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100日目:「誕生日」とは両親に感謝する日(100日目に40歳になる猪瀬)

いきなり最終回。音沙汰なかったその間、私は一体なにをしていたのかというと人生初の痔を罹患していました!いまもお尻が本当に痛い……あ、久しぶりの更新だと言うのに下な話ですいません。しかも、もう少し続きます(笑)。

昨年秋にエアロバイクを購入してからというもの、毎日のように朝晩あわせて数時間は利用していたのがどうもよくなかったらしい。どのくらいペダルを漕いでいたのかというと、備え付けられている計測器によれば距離にして累計で約1,731km、消費カロリーは25,977kcalだった。痔になるまでおよそ80日くらい乗っていたたのでざっくり計算でも一日平均で20kmは走っていたことになる。

継続は力と人はいう。きっとそれは間違いじゃない、嘘じゃない。だが痩せるよりも先に痔になるなんて話は聞いていなかった!

幸いにも、コロナのおかげで奇跡的にリモートワークがメインのご時世なので、特に酷かった最初の数日間は立ちながら仕事をこなした。あのときは椅子がまるで針のむしろのような拷問器具にでもなったのかのように感じていたので、もし着席が必要な環境にいたら長男だけど耐えられなかっただろう。

過ぎたるは及ばざるが如し。身を持って、痔を持って体感したのがこの休眠期間にあった二番目に大きな出来事だった。そうこれが二番目、だから一番がある。


① 「誕生日」 とは(辞典で意味を確認)

誕生日(たんじょうび)
 その人が生まれた日(と同じ日付で、満一歳以降毎年めぐって来る日)
 出典 :『新明解国語辞典(第8版)』(2020)三省堂

 (「誕生日」での収録なし。「誕生」として「人などが生まれること。出生。」の記載あり)
 出典 :『現代国語例解辞典(第5版)』(2016)小学館

新明解国語辞典と現代国語例解辞典のどちらも「生まれた日」という点の概念は捉えている。その上で、新明解国語辞典は「毎年めぐって来る日」という周期性について言及していた。

その人が生まれた日は毎年巡ってくる。その人の生まれた日はその人が亡くなってもやってくる。普段、何気なく過ごしているこの1年365日は毎日がまだ出会ったことのない誰かの誕生日なのだ。


② 私の釈義

ここ数ヶ月で一番の出来事は80歳を過ぎた大切な両親の健康に関わること。母が年明けに倒れたことだった。

原因は一昨年に脳梗塞で倒れた父の介護疲労だった。父は脳梗塞で脳に影響がでてしまい半身不随の寝たきりとなり、言葉は話せず、咀嚼もできず、誰かに着替えや食事、排泄の世話をして貰う必要があった。さすがに在宅介護は無理があるので介護施設に大半のケアはお願いしていたものの、着替え等の交換のために施設との往復が必要でそれが母には難儀だった。母は10年くらい前から血圧が高いといっていたので徒歩での移動は思った以上に負担だったのかも知れない。施設に向かう途中で倒れてしまった。

父は自由気ままに生きて、酒やタバコを辞めるように医師からも勧められていたにもかかわらずそれができなかった人なので彼が脳梗塞になったことに同情はしていない。ただ、しょうもない父だったとしても、私の数少ない肉親であり、どんな親だろうとかけがえのない親なので寂しさはいまでもときおり込み上げてくる。

母はいまでも父のことを愛している。母のその優しさ、献身さが父の横暴な振る舞いを加速させたのだと私は常々思っているが、この父だから母は年老いてもなお毎日が退屈せず楽しかったのではないかとも思う。しかし、これまで散々苦労してきたので体調を崩してまでの無理はして欲しくない。

二人の関係に子どもとして私の意見をどこまで伝えるべきか悩んだ。そもそも私の声が入り込む余地などあるのだろうか。母には心身ともに健康で長生きして欲しいと願っていると伝えた。一人っ子なので家族として両親をサポートできるのは自分しかいないことは承知しているが、毎週のように車で片道2時間半かけて実家に帰省するのも限界はある。

親孝行したい気持ちは常に持っているものの、現実の介護の大変さは体力的にも精神的にもそれを上回るので実家から自宅に戻る頃には色々と擦り切れてグッタリしてしまう。親への感謝の気持ちを高めておくにはいつも気分転換が必要だった。

こうして、40歳を目前にして大切な肛門に名誉の負傷をしたり、昨年末にも 歯周病 との戦いで前歯を失ったりと、気持ちは若くても体は何かしら節目を迎えつつあることを否が応でも意識させられる出来事が立て続けに起きる中で、両親の健康とも向き合うことになった。

なんだかこの三ヶ月間は健康イベントの満員電車に無理やり押し込められた気分だった。家族の健康保険証はさながら定期券だ。健康が売ってるなら家族のために喜んで買いたいし、治療に時間とお金をかけるくらいなら予防にその労力をまわしたい。起きてからでは遅いのだ。

去年の誕生日は30代最後の一年の過ごし方を考えていたのに、今年の誕生日は両親の健康のことばかり考えているのだから、人生いつなにがあるかわからない。そしてなんだかんだ言っても両親のことが大好きだ。

新世紀エヴァンゲリオンが四半世紀の展開に映画で決着をつけてから三日目、こうして私は40歳を迎えた。今年も無事に迎えることができた。

誕生日とは両親に感謝する日

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