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vol.3暗記マシンが自由になる時

ナレーター「わいわい」さん

司会の仕事を続けながらナレーターとして活動している。だいたいおおまかに40歳。

長く目指していたナレーターへの道が見えてきた。小さな仕事を集めてだが、なんとか生活は出来ている。

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ふわっとした気分で大抜擢

OL を辞めた後、何となくやってみようと思った司会の仕事。ビジネスセミナーなどの司会をこじんまりと始めた。

そんなある日。家の隣の靴屋さんが、山奥放送局のプロデューサーを紹介してくれるということに。その靴屋さんは、セミナー司会と番組司会の区別がついていなかったのだ。


ところが、なぜだかオーディションに合格。なんと番組キャスターの座を射止めてしまったのだ!

あろうことか雪深き山奥で、都会育ちのわいわいさんの活動が始まった。しかも年々、仕事が広がっていく順風満帆のスタート。

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暗記マシーンが自由になるとき

仕事が広がっていった理由の一つには、わいわいさんの記憶力があった。どんなに長い原稿でも短期間に暗記できることだった。仕事が広がるに連れ、暗記量は膨大になっていく。

だがスタッフたちは陰でわいわいさんのことを『暗記マシーン』と揶揄していた。表現することより暗記力を問われていたのだった。

彼女の中で、仕事の広がりと共にむなしさも広がっていった。

「たまたまナレーションの仕事をやったんですよ。そうしたら表現できるって楽しいなって感じたんです。ナレーションだと自由になれるんです!その頃から積極的にナレーションをやりたい、ナレーターになりたいって思ったんです」

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唐突な幕切れ

山奥放送局でのわいわいさんの活躍。

それを影になり日なたになり支えてくれたのは、彼女を抜擢してくれたプロデューサーだった。そんな彼は、局内での派閥抗争に巻き込まれていた。番組作りの裏側で、血で血を洗う戦い。

なにも知らないわいわいさんは、ある日新任のディレクターに告げられる。

『来月でわいわいさん終了ですから』

何年も続いた番組から降ろされた。抜擢してくれたプロデューサーが失脚し、唐突に退職したのだった。スタッフたちも急によそよそしくなった。

「ここには私の居場所はもうなくなったんだ」

涙を流す間もなかった。遠い遠いかすかなツテを頼って、別のローカル局に連絡をした。

「ナ、ナレーターをやりたいんですけど」
『アナウンサーの募集はもう締め切ってます』
「いえ、だからアナウンサーではなくナレーターなんですけど…」
「(受話器を押さえて)局長~変な電話きてるんですけど~」

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雪国の長いトンネルを抜けたら雪国だった…

ナレーターメルマガ,プロのナレーションの真似なぜだか北の大地放送局での仕事が決まった。

しかしそれはレポーターの仕事だった。その地方ではナレーター単体での仕事などなかったのだ。

「猛吹雪の中でのレポートの仕事があったんです。吹雪で目があけてられなくて、目をあけたらカメラが見えないんです。遠くの方でわいわいさん逃げて~って声がして。車が来ていて、スタッフが先に退避していたんですね。もう~東京に帰りたいって思いました(笑)」

このままでは永遠にナレーターになれないのではないか。そんな不安におそわれる。

その年、彼女はスクールバーズとスタジオバーズの門をたたいた。

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悔し涙を流しながらの戦い

いまのナレーションや営業を学び、サンプルを作りまくった。それからわいわいさんの、ナレーターとして生きるための戦い=営業が始まる。

ところが、いままでの経歴を投げ打っての挑戦に周囲は冷たかった。

『アナウンサーのまねごとをしている、ただのミーハーおばさん』
『地方を追い出された可哀想な人』

ある時はCMに決めるからと、ディレクターに抱きつかれたこともある。
それは悔し涙を流しながらの戦いだった。

「そんなどん底の時期に、スタジオでのカウンセリングで自分の甘さを指摘されて、ずいぶんへこみました」

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でも今となっては一番信頼している

昨年から生活のベースとなっていた、司会やレポーターの仕事を自ら大幅に減らした。ナレーションの仕事を優先するためだ。

皆が仕事を減らすこの不況のもとでは、大胆な決断だった。

「全体としては少し減りましたが、ナレーションは新規も含めてじわじわ増えているんです。そしてこれからは、もっと広がる手応えも感じるんです。北の大地放送局でもようやくナレーションで呼ばれ始めましたし。山奥放送局の元プロデューサーも制作会社を立ち上げ、仕事を一緒に出来ました」

「カウンセリングでずいぶんへこんだ後、『いままでが順調すぎたんだ』って自分で受け入れることが出来ると言われていることが全部、ふに落ちてきたんです。スタジオバーズのことを今となっては一番信頼しているんです」

そして6度目のスタジオでのサンプル創り。

その情熱を聞いたベルベットの武信マネージャーがCMにキャスティングした。そして決まった。

「初めての全国オンエアーなんです。ホントに感謝です。続けてきてよかった」

雪深いところを巡った長い旅。

そこでの経験は、吹雪に敢然と立ち向かう覚悟を、与えてくれたのかも知れない。

自由を目指すわいわいさんの旅はいまも続いている。

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