ってくれるものなのか。

そうであってほしいと願います。しかし、この作者は予定調和をたやすく破壊してくださるので、油断はできませんが。

恐怖や苦しみに負けたら苦しいままで終わってしまう。その先に、きっと何かがあるんだという気持ちが人を明日につれて行ってくれる。

フィクションであろうと、ノンフィクションであろうと、

この世界にいて、この先をみたい。自分の足で明日に行きたい。

という気持ちにさせてくれるものを私は読みたいと思います。


ご興味のある分野があれば、コメントとサポートをいただけると嬉しいです。イノシシスコープで記事を書かせていただきます。