『東京の敵』#3 新国立競技場3000億円の検証がなぜできなかったのか。森喜朗のゴリ押し。

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施設整備費はなぜ高騰したのか

 各施設の整備費がなぜ高騰したのか。その代表である新国立競技場の問題の経緯を振り返れば一連の原因が明らかになります。まず、新国立競技場の設計は、コンテストで、一度はザハ・ハディド氏(イラク出身の女性建築家)のデザインが採用されることになっていました。
 ザハ・ハディド氏のデザイン案がコンテストで優勝したときの応募条件は大きく二つありました。
 一つは1300億円の予算でつくること。もう一つは、オリンピック後もコンサート会場などに使えるような施設にすること。1964年の五輪に合わせて建設された日本武道館はいまやミュージシャンの間で「いずれコンサートがしたい」と憧れられる場所になっています。大きな建設費をかける以上、そういうレガシーとなる施設をつくることが条件であったため、当初は屋根の設置を必須としたのです。
 東京五輪の招致が決定したのは2013年9月ですが、新国立競技場については、その約1年前の2012年11月にデザインが決定しています。
 これは新国立競技場を、すでに招致が決まっていた2019年のラグビーワールドカップで使いたいという意向があったためであり、日本ラグビーフットボール協会の会長として、このことを進めていたのが森喜朗氏です。2011年に河野一郎氏がJSC理事長に就任していますが、その背後には森氏がいたわけです。
 公募を始めた2012年7月から4カ月かけ、11月までに世界中の有名な建築家からさまざまな作品が出てきました。最終審査の際、ポイント数で1位を獲得したのは、ザハ氏の作品のほか、豪州のアラステル・レイ・リチャードソン氏と日本の妹島和世氏の計3作品。再投票しても決まらず、最終的に委員長の安藤忠雄氏が推すザハ氏の案で決まりました。
 たしかに、ザハ・ハディド氏のデザイン案は複雑な設計ではあります。一時、ザハ・ハディド氏は、「アンビルト(実現しない建築)の女王」とメディアに揶揄されましたが、それは事実ではありません。アンビルトばかりであれば、建築界の重鎮になれるわけがないのです。ちゃんと素晴らしい建築を実現させているし、だからこそザハ氏は「建築界のノーベル賞」とも言われるプリツカー賞も受賞しています。そうした一流建築家が応募してくれるほど、オリンピック関連の建設はステータスが高いのです。
 安藤氏としては、ザハ氏のデザインが複雑であっても日本の技術水準は世界最高なのだからできる、むしろ、それを世界に示したいということでした。

