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めっちゃ他人と比べちゃう

半年に一度くらい、どうしようもない無力感と劣等感と不安に襲われることがある。

それはたいてい、誰かと自分を比べてしまったとき。

緊急事態で仕事が減って生活そのものが不安定なのに加えて、この先どうなるの?という精神的な不安もないわけじゃない。わたしみたいな人はとても多いんじゃないかと思います。

ネットに触れる時間が長くなって、誰かが作った素晴らしい作品やnoteの素敵な投稿に刺激を受けることも多くなりました。元気もたくさんもらっています。

でも、それと同時に「自分は何やってるんだ……?」というどす黒い思考がじわじわと迫ってくるのです。今の自分と、それから過去の自分について。

大学を卒業して、ほぼ消去法で選んだ会社に就職して、なんだかな?と思い続けてきたけれど、少しずつやりたい方向にシフトして、なんとかライターとして独立することができた。去年の決断は、わたしにとっては大きなものでした。

ただ、同世代の人が会社を設立したり、ナントカ賞を受賞したり、音楽で生計を立てていたりとわかりやすく成功しているのを見ると、とんでもなく大きく遅れをとっている気になってしまう。スタートラインに立つまでに、周回遅れになっているような。それぞれ、みんなの苦労と努力の結果なのに。

それから、自分にはない経験値を積んでいる人も、別世界の人に見えます。パッと仕事を辞めて海外を一人旅したり、NPOを立ち上げたり、20代で飲食店始めたりする人たちを心から尊敬する。何その勇気。何その行動力。同じ人間ですか。

かたやこちらは、ライターの看板掲げてるくせに、何の専門知識もないし、大した実績も持っていない。noteも「何かためになることを」とか考えていたら何を書いたらいいかわからなくなって、唯一の武器であるはずの文章をろくに使ってない。あぁ無能。あぁ情けない。神様わたしは何のために生まれてきたのでしょうか。

……わかっているのです、

「人と比べてもいいことがない」って。

「今からでもやれることをやって、満足できる自分になればいい」って。

頭ではわかっているけど、立派に活躍している皆さんを見ると、埋まることのない圧倒的な差を感じてしまって、足がすくむ。何の能力もない自分が嫌。他人と比べて卑屈になっている自分も嫌。現状を変えようと努力しない自分も嫌。もう卑屈のかたまりです。この感じ、ダイエットできない弱さにも似てる。

周りからは割とポジティブに思われていそうなわたしですが、この自己嫌悪スパイラルにハマると、はぁぁ…ってなります。定期的にやってくるやつなので、慣れてはいますが。どこかで、そんな卑屈さを含めて自己肯定しているところがあるのかも。

なので今日は、ちょっとそれを吐き出しておこうと思ってnoteを書きました。電話と日記には、セラピー効果があると思っているので。

たぶん、今日からいきなり変わることはできない。だから、「生まれ変わる宣言」をするかわりに、ゆるっとすべてを無にしてくれる言葉を置いておきます。そのうちまた落ち込むであろう自分のために。

「だからどうなの。」 アンディー・ウォーホル

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時が変えてくれると人は言うけれど、実は自分で変えなければならない。何年も同じような問題で惨めになっている人もいるけど、「だからどうなの」と言えばいいのよね。ぼくの好きな台詞─だからどうなの。「母親に愛されなかった」だからどうなの。「ダンナがもうやってくれない」だからどうなの。「出世したけどまだ孤独なんだ」だからどうなの。ぼくはこのことがわかるまでどれぐらいの思いをして生きてきたことか。ずいぶん長いことかかったけど一旦納得するともう忘れない。(新潮社『ぼくの哲学』アンディ・ウォーホル/著  落石八月月/訳)

どうでもよいですが、訳者の「落石八月月」さんを調べたら、「オチイシ・オーガストムーン」さんとお読みするんですね!なんつうオシャレなペンネーム……!


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