僅差で敗北した大阪都構想を振り返って、あらためて考えるこの国のメディアのレベル、求められるソリューション・ジャーナリズムとは?

 大阪市民は目先の利益しか考えないと思われても仕方ない。大阪都構想は理念だからね。大阪市民だけでなく日本人には理念というものがふだんの行動原理として希薄なところがそもそも問題なんだね。大阪市民と、現状維持が好きな一般の日本国民と較べたらそう差がないかも。

 今回は特にメディアのレベルの問題が大きい。
 既得権益の側の自民党と共産党がデマ情報を盛んに流したが、毎日新聞の誤報にもとづいている。デマ情報は、抵抗勢力の大阪市役所の財政局職員が毎日新聞と組んで流したもので、大阪市を4区に再編すると毎年200億円の赤字が生じ、これを自民党は15年で3000億円になると大々的なキャンペーンにした。
 大阪市財政局が出した数字(基準財政需要額)は、大阪市を4つに分けた区の一つ一つを政令市として計算したものの合計だ。ところが特別区は政令市ではない。消防や大学など広域行政は大阪府が担うからだ。
 明らか意図的に間違った試算が抵抗勢力の大阪市財政局からリークされ、それを流した毎日新聞のメディアとしての責任は大きい。さらに悪いのは、他の新聞やテレビもいっせいに後追い記事を書いた。間違いを指摘された朝日新聞は訂正記事を載せたが、短くて目立たない場所だ。
 終盤の論戦はデマで歪められた情報により盛り上がったのは事実なので、二重行政を打破することで日本全体を変えるきっかけをつくろうとした理念が置き去りにされた。かえすがえすも残念です。
 
 10年前、大阪市の市営バスの運転手に年収1400万円台が6人もいたなどというニュースはいまではすっかり忘れられている。年功序列と非効率が極限にまで達した世界(まさにベルリンの壁)、その旧弊を打破するには組織そのものを変えるため大ナタを振るわなければならない。それが都構想だった。

 ◎僕は『公〈おおやけ〉-日本国・意思決定のマネジメントを問う』(NewsPicksパブリッシング)で「ソリューション・ジャーナリズム」を提案した。 

 第Ⅲ部の冒頭部分にこう書いた。

 ジャーナリストは社会に起きている問題点を見つけ、ただそれを批判すればよいのではない。
 問題点を見つけると自ずから、ではどうすればよいかとつぎのステップに進むはずだ。行政なり企業なりが気づいて修正していく道もあるが、どう修正するかという道筋も課題の分析のなかから導き出されるはずで、そこまで示せばビジョンと呼べるものに到達できる。告発や批判で終わるのではない。求められているのは、ソリューション・ジャーナリズムなのだ。
 アメリカではこうした動きは早く、1970年代から速報性や当局発表とは違う独自の発見・分析にもとづく調査報道(インベスティゲイティブ・ジャーナリズム)、小説スタイルで人物描写など映像的なシーンを駆使してディテールから真相に近づくニュージャーナリズムが拡がり、さらに近年には課題解決を目指すソリューション・ジャーナリズムが生まれている。
 課題をどのように解決すればよいか、欠点を集めて批判するのではなく、うまくできている事例を見つけることも必要になる。その道筋を探すのが、責任を取る「家長」として作家の立場である。
 行政や企業に責任を押しつけるのではなく、彼らが新しく生まれ変われるようなクリエイティブな提案をフリーハンドでする仕事が、日本の「近代」のなかで途絶えていた本来の広義での作家の仕事、クリエーターの役割である。(『公〈おおやけ〉』p.162・p.163より)

 以前にnoteに書きましたので詳しくは以下を参照してください。

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