当事者がどこにもいない

 問題に火が付いたきっかけは、オリンピック招致が決まった2013年10月の毎日新聞の報道です。新国立競技場の建設費が3000億円になるとのリーク情報が報じられました。
 これを皮切りに、各社が後追い記事を書くことで、一連の騒動が始まっていきます。
 1300億円のはずが3000億円では、どう考えても費用がかかりすぎる、これはおかしいのではないかという世論がこうして形成されていきました。
 その後、デザインが大きすぎるということで、建物の容積を2割カットすることにして試算をやり直すと、資材高騰の影響はあっても1650億円で収められることとなります。ここでいったんは落ち着きます。
 ところが、その直後に、またぞろぞろと3000億円という数字が出てきて、2割力ットした意味がないじゃないかということになったのです。そのため、屋根を外すなどいろんな工夫をして、2520億円という数字にどうにか落ち着きました。それでも世論の批判は止まず、ザハ案は白紙撤回され、新たに上限1500億円で建設することになります。
 僕は2013年11月に都議会の所信表明で新国立競技場について、都民の便益となる周辺施設の整備については東京都で負担する考えがあり、その場合は「設計内容について専門機関による技術的な精査を受け、透明性を高めることが必要」だと述べました。この専門機関が本体工事費の透明性を高める役割も果たすはずでした。周辺整備のチェックという「のぞき窓」を通じて、東京都が本体工事も監視する仕組みです。
 ところが僕が都知事を辞任した後、専門機関の設置は立ち消えとなりました。
 結果、中身が見えないまま計画は進み、誰が責任者なのかさえわからないような状況が続きます。
 事業主体であるJSCは、もともと学校給食などを提供する「日本学校健康会」と、国立競技場の運営母体が一緒になった文科省の天下り団体で、建築のことに詳しい組織ではありません。そうした素人集団に建設を任せてしまったのです。
 専門家がいれば、予想を超える金額となった段階でゼネコンと交渉できたでしょう。
 官庁の建て替えを担当している国土交通省には、ゼネコンとの交渉ノウハウがありますが、JSCを管轄する文部科学省にはそれがない。新国立競技場は、国交省を巻き込んで進めればよかったのに、縦割りを放置したのでそれができなかったのです。
 さらに、新国立競技場の設計は、日建設計と梓設計のJVが担当し、競技場部分の施行が大成建設で、屋根が竹中工務店という分担になっていました。しかも、契約がすべて随意契約。つまり、競争入札を行わずに、任意で相手を選んで契約を締結する形をとっていました。その上、事業主であるJSCは、第三者機関に検証する機会を与えないで契約先を決めていたのです。これではアンフェアと疑われても仕方ありません。
 本来であれば、責任者が「もっとコストを削れ」と言う余地がありますし、随意契約であれば、なおさら決まるまでの過程も公表すべきです。
 問題は、JSCの不透明さです。旧国立競技場の解体工事が5カ月遅れたのも、入札の不調と談合疑惑が原因でした。この談合疑惑が持ち上がったときに、官邸、下村博文文部科学大臣(当時)と河野氏、そしてその後ろに控えている森氏が「JSCは何をやっているんだ」とチェックしていれば、手遅れにならなかった。ただし、この問題を新聞もベタ記事でしか報じなかったため、世論を巻き込むこともできませんでした。
 そして、これら一連の騒動の責任を誰がとったのかというと、JSC理事長と所管の文科大臣、そしてスポーツ担当の文科省局長が責任を問われただけでした。JSC理事長の河野一郎氏は退任してはいますが、責任を取ったとはいえません。河野氏は組織委員会副会長に居すわったままです。
 トップの森氏に責任があるのが明白なのにもかかわらず、一件落着となってしまったのです。ほとんど無傷で終わったがために、いまだにこの組織には緊張感も責任感もなければ、罪悪感も反省感も希薄です。
 ただ、この程度のケジメをつけるにしても、時間がかかりました。もうこのままでは2020年に間に合わないというところまで来て、新国立競技場のガラガラポンをやってコストを1000億円下げることで、やっと決着をつけることができたのです。しかも屋根は2019年のラグビーワールドカップに間に合わないとのことで、100年先も残るレガシーであるべき新国立競技場が屋根無しでの再設計となりました。ザハ案でスタンドを担当した大成建設のA案と屋根を担当した竹中工務店のB案との競争とは銘打ったものの、屋根がないのですから初めからA案に決まっていたのも同然です。とにかくA案もB案も1500億円以内、との条件がつけられ、当初企画の1300億円に近い金額で落ち着いたのでした。これ以上もたもたしていたら2020年に間に合わない可能性があったのです。
 元首相の森氏は、ラグビーワールドカップに命を懸けていました。だから、森氏の首に鈴を付けるしかありません。ゴールの照準を2019年のラグビーのワールドカップではなく、オリンピックの開催に合わせれば、建設期間に1年の余裕が出る。それでラグビーは、横浜スタジアムでやってもらうということで、安倍首相は森氏の了承を取り付けたのです。
 安倍首相が森氏を説得した日は、衆議院で安全保障関連法(集団的自衛権)の強行採決をした日の夜です。安倍首相と森氏、それに加えて二人の出身派閥である細田派の幹部が集まって協議をした。森氏は、文科省が交渉下手だからダメなんだと怒り心頭だったといいます。しかし、当時は、安保法制の強行採決で、安倍内閣の支持率は大きく下がっており、新国立競技場の問題は8割の国民が反対していました。
 森氏がいくらゴネてもここは押し切るしかない、ということで、会談の翌朝に安倍首相は森氏と官邸で会い、新国立競技場からラグビーを外すということへの了解をとりつけました。安倍首相が一歩も引かない以上、最後は森氏もしぶしぶ応じたということでしょう。もし、ここで決断しなければ、集団的自衛権が標的になっていた可能性がありました。安倍首相にとって新国立競技場は、政治生命をかけるテーマではないため、安倍首相は自分のテーマである集団的自衛権を優先したのです。
 なお、この新国立競技場の整備においては、都が500億円出すと約束していたと森氏が語って問題になりました。周辺整備には協力しますが、新国立競技場本体に東京都が負担するという約束などまったくしていません。
 万が一これが真相なら呆れた話としか言いようがないのですが、2016年五輪招致時における、都立で晴海にメインスタジアムをつくる際には国も半分の500億円を負担するという約束を、間違って新国立競技場にもあてはまると森氏が錯覚していた可能性があります。都立施設に国が支援するのと、国立施設に対し都がお金を出すというのはまったく異なる話です。ところが舛添さんはその経緯を知らず、不満を言いながら森氏に言いくるめられてしまい400億円を出すことになったのです。

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